第3話 アイオドの樹

 ――当たり前のことだけれど、この世界には神様がいる。それは『絶対者ルーラー』と呼ばれる造物主。この世界を創り出し、護ってくれているという神様だ。彼らは宇宙を創り、あらゆる法則を取り決め、色んな種族を世界中に散りばめたと伝えられている。人間、エルフ、ドワーフ、機械人きかいびと、精霊、モンスター、殊能者グレイター――色々だ。

 そしてこの世の全ての物は、その神様が創り給うた、たった一つの物質から出来ている。石も草も水も空気も――そして僕ら人間も。僕らはその物質を『創元素デバイス』と呼んでいる。


 デバイスは元々、それがが定められている物だ。例えば水として存在するデバイスは、から水として振る舞う。それがこの世界の絶対ルール、この世界の在り方だ。

 だけど世の中には例外も存在する――。つまり、まだ何の設定もされていない状態のデバイスがあるということ。『デバイスいし』と呼ばれるその無垢な物質の結晶は、足りない物を補う為の、神様からの贈り物。ちなみに僕の父――オークのドトは戦士だけど、そのデバイス石の採掘士でもある。


 この世界の人間やそれに似た存在の亜人達は、デバイス石の在り方――つまりは形や性質を設定する為の、謂うなれば『権限』を持っている。でもそれは産まれた時からあるのではなく、15歳の成人の年に行う『登録の儀』というに儀式よって、デバイスを司る御神体『アイオド』から与えられるものだと聞いていた。他の町や国、或いは他の星でも同じかどうかは分からないけれど、少なくとも僕が住むこの蟻塚ではそうだ。


 そして僕と幼馴染のツキノは、今年で15歳を迎えた――。



 ***



 蟻塚の中層、円筒の内側にある集会広場には、天高く中央を貫くアイオドの樹へと続く一本道がある。その両側に立ち並ぶ、光を放つ細長い石柱が、宵闇の中に明るいトンネルを作り上げていた。

 道に沿って並んでいる人々――人間の老若男女、エルフやドワーフなどの亜人、オークや人狼といった半獣半人の者まで様々な種族が、粛々と真ん中を歩いていく少年少女を見守っている。紺と朱を組み合わせた儀礼服のエリオンとツキノは手を繋ぎ、微かな緊張を漂わせながらも、真っ直ぐにその光の道を歩む。

 その先に待つのは、彼らと同じ儀礼服を纏い、腰まで伸びた金髪から尖った耳を覗かせる、長身のエルフであった。頭に白磁の冠を載せ静かに佇む彼は、この蟻塚の長老を務めるフェルマンである。――風貌は20代後半程度の青年であったが、寿命300年以上とも云われるエルフの彼に、見た目通りの年齢を当て嵌めることは出来ない。

 やがて二人がフェルマンの前にまで歩み出ると、彼は柔和な顔に優しい笑みを浮かべて、二人にだけ聴こえるよう囁いた。


「緊張することはないよ、ツキノ。エリオンもね。登録の儀は誰しもが通る大人の世界への扉だ。難しいことも、何一つ危険も無い」


 そう言ってから両手を差し伸べると、エリオンとツキノは予め教えられていた段取りに従って、それぞれ片手を彼の手にうやうやしく乗せた。

 するとフェルマンは、今度はその場に集う皆に聴こえるようハッキリと、儀式の言葉を告げた。


「今日の年、今日の月、今日の時。神なるルーラーが遣わしたるアイオドの掟に従い、の者らの登録の儀を行う!」


 皆がゆっくりと頭を下げた後、参列者の一人が進み出た。その手には5センチ程の小さな黒い箱が2つ――。彼はそれをフェルマンに手渡すと、一礼してから再び列へと戻った。


「カラヌワの子、ツキノ」


「はい」と、ツキノが毅然とした態度で応じる。


「ドトの子、エリオン」


「――はい」


 フェルマンは二人にその箱を手渡し、右手をこめかみに、左手を胸に添えて言った。


「汝らの歩みが、神の御意志アルテントロピーに導かれんことを」


 その台詞を人々が同様に呟く。


「…………」


 エリオンとツキノは黙って、手渡された箱に付いたレンズのような半球を右眼に近付けた。するとほんの一瞬、そのレンズから極細の青い光が彼らの眼に射した。微かな違和感を覚えて二人は思わず何度か瞬きをしたが、すぐに、それ以上の変化は何も起こらなかった。


「では二人とも、樹の中へ――。アイオドに自分の名を登録してきなさい」と、フェルマン。


 彼は横に身を引いて、その後ろに巨大な壁の如くそびえ立つ、アイオドの樹の方へと二人を促す。

 広場と樹は、渡り廊下と呼ぶには少し心許ない細い橋で結ばれており、そこを渡って行かなくてはならなかった。とは云っても、蟻塚で暮らしている彼らが高さに怖気づくことはない。しかしツキノは臆する表情を見せないまま、そっと隣のエリオンに手を寄せて、彼の手を強く握り締めた。


(ツキノ……)


 エリオンがちらりと横を見ると、いつもは勝ち気な彼女の瞳に不安の色が浮かんでいた。しかしそれは、幼い頃から一番近くで育ってきたエリオンだからこそ読み取れる機微きびである。真面目でルーラーへの信仰心も強いツキノにとって、神聖不可侵と教えられてきたアイオドの樹への進入は畏れ多く、一大事なのであった。


「大丈夫だよ、ツキノ。――行こう」


「……うん」


 彼のささやかな励ましに頷いたツキノとともに、二人は足を踏み出した――。


 一歩一歩着実に橋を渡る。天地に広がる暗闇。時折下から吹き上げる冷たい風が、着慣れぬ儀礼服の裾を持ち上げた。その風以外に音は無かった。


(耳が、詰まる……)


 やがて樹の前――桟橋の如く迫り出した狭い足場へと辿り着くと、エリオンは視界を埋める銀の壁を見上げた。

 アイオドの樹の先は星空の闇へと溶けており、慣れ親しんだ金属の巨木はいつもより更に大きく感じられた。存在そのものが放つ圧力によって、夜が彼に向かって凝縮されていくような、そんな感覚である。


(アイオドの樹か――)


 それがいつから何の為に存在するのか――エリオンはそれを知らない。この世界が創られた時には既にこの形で存在していたとか、神の星ウィラのルーラー達が地に住む人々を見守る為のであるとか伝えられてはいるが、その真偽を問う術も無かった。しかしそれ故に、この樹の中に眠るというアイオドが、人智を超えた何かであるということは理解出来た。


 ぼんやりとした疑問と納得を抱えたまま、ツキノとともにエリオンが立ち尽くしていると、間もなく銀の樹皮はパキパキと音を立てて、その壁に2メートル程の穴がぽっかりと姿を現した。

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