第10話 襲撃

 前夜祭で賑わう蟻塚から、5キロメートル程離れた森の中。虎や狼のほか、小人鬼ゴブリンなどのモンスターを警戒する為に建てられた見張り場。背の高い丸太の柵で囲われた敷地の中には、小さな木造の平屋と小高い見張りやぐらがあった。

 その櫓に備えられた椅子に腰掛け、小さな酒瓶を片手に、のんびりと夜風を浴びる男――ティルニヤと謳われる弓使いのギネは、エルフである。緩やかな風に擦れる木々の葉と、小夜啼鳥さよなきどりのチヨチヨという歌声に耳を澄ましていた彼は、間もなく訪れた異変をすぐに感じ取った。


「………………?」


 今しがた夜の静寂しじまを奏でていた森の声が、突如消えたのである。

 ギネは腰を上げ、立て掛けていた弓と矢筒を取ると、櫓の柵に近付いて再び耳を澄ます。鋭敏な聴覚を持つエルフ特有の尖った耳は、しかし鼓膜に何の振動も伝わらないという異変を彼に伝えるだけであった。


(おかしい……静か過ぎる……)


 ならば視覚よと、目を細めて周囲をめ回す。すると月明かりの下、見張り場の横を通る細道に動く影を見つけた。ギネは弓を構えながら目を凝らし、その影に向かって声を発した。


「……?!」――つもりが、その口からは何も出ない。


 次の瞬間、黒い人影から放たれた無音の弾丸が、ギネの額に風穴を開けた。引き絞られていた弓は、彼の絶命とともにあらぬ方向へと矢を放ち、彼の身体は前のめりに櫓から落ちる。その一連の出来事でさえ、何ひとつ物音を生むことはなかった。

 彼を殺した人影は、ヘッドギアのバイザーに映し出された緑色の視界の中で他に監視がいないことを確認すると、ハンドサインでそれを示す。直後に後方の草むらから、全身黒のバトルスーツを着た兵士達が数人、身を低くして長方形の銃を構えたまま飛び出してきた。

 彼らは迷うことなく、素早い動きで丸太の柵に身を寄せる。そして兵士の一人が銃を背中に回し、両手を柵にピタリと当てた――すると数秒と経たぬうちに、連なる丸太の一部が四角くくり抜かれた様に消滅。その穴から残りの兵士が雪崩込む。



 ***


 

 平屋の中では、二人の男が小さな暖炉の前でささやかな宴を開いていた。一人は人間、もう一人はずんぐりとした体型のドワーフである。


「まったく、前夜祭の晩に見張りとはツイてねえなあ」


 木のコップに注いだ果実酒を景気良く飲み干し、男は並べられた肉の塩焼きに手を伸ばしながら言う。


「そう言うな。明日の祝祭にゃ皆出られるんじゃ。それにこうして、ドトの旦那からの差し入れだってあるしの」とドワーフ。


「まあそりゃそうだが――そういや、ギネにも塩肉こいつを分けてやらねえとな。……アイツ肉食うかな?」


「エルフだってたまにゃあ肉ぐらい食うじゃろ。よし、儂が持って行ってやる。酒は残しとけよ?」


「できたらな」と、男は酒瓶をこれみよがしに持ち上げて言った。そしてドワーフが料理を木皿に移し、それを持って笑いながら扉を開けると。


「ん?」


 ――目の前に銃口。


「!? だ――」


 青白い電流によって押し出された弾丸と銃声が、彼の末期の言葉を遮った。突かれたように仰け反り、額から振り撒かれた鮮血が弧を描く。木皿と料理が落ちる湿った音。


「ワズルっ! お――」


 男が無残に散るドワーフの名を呼んだ次の瞬間、彼にも同様の結末が待っていた。酒瓶やテーブルを巻き込んで、けたたましく崩れ落ちる。


「………………」


 数秒で再び夜の静けさを取り戻した空間へや――。襲撃してきた黒ずくめの兵士は、口元のマイクに向かって淡々と告げる。


制圧完了オールクリア


 すると扉の外で周囲を警戒する兵士の間を抜けて、女性と思しき一人がズカズカと平屋に入ってきた。

 ヘッドギアの後ろに深緑の長い髪を束ねた彼女は、暖かな部屋の惨劇を一瞥するとおもむろにバイザーを上げた。


「交代の者が来るかもしれん。一人はここに残れ。デバイス石があれば回収しろ」


 冷たい声。冷たい眼差し。顔立ちは綺麗に整っていたが、それは蝶や花の如くというより、月光を映す抜き味の刀に似た、冷たく危険な美しさであった。


「……感謝の日か。――忌々しい」


 血溜まりに溶け合う酒と床に散らばる料理を見つめ、女はそう吐き棄てた。



 ***



 前夜祭を楽しむ人々の笑い声や陽気な歌声、そしてつい踊り出したくなるような楽器の音色は、最下層の広場から中層のフェルマンの家にまで、遠い潮騒の如く響いていた。

 それをさかなと盃を傾けたドトは、凶暴な牙を備えた口から吐息を漏らす。


「――それで? 話というのは何だ?」


 元々大した広さでもないフェルマンの部屋は、ドトの巨体によって更に圧迫されている。エリオンやツキノであれば充分な大きさの椅子が、岩塊のような彼の重さに軋んだ。


「彼について」とフェルマン。


 対面に座った彼は、赤い果実とハーブが入った広口のガラス瓶からコップへ、爽やかな香りが漂うお湯を注ぎ、そこに砂糖を少々。――これは魔法使いが好んで飲む『セラハみず』という飲み物である。


「エリオンか……。親の俺が言うのもなんだが、あいつは素直で聞き分けの良い子だ。頭も回る。もし何かしでかしたなら、あいつなりに理由があったのだろう」


「そういう話ではないよ、ドト。彼の行動に問題は無い。多少好奇心が先走ることはあるが、それはあの年代であれば当然の事だ」


「では何の話だ?」


 ドトは盃を置くと、座りながらも見下ろすように、フェルマンの顔に目を向けた。


「先日、私は彼とツキノに魔法の手解きをした。魔法陣を使った実践練習だ」


「ああ」


「だがその時彼は、魔法を全く使えなかった。それどころか魔素にすらアクセス出来ていない様子だった」


「…………だろうな」と言ってから、ドトは再び静かに酒を飲む。


 驚きも困惑する素振りも見せぬ彼に、フェルマンは僅かに目を細めた。


「ドト、君は知っていたのか? 彼が――」


「グレイター、か?」


「…………」


 フェルマンは黙り、問い掛けるような視線でドトを見つめる。するとドトは溜め息とともに口を開いた。


「確信があった訳じゃない。ただそうであってもおかしくはない、と思っていただけだ。最初からな」


「最初?」と、眉をひそめるフェルマン。


「では彼が森で行き倒れていたのを助けたという話は――」


「嘘だ。あいつは採掘中の山で見つけた。デバイス石の鉱脈の中で眠っていたんだ」


「鉱脈の中で……?」


 フェルマンが怪訝な顔でドトを見つめると、彼は少し考え込んでから首を振った。


「いや、違うな――。正確に言うなら、。だからもし、あいつにそんな殊能ちからがあったとしても驚きはせん。むしろその方が得心がいく」


 そう言ってから、ドトはおもむろに立ち上がり出口へと足を向ける。


「――だがエリオンがグレイターであれ、或いはであっても、あいつは俺の息子だ。もしあいつに害を為すものがあれば、俺は命を賭けて守る。それだけだ」


 背中越しに台詞を残して立ち去るドト。フェルマンはそれを黙って見送った。

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