第二章

第24話 森の中

 いちなる世界には最初から全てがあった。太陽があり、月があり、星があった。山があり、川があり、町があった。草木や動物があり、魔物と共に人間があった。

 その彼ら『最初の人』は、地上から遥か遠い星々の海を『テンの海』、そしてそこから巨大な滝を経て、創元素デバイスが流れ込む地表の海を『ゲの海』と名付けた。


(『界変記かいへんき』第一章 第四節)



 ***



 見上げた針葉樹の上端が朱に照らされ始め、それと同時に森の影は、深く静かに色を濃くしてゆく。小夜啼鳥さよなきどりが歌い始めると、チキチキと鳴いていた虫は鳴りを潜める。

 背の低い雑草が踏み固められた、幅員の広い獣道。エリオンはその道の脇で、荷台に繋がれた機械馬に油を飲ませていた。馬車の周りには、折り畳まれたテントの幕や、三脚が付いたお椀型の焚火台、それに小さな鍋などが下ろしてある。それ以外にも古い炭や泥まみれの布が残されていることから、この空き地がどうやら、森を抜ける旅人の為の休憩地なのだと判る。


「ねえ、エリオン」とツキノ。


 彼女は四角いテントの骨組みを立てながら、ぼんやりと茜色の景色を眺めているエリオンに訊いた。


「あの人、どういう人間ひとなのかしらね? ――エリオン?」


「……え? あ、聴いてなかった。なに?」


「もう。アナタ最近、っていうか蟻塚を出てからだけど、どこかヘンよ? うわの空というやつだわ」


「う、うん……ごめん」


「すぐ謝るのは変わらないけど。――そっちを持ってくれる?」


 支柱を組み終えたツキノが、バサリと幕を広げる。その反対側をエリオンが引っ張って、そのまま二人して手際良く紐で結び始めた。

 そうしながらエリオンは、向かい合うツキノの顔を見つめる。――怒ったときの膨れ面も、パッと花が咲くような笑顔も、何気ない横顔も、『あの夜』の前と変わらず可愛らしいままである。

 しかし彼女は憶えていない――否、正確には知らないのである。あの日、モリドの襲撃を受けた晩に、自分が殺されたという事実を。そしてエリオンの手によって、それが起こる前の状態で創り直されたということを。


「………………」


「どうしたの? エリオン」


「いや――なんでもないよ。似合ってるね、それ」


 ツキノの頭には、彼が上げたカチューシャも復元されて飾られている。


「ありがとう」と、微笑むツキノ。


「それで、なんだっけ――あの人? ユウさん?」


「うん。悪い人ではないと思うけど、どこかかげがある感じよね。隠し事でもあるのかしら? アナタの遠い親戚っていうのも、なんか嘘っぽいし」


 ユウとエリオンは口裏を合わせ、彼女にそう説明していたのである。無論あの晩のことに関しては話せようはずもないし、ユウが絶対者ルーラーであることや、エリオンが神の権限を持っていることも秘密にしていた。訳あって、彼が成人するまでは蟻塚で預かって貰っていた、ということにしたのである。そして殊能者グレイターとしての力の使い方を学ぶ為に、学園市に向かっている――ツキノはそう認識していた。


「フェルマン先生やドトだって信用していたんだから、間違いはないよ」とエリオン。


「だから悪人だとは言ってないわ。でもあの人がいる前だと、なんかアナタまで余所余所しく感じるのよ」


「そんなことは――」と言いつつも、エリオンは気不味そうに顔を背けた。


(本当に……話すべきじゃないんだろうか……?)


 旅を始めて間もなく、ツキノに何をどう話すべきか、その悩みをエリオンはユウに持ち掛けた。それに対してユウは言った。


『真実は時として、耐え難い痛みを人に与える。それと向き合うには覚悟が必要なんだ。だが彼女や蟻塚の人々には、その準備が出来ていない。そういう人には、苦痛を感じさせない為の麻酔うそが必要なこともある……』


 そう説かれて、ユウは全てを隠すことにしたのであった。


「――はい、これで準備よし!」


 大人二人が足を伸ばして寝転んでも、充分な広さであるテントを張り終えて、ツキノは満足そうに手を叩いた。

 そこへガサリと草木を掻き分けて、獣を担いだユウが現れた。彼は、蹄のある細い脚を片手で肩に掛け、反対側の手には大きな赤い実の付いた木枝を携えていた。


「おかえりなさい、ユウさん。立派な鹿ですね」とエリオン。


 ユウがドサッと地面に降ろした獲物は、捻れた一本角を持つ鹿であった。


「これで当分は困らないだろう。食べ切れない分はいぶしておけば、港湾市パルゲヤの街まで保つ」



 ***



 すっかり暗くなった森の中、焚き火を囲んで座る三人。その煙と肉の香ばしい匂いが、何か善からぬものを惹きつけるのでは、などと警戒していたエリオンであったが、美味しそうに肉を頬張るツキノの笑顔を見て、そんな憂いは馬鹿らしく思えてきた。


「美味しい! 一角鹿いっかくじかの肉って甘いのね!」


 ユウが手際良く捌いた骨付き肉に、蟻塚特産の岩塩を振り、粉状にすり潰した香草の種を揉み込む。そして臭みを吸うついでに肉を柔らかくしてくれる葉で、丸々包み込んでじっくりと焼く。シンプルだが至高とも思えるその料理に、エリオンの顔も思わず綻んだ。


「本当だ、焼くとこんなに味が変わるんだ。表面は歯ごたえがあるのに、噛むととろけるように柔らかい」


「蟻塚だと皆で食べるから、いつも煮込んじゃうのよね。日持ちもするし。――さっきの小さな緑の実は何ですか?」


 料理好きであるツキノは、舌鼓を打ちながらも、興味津々といった様子でユウに尋ねる。その切り替えの速さにエリオンは、さっきまで怪しいだの何だのと言っていたのに、と内心呆れ返った。


「あれはゲッティカの種だよ。元々は南国で香草として使われていたものだが、こっちでは寒くて葉が育たない。代わりに種子にその成分が多く含まれるから、ああやって潰すと良い香りづけになる」


「へー! 物知りなんですね! フェルマン先生みたい」


 と感心するツキノの横で、エリオンは彼女とは違った感想を抱く。


(なんか想像してた神様とは違うな……。旅慣れてるっていうか、庶民的っていうか)


 蟻塚を出て5日。ルーラーであるユウがどんな神の御業を見せてくれるのかと期待していたエリオンであったが、彼は特に不思議な力を使う訳でもなく、ただ熟練の冒険者じみたサバイバルの知識や技術を披露するだけであった。それはそれで見事なものではあるのだが、エリオンの思い描く神とは程遠いものであった。

 そんなことを考えながらも、エリオンが二人の他愛もない会話を聞いていると、彼の後ろで小さな物音がした。


「?!」と、慌てて振り向いた彼の前には、一匹の小動物の姿があった。

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