第11話 結晶蝶の夜

「ほらエリオン、早く早く!」


 ツキノが急かしながら服の袖を引っ張るので、エリオンは手に持った蜥蜴とかげの串焼きに齧りついたまま、よたよたと横に足を絡ませた。


「ちょっ――ツキノっ」


 慌てて肉を頬張るが、口からは焦げた細長い尻尾がはみ出たまま。


「おいはん、ごひほーさま!」と露店の店主に手を振り、エリオンはツキノに続いて駆け出した。


「おう! 毎度あり!」


 威勢の良い返しを後目に、人混みを掻き分けて走る二人。ツキノの背中にエリオンが声を投げ掛ける。


「リフト使わないの?!」


「あんなの並んでたら、いい場所取られちゃうわよ! 途中まで階段っ!」


 行列を次々と飲み込んでいくリフトの横を通り過ぎ、エリオンとツキノは最下層から次の層、また次の層と、不規則に点在する石の階段を最短ルートで駆け上がっていく。そして5階層まで来ると、今度は壁に沿った細い回廊を、植木や荷箱を器用にかわしながら走り抜ける。


「西のリフトなら空いてるわ!」とツキノ。


 彼女の読み通り、大門の反対側にあるリフトは殆ど無人に近かった。二人は迷わずそれに飛び乗り、勢いで揺れる床板を鎮めるように、手摺りを掴んだ。


「間に合うかな?」


「多分ね」


 肩で息をしながら、エリオンとツキノは互いに笑顔を見合わせた。


 ギチリギチリと音を立て、ゆっくりと昇っていくリフト――。丸く切り取られた星空は徐々に大きくなり、上層の広場に敷き詰められた水耕農場プラントを抜けて、二人を乗せた板はやがて最上階へと辿り着いた。

 そこから観える光景に、ツキノが「わあ」と思わず感嘆の声を上げた。


 視界に広がる大地。砂漠と森、そして雄大な山脈に降り注ぐ様な星。雲は無く、空気は驚くほど澄んでいた。


「凄い景色だね……」


 エリオンは無意識にツキノと手を繋ぎ、彼女をエスコートするようにリフトから降りた。

 ――蟻塚の最上階には建物が無く、外周は胸の高さ程の石壁で囲まれているだけ。そこは約800メートルという並外れた高さであるものの、蟻塚の周囲にはフェルマンが施した魔法の結界があり、それが強風や極端な寒暖から内に住む人々を護っていた。

 二人はまだ人影もまばらな外周の縁に歩み寄り、そこから改めて壮大な景色を堪能する。


「私、夜の世界ってもっと怖いものだと思っていたわ」


「明日は感謝の日だから、きっと神様が怖いものを追い払ってくれたんだよ」


 エリオンはそう言いながらチラリと横に目をやる。――仄かに青い、大きな月の真ん中に、可憐な幼馴染の横顔。それに見惚れたエリオンの口から、思わず感想が漏れた。


「――綺麗だ……」


「え?」とツキノが振り向くと、彼は口を開けたまま慌てて手を振る。


「あ……えっと、ほら、その、月がさ? 近いといつもより綺麗に見える」


「……ええそうね、今夜は特に。『青の月』だし」


「う、うん……」


 なんとか誤魔化したエリオンは、石壁に突っ伏して安堵の溜め息。そのまま暫くしたところで、ツキノが大きな声を上げた。


「わあ! 見てエリオン!」


「?! な、なに?」


 顔を上げたエリオンが、瞳を輝かせるツキノの視線を辿ってみるとその先には、大地から滲み出る小さな光。


「始まったわ」


 見渡す限りの砂漠や森や山々、その至るところから次々と湧き出てくる光の粒。それは瞬く間に地平の果てにまで拡がり、まるで星空を地上に写し取ったかの様な、幻想的な光景であった。

 そして光の群れは徐々に上へと昇ってきて、彼らの高さに近付くに連れ、その正体が見て取れる。


結晶蝶けっしょうちょうだ……」とエリオン。


 光を放っていたのは、その身が輝結晶クリスタルによって構成された蝶であった。おびただしい数のクリスタルの蝶が、自身を輝かせながらヒラヒラと飛んでいるのである。


「これが――」


 それは20年に一度、感謝の日の前夜に起こる現象。この一なる世界の人々が『結晶渡り』と呼ぶ自然現象であった。

 結晶渡りは、長い年月、権限による設定が成されずにいたデバイス石が、自発的に蝶の形へ転じ宇宙そらへと昇っていく。そして蝶達はやがて月へと渡り、月の一部となって再び眠りにつく――そういう言い伝えである。


 いつの間にか最上階は、それを見に上がってきた人々で埋め尽くされていた。そして彼らは皆、世界が魅せる圧倒的な美しさに言葉を奪われ、星天を巡る光の蝶をただただ見守るだけであった。


「世界がこんなに美しいなんて。まさに『ルーラーは与え給う』だわ」とツキノ。


「うん……本当に。――アルテントロピーに導かれんことを」


 エリオンは感慨深く頷いて祈りの言葉を口にした。そしてその想いが伝播するように、他の人々も皆が皆、彼と同じ台詞を呟いていた。



 ***



 最後の蝶を見送り、空が銀河を、地上が再び宵闇を取り戻した頃。


「綺麗だったね」と、笑顔のエリオン。


 彼はツキノの手をそっと握り、リフトへと足を運ぼうとした。しかしツキノがその歩みを止めた。


「エリオン――、あのね」と俯くツキノ。


「?」


 エリオンが振り返ると、彼女は暫くもじもじと下を向いていたが、やがて意を決したように口を開く。


「……あのね、私、アナタのこと――」


「…………うん」


 感動の時間を共有したことで訪れる、甘い緊張感。足踏みする台詞にエリオンは続く言葉を察した。二人の心臓が、トクンと高鳴る。

 だがしかし、ツキノが「私――」と言いかけた時であった。エリオンは彼女の後方、遥か先の地表で何かが輝くのを見た。


「?」


 それが何であるかを彼が理解するよりも速く、光源から刹那の間に飛来する鉄の塊。


「――ッ?!」


 蟻塚の手前、視えない壁に遮られるようにして空中に生じた爆炎、爆音、そして爆風――。それは遠距離から殊能によって放たれた砲弾。そしてそれが、エリオンらの運命を示す、忌まわしき最初の狼煙でもあった。



 ***



 望遠の暗視スコープを覗く兵士は、着弾地点が目標より手前にズレたことを確認して言った。


「――誤差30メートルで着弾確認。魔法による不可視防壁と思われます」


 見張り場を襲った兵士達と同じ服と装備。言わずもがな、殊能者グレイターの特殊部隊『モリド』である。


「射撃を継続しろ。あの規模の防御魔法、いつまでも保ちはせん」


 鷲のくちばしの如くうねった形の黒いヘルメット――謂うなれば黒面を被った男は、部下にそう告げると、刀を背に颯爽と機械馬に跨る。


「了解しました」と、数人の兵士がその場に留まり、2名は機械馬へ。


 そして仮面の男ゼスクスが、手綱の様に曲がりくねったハンドルを引くと、彼を乗せた機械馬はいななきとともに走り出した。

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