第23話 旅立ち
晴れやかでもなく、かと云って暗雲が立ち込めているでもない、灰色を僅かに交えた雲と
「ありがとうございました」
「心配は無いだろうが、旅の無事を祈らせてもらうよ。――
そう唱えつつも、フェルマンは失笑を隠せなかった。
「いやすまないね。
「まあたしかに」と、エリオンも笑う。
彼は厚手の綿の服の上に麻のシャツを着て、薬草や干し肉を小分けにした革袋を、腰や胸に備えていた。テントや鍋などの大荷物は、フェルマンが用意してくれた荷馬車に載せ、その馬車とそれを
「いいのかい? エリオン。ツキノには知らせなくても」
「いいんです。……本当はちゃんと別れを言いたいけど、彼女に言えばきっと――」
「一緒に行く、などと言いかねないかね?」
「ええ多分」と、エリオンは困ったように笑ってから辺りを見回す。
「ところでドトは? 来てないんですか?」
昨夜の晩、彼と幼い頃の想い出を語り合っていた時には、「明日の出立は見送りに行く」などと話していたものの、その姿はどこにも見当たらない。するとフェルマンが気不味そうに頬を掻いた。
「ああ、そのことだが……すまない」
「――?」
「昨日、君が蟻塚を出ていくという話をした時に、ほら――彼は泣いていただろう?」
「え? そうなんですか?」と、意外そうにエリオン。彼はドトの涙など一度も見たことがなかった。
「それでついそのことを指摘したら、どうやら彼の機嫌を損ねてしまったようだ。今朝がた『別れはもう済んだからいい』などと言って、どこかへ行ってしまった」
恐らく、見送りに来たらまた涙を堪える自信が無いのだろう――というのが、彼をよく知るフェルマンの推測である。
「そうなんだ……」と、エリオンは少し残念そうに呟いたものの、確かに別れの言葉なら昨夜充分に交わした、と思って納得することにした。
「じゃあ僕はこれで。――行ってきます!」
「ああ、良い旅を」
元気良く走り去るエリオンの後ろ姿を、フェルマンは微笑んで見送る。そしてそのまま呟いた。
「手短な別れで助かったね。姿隠しの魔法はそう長くは続かない。まったくオークというのは素直じゃないな」
すると彼の隣の高い位置から、軽い咳払い。
「放っておけ。それと、この話は他の者にはするんじゃないぞ?」
「分かっているさ。しかし――」
二人の視線の先でエリオンは、ユウに軽く頭を下げてから、いそいそと荷馬車の御者台に乗り込んでいる。
「良い人間に育ったね、彼は」
「うむ。あいつは俺の自慢の息子だ」
ドトの声はその言葉通り、確かに誇らしげであった。
***
高い木々が視界の上を塞ぎ、蟻塚の姿が隠れて見えなくなった頃である。御者台にエリオンと並んで座っていたユウが、前を向いたまま問い掛けた。
「それで君は、どこまでついて来るつもりなんだい?」
その質問にエリオンが首を傾げる。すると、
「バレてたんですか?」とツキノ。
行商人が使う厚手のマントを羽織った彼女は、きっちりとした旅の装いであった。
「勿論だ。最初から気付いていたよ」
それを聴いて、ばつが悪そうに笑って誤魔化すツキノは、しかしすぐに御者台に上半身を乗り出して、エリオンに詰め寄る。
「なんで私に黙って出ていくのよ? サヨナラも無しだなんて、あんまりじゃない」
無論その答えは「こうなるから」であったが、エリオンはそれを口に出す代わりに、大きな溜め息を吐くだけであった。
「それでアナタ、蟻塚を出て一体どこに行くつもりなの?」
ツキノにそう問われて、エリオンはユウに目を向ける。彼自身もまだ、これから何処に向かい何をするのか、それをまだ知らされていなかったのである。
するとユウが答えた。
「海を渡る」
「? ――海を?」とエリオン。
「ああ。この森を北に抜けて、港湾市から『ゲの海』を渡って、東の大陸にある学園市に向かう。そこが最初の目的地だ」
「学園市……? 聞いたことのない国です」
エリオンが確認を取るようにツキノと目を合わせると、彼女もまた小首を傾げてみせた。
「ティルニヤとは交流が無いからだろう。鉱山市はティルニヤ以外にもあるからね」
「なるほど……(そういえばドトが言ってたっけ)」
「学園市ネオネストは小さな国だが、世界中のグレイターや魔法使いが集まり、各々の能力の開発や研究をしている、開かれた学徒の国だ。そこへ行き、君の
「力の――使い方……」と、己の手を眺めるエリオン。その横でツキノが目を輝かせる。
「じゃあ、そこなら魔法の勉強も出来るんですか?」
「勿論。ネオネストには、魔法使いを育てる為の学校もある」
その言葉に「やった!」と、拳を握るツキノ。
「じゃあ私もそこまで一緒について行くわ! この機会を逃したら、絶対に後悔しちゃうもの!」
「………………」
やっぱりな、という表情のエリオン。果たして彼の懸念は現実となりつつも、しかしとびきりの笑顔ではしゃぐツキノを見て、エリオンは自分の中の暗い影が、眩い光によって除かれていくのを感じていた。
***
広大な荒れ地に打ち付ける雨――そこに響く重圧な轟音は、しかし雷のそれとは違う。
長さ3キロに渡る列車の如き要塞。前中後と3つに分かれた四角い車両は、1つの動力輪が直径20メートルを超える、巨大な
――戦略要塞車両『ミドガルズオルム』。殊能者統括戦線モリドの、移動式軍事拠点である。大気を揺らす音の正体は、その大蛇の如き怪物要塞の走行音であった。
滝の中に洞窟が現れるように、ミドガルズオルムの最後部にある背面ハッチが、激しく雨水を流しながらじっくりと時間をかけて開く。その入口から伸びたスロープを、3騎の機械馬が勢いよく昇っていった。
「お帰りなさいませ、大佐」
機械馬の厩舎、或いは駐車場とも云えそうな、灰色の格納庫。敬礼で彼らを出迎えたのは、黒い士官服の男性であった。――真横に向けて整えられた黒髪と、生気が失われた様に青褪めた肌をした、妖しく
「敵は機甲巨人であったと聞いております。ご無事で何よりでした」
青年が微笑むと、その唇の隙間に真っ白な牙が覗く。そしてその瞳は不気味なほどに赤く煌いている。
ゼスクスは、降りた機械馬の
「浮かない顔だな、シュセツ。俺が死体で戻らなくて不服か?」
「……ご冗談を。ゼスクス大佐に対する私の忠誠は、岩の如く揺るぎないものであります」
真面目な顔で応じてみせる青年シュセツを、ゼスクスは鼻で笑った。
「岩など俺の刀の前では紙も同然だ」
「…………」
辛辣な返しに、シュセツは無感情な赤い眼を向けるだけ。それを一瞥するゼスクス。
「野心が透けて見えるぞ、吸血鬼。――瀕死の貴様を拾ってやった恩を忘れるなよ?」
「……心得ております」
(第一章・終)
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