第5話 暗雲

 僕とツキノが『登録の儀』を終えてから、1週間が経った。儀式によってデバイス石の操作権限を得たことで、僕らは成人として認められ、他の大人達と同じように蟻塚での仕事が与えられた。


 僕に任されたのは、リフトの滑車を点検して修理する仕事。修理とは云っても、特別な技術はほとんど必要無い。劣化している箇所を見つけてから、そこに売り物にならないような小さいデバイス石の欠片をだけで、あとはデバイスが勝手に結合して直してくれるからだ。それでも毎日動き続ける計64個もの滑車を見るのは一苦労で、全部を細かく点検して回るのには4日もかかる。休みの日にはドトの手伝いもしなくちゃいけないし、大人っていうのは僕が想像していたよりずっと大変なんだと実感した。


 一方のツキノはと言えば、元々料理好きなこともあって、彼女は下層にある食堂で料理人の見習いとして働いていた。

 毎月訪れる行商人から仕入れた香辛料、ドト達が交易所で交換してきた大量の食材、狩り師の人が森で獲ってきた獲物などを使って、働く皆に昼食を振る舞う公益食堂だ。好きな事とは云え彼女は彼女で、やはり僕とは違った苦労が沢山あるんだろうというのは、今なら容易に想像がつくようになった。



 ***



 レンガの如く積み重ねられた住居によって円筒を成している蟻塚は、筒の外側が壁と窓、そして内側に建物の出入口とそれらを繋ぐ回廊が、各階層毎にぐるりと一周、の様に設けられている。

 筒の中程と上部にはその通路が大きく広げられている階があり、上層の広場は水耕栽培のプラント、中層の広場は集会や憩いの場として用いられていた。


 上下の移動手段は、点在する階段や梯子の他に、リフトと呼ばれる大人20人程が乗れる設備が東西南北に1基ずつ。これは四隅をワイヤーで吊られた床板が多数連なり、滑車によって常にゆっくりと動いている、謂うなれば自動昇降機エレベーターであった。無論その低速さ故に、下層から上層までの移動ともなればそれなりに時間を要するものの、そもそも蟻塚の住人達の生活はそれを許容出来るだけの緩やかな、そして穏やかなものであった。



 ***



 蛇口を捻ると擦れた音が鳴り、不格好に歪んだ配管パイプから勢いよく水が飛び出す。それを手で掬って一飲みした後、水流の中へと頭を突っ込む――。頭頂部に溜まった熱が流されていくと、エリオンは頭を上げた。


「ふぅ」と一息。


 中層の広場に丸い空から刺すような陽光――。エリオンがその眩しさに目をしかめながら、しっとりと頭に張り付いた虹色の髪を手櫛で掻き乱していると、彼の横を子供達が笑いながら走り抜けていった。


「わぁ虹だー! エリオンの頭から虹が飛び出したぞー!」


 プラントで撒かれた水が霧となって舞い降り、エリオンの振り払った水飛沫と重なって、彼の頭上には虹が出来ていた。

 子供達を笑顔で見つめるエリオンの横で、水桶を抱えたツキノが声を張る。


「こら、アナタ達、そんなトコ走っちゃ危ないでしょ!」


 すると「わー! 白オークが怒った!」と叫びながら一目散に逃げ去る子供達。――大きな溜め息を吐くツキノ。


「はぁ、まったくもう……誰が白オークよ」


 怒り半分、困り半分といった表情で白い髪をかき上げる彼女は、無論オークなどとは似ても似つかぬ、愛らしきつぼみがようやく開花を迎えたところの、可憐で素朴な少女である。

 そんな彼女を見て、エリオンがクスリと笑った。


「あ、笑ったわね? エリオン。まさかアナタまで私をからかうつもり?」


「いやいや、そんなことないよ。ただ皆元気だなと思って。それに僕はオークを怖いとは思わない」


「フォローになってないわよ。――それよりアナタの体調はどう? 2日も寝込んでたのに、水なんて浴びて大丈夫なの?」


「もうすっかり元気だよ。さっきリフトの修理も手伝わせてもらったんだ。歯車が擦り減ってただけだから、デバイスを塗っただけだけど」


「そう、なら良かった」


 嬉しそうに微笑むツキノに、エリオンは「あ」と思い立ったように自分の懐をまさぐる。


「そうだツキノ、これを君に――」


 エリオンは懐から薄い小さな薄革の包みを取り出すと、それをツキノに差し出した。


「なに? これ」


「修理で余った石をサハルさんから貰ったから、ちょっと作ってみたんだけど……」


 そう言って照れ臭そうに微笑むエリオンの顔と、手渡された包みを交互に見ながら、ツキノはおもむろにそれを開く。すると彼女の瞳が丸くなった。


「これ――カチューシャ……」


 淡い紫色を基調に、白の花蕾からいつるをモチーフにした流線の柄。可愛らしい細身のカチューシャを見て、ツキノの言葉が止まった。


以前まえに欲しいって言ってたよね? 一から作るのは初めてだから、あんまり上手に出来なくて……。でも大きさはきっと――」


「ありがとう! エリオン!」


 ツキノが勢いよく抱きついた反動で、エリオンがわっとよろける。小さな頭からフワリと漂う太陽の匂い――少女の香りに鼻腔をくすぐられて、エリオンは思わず顔を背けた。


「き、気に入ってくれた……かな?」


「もちろんよ、とっても素敵! ありがとう!」


「そ、そう……良かった」


 エリオンは、喜色を露わにはしゃぐツキノをそっと引き剥がすと、真っ赤な顔で俯いて頬を掻く。


「じゃあ僕はこれで……。ドトに呼ばれてるから」


 そそくさと逃げ出すように背を向け、足早に立ち去ろうとするエリオン。それをツキノが呼び止めた。


「エリオン!」


「?! ――な、なに?」


「私、今度フェルマン先生に魔法を習うの。良ければアナタも一緒にどうかしら?」


「魔法? でも僕はエルフじゃないし――」


「私だって人間よ。でも素質があるかどうかはやってみないと分からないって、先生が言ってたわ。アナタ手先が器用だし、きっと出来るわよ」


「き……(器用さは関係ないと思うけど)」


 などと思いながらも、折角取ったツキノの機嫌が損なわれるのを恐れて、エリオンは異論を飲み込んで笑顔を返した。



 ***



 エリオンが自宅に戻ると、奥の部屋から、のみを叩く硬い音が聴こえてきた。彼は聞き慣れたその音の許へと向かい、大きな背中を丸くして机に向かう父親に、後ろから声を掛ける。


「ドト、何か用?」


 するとドトは手を止め、金槌をゴトリと置いて振り返った。厚手の前掛けと、その左目には片眼鏡。それは彼が、デバイス石の検品作業――石にのみを打ち付けてみて、容易に傷が付くほど密度が低く、売りに出せぬ結晶を弾いていく、そんな作業を行っていた証である。

 彼はエリオンの訪れを、小休止の契機けいきとしたらしく、眼鏡を外し、脱いだ前掛けを机の横へ無造作に放った。


「すまんな、エリオン。こいつを見張り場のワズルに届けてくれるか」


 そう言って、足元に置いてあった大きめの皮袋を、エリオンに軽々と手渡す。


「ヘビシラズの実だ。少し重いぞ」


「ワズルさんだね? 大丈夫だよ、これぐっ……らいっ、なら!」


 ずっしりと木の実が詰まった袋を、エリオンは振り回す様にして肩に担いだ。若干ふらついた彼に、ドトが思わず手を伸ばす。


「少し減らすか?」


「ううん、平気平気。僕だってもう大人なんだから」


 歯を噛み締めて笑うエリオンの、か細い乙女の様な身体は、ドトのそれと比べれば巨岩と小枝である。


「雲行きが怪しい。気をつけてな」


 ドトは心配を表に出さぬよう微笑むと、彼の頭を優しく撫でる。そしておぼつかぬ足取りで出ていく息子の背中を、愛おしそうな表情で見送った。

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