第25話 不穏
毛並みは白く、リスよりも一回り大きい。端的に云えば『小振りな兎』といった印象であるが、目はそれよりも大きくて黒く、前脚が4本、つまり6足の獣である。兎の長耳に見えるのは産毛の生えた羽根で、それ自体はどちらかと言うと昆虫のそれに近かった。
「あら可愛い。
ツキノが笑顔で言うと、ユウは「ついてきたのか」と一言。
「ついてきた?」
警戒を解いたエリオンが振り返って、ユウにそう尋ねると、彼は焚き火に薪をひとつ足しながら答えた。
「さっき狩りをしていた時、近くにいたんだ。恐らく親と
「親と……? 蟲兎は警戒心が強いはずなのに――」
エリオンが不思議そうに見つめていると、蟲兎は羽根を横に広げ、羽音をビィンと鳴らしてツキノの胸元に飛び込んだ。
「きゃっ!」と小さく声を上げつつも、それを受け止めるツキノ。フンワリとした柔らかさと想像以上の軽さに、彼女は思わず笑みを零す。
「でもこの子、随分と人懐っこいわよ?」
蟲兎はツキノの腕から肩へ、
「こらこら、くすぐったいってば!」
彼女の笑い声に釣られて、エリオンも穏やかに微笑む――と、その時であった。ツキノの頭上の蟲兎が、後ろ足で立ち上がって背筋を伸ばし、そわそわと首を回す。
「――どうしたの?」
直後に不穏な気配を感じ取ったユウは、すっくと立ち上がり「退がっていろ」と腰の剣鞘に手を掛けた。
彼が睨む木々の隙間――暗闇の奥に、緑色に光る2つの点。次いでそこから、低く喉を鳴らすような掠れた唸り声。
「え……」
枝葉を無駄に騒がせることなく、ノソリと姿を現したのは、頭部だけでもエリオンほどはあろうかという大きさの、全身が骨で覆われた黒い狼であった。
「ゆ、ユウさん……なん、ですか? これ――」
エリオンはその禍々しい迫力に圧倒され、胸を押されたように
「……
「ど、どうすれば……?」
ジワリと踏み寄る巨大な爪が土を抉る。焚き火の灯りが、彼らの恐怖を煽り立てるかのように、不気味な影を揺らめかせた。
息を呑むエリオン。しかし一方でユウは、一向に怯む様子もなく言った。
「スケルガルはティルニヤに棲息するモンスターじゃない。……気になるな、少し調べてみよう」
「調べるって――」とエリオンが顔を背けた時、パキリと撥ねる火の粉。それと同時に、スケルガルが疾風の如く彼に飛び掛かった。
「!!」
バクンッと、彼の眼前の空間を
「…………?」
彼が目を開けたところで、スケルガルは既に絶命していた。――喉元から脳天へと、容易く突き抜けたユウの剣がそれを為していたのである。
「エリオン!」と、ツキノが駆け寄る。
へたり込むエリオンの前で、ユウはその巨大な顎を軽々と持ち上げると、骨の鎧が途切れている首元を覗き込んだ。
(やっぱり……これは召喚術式か)
スケルガルの首の付け根には、赤く光る
「これは野生のスケルガルじゃない。誰かが
「誰かがって……一体誰が、何の為に?」とエリオン。
「分からない」と答えつつも、実際のところユウには、その理由が容易に推測出来ていた。
(スケルガルは並の魔法使いが召喚できるモンスターじゃない。かなり高位の、しかも闇の魔法に精通した人間の仕業だな。――狙いはエリオンか)
間もなくその古代文字が消え失せ、グッタリとユウの腕に伸し掛かっていた狼の体躯が、水を掛けられた砂の様にドロドロと溶けていく。煙とともに腐臭を放ち、地面へと染み込む。
「ユウさん……」
エリオンとツキノは袖で鼻を覆いながら、不安そうにユウを見た。
「大丈夫だ、もういないよ(――だが、モリド以外にも目を付けられ始めたとなると、悠長に構えている訳にもいかないな)」
ユウはじっとエリオンを見つめ、そして再びスケルガルの遺した黒い染みに目をやった。
***
港湾市パルゲヤの人口はおよそ7万人。北西の平野から東の海に向かって、鉤爪の様に迫り出した半島を国土の主とした、海洋貿易が盛んな
マーマンの特徴は、顔の側面に耳に似た大きなヒレがあり、その後ろに水中での呼吸を可能とするエラがあることである。実際の耳はこめかみの辺りにある小さな
――森を抜けて2日。エリオンら一行は、その人間とマーマンが共存共栄する街、パルゲヤへと辿り着いたところであった。
「思っていたより、ずっと大きな街なのね」
平坦な草原の道を往きながら、ツキノは荷台から顔を覗かせて、胸に抱えた蟲兎と一緒に、その景色を眺める。
緩やかな傾斜に沿って階段状に造られた街は、全ての建物が薄い琥珀色の石で出来ていた。殆どが平屋か2階建てまでで、どの家にも朝陽が万遍なく降り注ぎ、街全体が輝いているようであった。
「素敵な街。美味しいお魚があるといいわね、ププ」と、ツキノは兎の頭を指先で撫でる。するとエリオン。
「ププ? 名前を付けたの?」
「それはそうよ。呼び名が無いと不便じゃない。それにいつまでも『ウザキさん』じゃ可哀想だわ。名前ってそういうものよ」
「どんな意味?」
「古アーマンティル語で『小さい羽根』だって。ユウさんが教えてくれたの」
「へえ」
などと二人が会話をしていると、やがて街の正門が迫ってきた。門と云っても蟻塚の様な重々しい石門ではなく、低い塀に丸太を嵌め込んだ外壁が、ただそこだけ空いている、という簡素なものである。
エリオンらの馬車は、何人かの通行人や他の行商達に紛れて、悠々とその門を潜った。
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