第22話 別涙

 暗転したと思えた視界が、一瞬の目眩めまいを経て、暖かな昼の陽射しの中に連れ戻される。それに遅れて、リフトの軋む音や遊び回る子供らの声が、緩慢に迫る波音のように、エリオンの耳に届けられた。

 立ち尽くしたままの彼がと目を醒ますと、その前にはいたわるような微笑みを浮かべたユウの顔があった。


「思い出せたかい?」


 そう問われたエリオンは、その台詞の表現が不適切であるように思えた。今しがた彼が見た昨夜の記憶は、『思い出す』という言葉に含まれる曖昧さなど、一切存在する余地が無いほど鮮明で、それは正しく体験と呼べるものであったからである。


「……僕は――」と、辺りを見回すエリオンの目には、昨夜の崩壊など初めから無かったかのような、平和そのものでしかない蟻塚いつもの日常。


「僕が……やったんですね。この蟻塚を壊して皆を……。そして元に戻し――」


 と言いかけてから「いや」と首を振って、悲しげな表情で自分の言葉を正す。


「創り直したんだ……。僕はなんてことを――」


 するとユウは穏やかな声で告げた。


「君の権限は、AEODアイオードを管理する世界の監視者――ルーシーのデータベースにもアクセス出来る。そして彼女そこに保存されていた情報から、大量のデバイス石を使ってこの町を復元したんだ。死者も含めて」


「はい……」


 それはまるで、幼い子供が積み木を崩しては作り直す――そんな行為であると、エリオンには思えた。


(だけど世界は玩具なんかじゃない。そんなこと、赦されるはずがないのに)


 もし自分が逆の立場であったなら、そんな存在を許せるはずがない、と思うのである。理不尽に殺され、手違いだったと蘇らせられる――その所業を甘んじて受け容れるなら、自分が生きることにどんな意味があるというのだろうか。


「……僕は、赦されない過ちを犯しました」


 かと言って再び彼らやこの町を、ドトやツキノやフェルマンを、また無残な姿に還すことなど出来はしない。そこまで自分の心は強くない――エリオンはそれを理解していた。


「ユウさん……。僕はどうすればいいんでしょうか……?」


 泣きながら自分の胸元を握り締めるエリオンに、するとユウは優しく手を添えて、諭すように語り掛けた。


「ここにあったデバイスは、元々再製の為にが――ルーラーの女神が用意した物だった。行為の是非はともかく、少なくとも君は自分の意志でその道を選んだ。ならそれが過ちだったとしても、君にとっては『正しい過ち』だ」


「…………?」


「全ての人間が、全ての人間に対して最善の道を歩める訳じゃない。誰かを救う行為が、別の誰かを不幸にすることもある。それは人が生きる上で犯さざるを得ない、正しい行いが生む過ちなんだ」


「正しい……過ち……」と、小さく呟きながら反芻はんすうするエリオンに、ユウはゆっくりと頷いてみせた。


「ああ。だからエリオン。君は自分を責める必要も、誰かに赦しを請う必要もない。――君に罪は無い」


 その台詞を聴いて、エリオンの瞳から再び大粒の涙が溢れ出た。

 平穏な蟻塚の中で突如大声で泣きじゃくる彼に、周りの住民から驚きの視線が集まる。しかしユウはそれを遮るように、そっとその少年の頭を抱きかかえた。



 ***



「それで――」とフェルマン。


 彼の家にはフェルマンとドト、そしてエリオンとユウの四人。

 ドトは「自分が座ると狭くなるから」と部屋の隅で壁に寄りかかり、他の三人は机を囲んで座っていた。


「アイオドの石を使ったのは貴方だと?」


 問われたユウは「ああ」と一言。するとドトが腕組みをしながら唸った。


「解せん。あの石を使えるのは、神の権限を持つ者――つまりルーラーだけだと聞いている。どこの誰とも知れぬお主に、何故それが出来る?」


 鋭く、僅かな敵意すら見せるドトの眼差しを、しかしユウは平静のまま見返した。


「僕の名前はユウ。――『ユウ・テン・アルゲンテア』だ。それで解るか?」


「アルゲンテア?」と目を細めるドトの横で、フェルマンは唖然とした表情でユウの顔を見つめる。


「その名前は開拓市の……では貴方は――」


「どういうことだ?」とドト。


「……この世界にある6つの開拓市、ヨルゲンセン、ヒミカ、テネブラエ、アルゲンテア、オルキヌス、パンドラは、それぞれ神の名が由来になっていると、創世の書物『界変記』に記されている。つまりその名前を持つ者は――」


絶対者ルーラーだと?」


 驚愕と怪訝が混ざった声を上げるドト。下を向いて座っていたエリオンもまた、顔を上げて、隣に座るユウの姿をまじまじと見直した。


(この人が――神様の一人……?)


「信じるかどうかは君らの判断に任せる。だが実際にデバイス石が使われたことは、君らも確認しただろう。理由と使い道は話せないが、少なくとも僕の基準では、正しいことをしたと云える」


「………………」


 誰しもにわかには信じられぬといった表情ではあったが、ユウが言った事実に関しては間違いなかったし、安易に異議を唱えることは出来なかった。

 暫しの沈黙の後、ユウは皆がそれなりに納得したと見ると、改めて口を開く。


「僕がこのティルニヤに来た理由はひとつ。ここにいるエリオンだ」


「エリオンが……? 何故?」とフェルマン。


「君らが気付いているかは知らないが、彼には特別な力がある」


「特別な力? それはグレイターの――?」


「いや、もっと異質で強い力だ。その力は世界に大きな影響をもたらすだろう。たとえ彼自身が、それを望まなくても」


 チラリとユウが横に目をやると、エリオンは机の下で拳を握っていた。


「――正直、何故彼がそんな力を持っているのか、それは僕にも解らない。だが今大事なのは、その理由よりもそれをどう使うかだ。だから僕は彼を連れて行く」


「連れて行くだと? 何処へだ?」とドト。


「それは知らない方がいい。彼についての情報を持っていると、君らに危険が及ぶ可能性がある」


「危険など知ったことか。エリオンは俺の息子だ」


 ドトは、相手が神であると知りながらも、引き下がる様子を見せなかった。それは彼のエリオンへの愛情が、神への信仰よりも強いという証である。そんな彼の姿は逆に、エリオンの未来を懸念していたユウにとっては、希望のように感じられたのてあった。神の権限を与えられた少年――言い換えれば、誰とも分かち合えぬ孤独を課せられた少年が、それでも愛によって育てられたという、揺るがぬ事実を知ることが出来たからである。


 ユウは安堵するように微笑むと、真摯な瞳でドトと向き合って言った。


「心配はいらない。エリオンの安全は僕が保障する」


 ハッキリと発せられた言葉は、宣託でもあり宣誓でもあった。その強い響きに、ドトは首を縦に振らざるを得なかった。


「……分かった。お主に――いや貴方に、息子の未来を委ねるとしよう」


「未来は常に本人の意志と共にある。僕は彼が道を外さぬよう、少し手助けをするだけだ」


「同じことだ。エリオンを、護ってやってくれ」


「勿論だ。ルーラーの名に懸けて誓おう」


 会話を終えてドトが歩み寄るとエリオンも立ち上がり、その大きな身体に飛び込んだ。彼の頭を丸々包み込めそうな手で、ドトは優しくエリオンの頭を撫でる。並外れたその巨体の上の、小さな瞳から、一滴の雫が密かに零れていた。

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