001:その日の朝




 ――魔法使いは、夜に生きます。


   1

 

 四月。日本、稲並市いななみしが某所。午前六時という早朝の時間から、大上大河おおがみたいがはベッドから壮大に転げ落ちていた。

 いや、転げ落ちた、というよりは、落とされたの方が、ニュアンス的に正しい。


 「――……」

 「――……」

 「――あの、真希さん? なにしてらっしゃるの?」

 「なにって……踏んでいるのだけど、見て分からない?」


 と、心底不思議そうな表情で、当然のごとく答える妹の真希。ベッドから落ち、仰向け状態のまま寝転ぶ俺の腰を、グイグイ、と踏み散らしながらそう言った。


 「いや、分かるから。普通に見て分かるから。お前が真性のサディストだってことも、それはもう嫌ってほど理解してるから。だからそろそろ退けてくんないかな、マイシスター」

 「え、やだ……」

 「なにゆえに!?」

 「だって兄さん、その格好の方がずっと素敵に見えるんだもの」

 「いや、見えないよ! 妹に踏まれて悶絶する姿が輝く男子高校生なんて存在しないよ!?」


 ええ!? と、本気で驚いて心配する妹。なに、そんな風に見られてたの、俺?


 「――ごめんなさい。私ってばてっきり、兄さんはそういう趣味をお持ちの変態さんなのだとばかり思っていたわ……」

 「違います。至って健全です。そんな特殊な性癖を妹に披露した覚えはない」


 両手を顕わにして身の潔白を証明する。この時点で眠気など嘘のように吹き飛んでいたのだが、ここまで言われて黙っていられるほど、俺は寛容ではない。こうなったらとことん徹底的に、我が健全さを可愛くも愚かな妹に理解させてやろうではないか。


 「あら? 先程部屋に入る際、何かそれらしい寝言のようなものをブツブツと零していたみたいでだけど、記憶にないかしら?」

 「はぁ!? え、マジで? なんだよそれ!」


 本気で身に覚えがなかった。全くもって皆無だ。

 だが寝言――そうなってくると、些か自信が持てなくなるのも確か。ましてや記憶にないため、どんなことを口走り、失言してしまったのかもまるで分からない。


 「あの、真希様? わたくしめが口走っていた寝言とは、一体どのような内容だったのでしょうか……?」


 恐る恐る尋ねる。すると、口端をいやらしくにやりと釣り上げる妹。やだ、なんだか怖いよ、俺。 


 「――はぁ、仕方がないわね。理解力の乏しい兄さんのために、ここは私が一肌脱ぐとしましょう」

 「は? 一肌脱ぐ? 何をするんだ、一体?」

 「具体的にはそう、声真似よ」

 「へー、声真似すんのか。よし、いいぞ。聞かせてくれ。下手くそだったら笑うから。あぁ、そうだ。携帯のボイスレコーダーで録音していいか? 可愛い妹の声真似を、後世に残そうと思ってな」


 俺としては知り合いにでも聴かせて、辱めてやろうというささやかな復讐をするつもりではあるのだが、そうとも知らず、いいわよ、と快く二つ返事で応じてくれた。


 「ゴホン。――それでは……タイトル、兄さんの寝言。《ホラホラ、もっと楽しませなさい。そんな様子じゃ全然楽しめないでしょう。もっといい声で鳴きなさいな。養豚場の豚の方がよっぽど立派に鳴けるってものですよ。この豚野郎》――……だったかしら」

 「おい、それ絶対俺の寝言じゃないだろ」


 もしこれが俺の寝言だとしたら、それはもう友人に聴かせるどころの話ではなくなる。むしろ、俺の評判が悪くなるだけだ。


 「あぁ、ごめんなさい。間違えたわ。今のは私の寝言」

 「お前のかよ!! いや、薄々感づいてはいたが」


 口調とかで大体察してはいたが、末恐ろしいヤツだなホント。


 「まぁ、兄さんの本当の寝言は、とてもとても私のような見目麗しいか弱い女の子が口にしていい内容ではなかったから、真似しろと言われても無理な話なのだけど」

 「待って! そんなやばい内容の寝言口走ってたの俺!?」


 一体どんな恐ろしい寝言を妹に聞かれてしまったんだ!? すると、真希はクスリと微笑んでから、俺の傍まで歩み寄り耳元でソレを言う。


 「――ウ・ソ」

 「――……」


 語尾にハートマークでも付いていそうなほど甘い声に、一抹の殺意を覚えた今日この頃。

 説明を遅れたが、彼女は俺の妹なる存在、大上真希おおがみまきだ。真希は現在中学三年生で、稲並市では知らぬ者はいないとされる名門女子校、椚沢くぬぎさわ女子学院に通っている。――まぁ、兄とは対照的に、本当に良くできた妹ではあるのだが、いかんせん、コイツは性格面に問題があり過ぎる。

 今の一連の流れを見ても分かるように、真希は真性のドSだ。ことに、兄である俺をおちょくることが生きがいだとでも言わんばかりの執念ぶりで、それはもう幼い頃から大変な妹であった。


 「まぁ、ジョーダンはさておき。早く起きてくださいな、兄さん。コービーでも淹れましょうか?」

 「お前、ジョーダンと冗談をかけるのはまだしも、コービー・ブライアントをコーヒーやお茶か何かみたいに言うんじゃない。怒られるぞ」

 「そう。兄さんはコービーやレブロンのような大柄の点取りが好きなのね。悲しいわ」


 別にそいうわけではないが。――ていうか、さっきから何言ってんだ? コイツ。なんでこんな無駄にNBAの知識をつけているんだ? 補足しておくがレブロンはともかくコービーは大して大柄な選手と言うわけではない。よくて中の上だ。


 「まぁ、本当に冗談はほどほどにして、起きますよ。起きればいいんでしょう?」

 「当たり前よ。まだお仕置きが必要なの?」


 いいや、と苦く笑いながら呟いて立ち上がる。まったく、と呆れた様子で肩をすくめる真希。


 「先に降りてるから、兄さんも早く降りてきて」


 そう言い、扉を開くや否や早々と立ち去る妹をボウと見送る。

 時計の針を確認すると、六時過ぎを指していた。

 ふあ、と大きな欠伸を漏らす。妹が一階に降りたのを確認して、服を着替える。

 制服へ着替えるのなんざ、もう一年も高校へ通っていれば朝飯前もいいとこで、着替えるのに一分もかからない。我高独特のセンスのないクリーム色のブレザーを羽織り、階段を下りる。

 リビングに入ると、妹はソファに座ってテレビのニュースを絶賛観賞中だった。


 「あら、兄さん。早かったわね」

 「お前が早くしろって言ったんだろう。ベーコンと目玉焼きでいいよな?」

 「ええ。いいわ」


 そんな他愛もない会話を挟みながら、朝食を作る為キッチンに向かう。

 この家では基本的に、料理は全て俺が作る。それは単に、両親が海外出張中で仕方なく、という理由だけではなく、我が妹たる真希の、絶望的な料理センスのそれに起因している。

 妹、真希は料理が下手だ。それはもう絶望的に――壊滅的に、といえるレベルで。

 あれは多分、俺達が互いに小学生だった頃。俺が四年生で、真希が二年生だったかな。家庭科の授業で習ったカレーの作り方、それを披露したいと、真希が母の日を理由に台所に立ったのだ。お米を研ぐ際、洗剤を使用するなどは常套句。それだけにとどまらず、アイツは炊き上がった米にファ○リーズまで吹きやがった。

 加えてカレーのルー、コイツもとんだ厄災だ。後から聞いた話、真希の料理理論はどうも、『料理はスピードが大事。でないと鮮度がダメになるわ』らしく、コイツの料理にはバッチ式でなく連続式が採用されているらしい。

 通常、カレーのルーを作る際、それに応じた具材の加熱から始まる。火が通りにくい具材などから順に具材の過熱を行うのが一般的ではあるのだが――悲しいかな、我が妹はスピード性を重視する。


 『具材の加熱? そんなの全部まとめてやるわよ』


 あろうことか、コイツは水を張った鍋の中に具材の全てを生のままぶち込んだ。


 『兄さんたら、何を言ってるんだか。こうすれば具材の過熱とあく抜きと時間短縮が出来て一石三鳥じゃないの』


 言いたい事はわかるし全くもってその通りではあるのだが、いかんせん、それは救いようがないほど間違っているわけであり、実際に食した真希以外の俺達家族はみんな病院へ直行であった。

 この話の何が怖いって、一見して聞くだけなら、病院へ運ばれていない真希はカレーを食べてはいないのだと解釈できるのだが、誤解なきよう訂正しておくと、真希自身もこのカレーをちゃんと食べているのだというところが、夏の特番たるほ○怖などの心霊番組なんか比べ物にならないくらい身の毛もよだつ恐ろしい話だということだ。

 以上の理由から、妹に料理を作らせるくらいなら、俺は多少の手間さえ惜しむことは無い。そう言えば聞こえはいいのだろうが、その実それは、単純に己の命の心配をしているだけなのだった。

 余談挟みで尺もとれたし、朝食も出来上がった。ベーコンエッグを皿に盛りつけ、焼きあがったトーストと一緒にリビングへと持っていく。すると――


 「ん、なんだ。何かやってるのか?」


 俺が少し気になったのは、妹のテレビへの関心のそれであった。


 「いいえ。そういえば、兄さんもこの間、コレと似たようなコトを言っていたわねと、そう思っていただけよ」

 「……? コレってどれさ」

 「アレ」


 といい、やはりというかなんというか、テレビへと指を示した。

 食卓に朝食を置いて、妹の座るソファへと向かい、テレビを覗きこむ。画面に映し出されていたのは、先と変わらずなんら当たり障りないただのニュースだった。――が、ただ当たり障りないのは、ニュース番組のそれそのものだけ。問題は、報道されている内容にあった。


 「〝稲並市に巣食う妖怪〟?」

 「あら? 兄さん、この間そんな戯言を言ってなかったかしら?」

 「はぁ? あぁ? あぁ、あぁぁぁ……うん。言ったね」


 ほら、と得意げに口端を吊り上げる真希。一瞬、自分でもそんなこと言った覚えがなく、思わずあやふやな返しをしてしまったが――そう、確かに言っていた。ていうか、兄さんの話を戯言扱いしないで。


 「まぁ、そうか。あれはたしかに、妖怪とも呼べるもんな」


 だが、俺は決してアレを妖怪だなどとは言っていない。だから、一瞬身に覚えが無いように錯覚したのは、そのためだろう。それに、あれはどちらかと言うと。


 「ていうか、あの話は妖怪って言うより、どちらかと言うと――」



 『使


 

 と、俺が言うより先に、真希の口より語られた。俺の驚いた表情を眺めて、くつくつと微笑んでから、続けて言う。


 「《魔法使い》なんでしょ? やぁねえ、兄さんが言っていたんじゃないの。コレ」

 「あ、あぁ……」


 再び、あやふやな返事をしてしまう。一瞬、心を読まれたかのような感覚を覚えた……ビックリした。


 「さぁ、朝ご飯にしましょう。――はぁ、またベーコンエッグなのね。相変わらず、レパートリーの少ない人ね。こんなんじゃ結婚出来ないわよ」

 「うっせ。それに男は仕事さえ出来ればいいんだよっ」

 「あら、古い考えね。女の子はそれとなく家事の出来る男にトキメクものなのよ?」

 「は!? うそだろお前!」


 知らなかった? と付け加えてシャフ度で得意げに見下ろす真希。なんだこれ、すげームカつくんですケド。


 「なんで家事が出来ることなんかにトキメクんだよ。理由求ム。理由」

 「そうね。安直だけど、女の子って男の人の日常の何気ないしぐさや男らしさにキュンキュンしちゃう生き物だから」

 「安直だからこそ説得力があるっ!!」


 クソ、なんてことだ。俺がこれまでの人生で一度たりとてモテないでいたのは日常力の不足に起因していたからだったとは。とんだ盲点だったぜ。


 「いや。兄さんがモテない理由に関しては、それは単純に兄さんがキモいからだと思うのだけど…………これは言ったら酷だし、気の毒だから言わない方が吉みたいね」

 「お前、実の兄をキモいとか言うんじゃない。言われた兄としては、真面目に死にたくなるからやめろ。それに言わぬが吉、じゃねえ。もう言っちゃってんだよ。俺の遺書に動機として書き綴られるであろうその言葉を、もう言っちゃってんだよ!」


 バンバン、と机を叩きながら言う。はぁ、と真希は心底つまらなそうにため息をつく。


 「まぁ、その時は、私が兄さんを嫁にもらってあげてもいいわよ。かなり妥協して」

 「あれ、嬉しいんだけど、何でかな。悲しいや」


 その顔は、憐れみと蔑みの色で満ち満ちていたから。あと、そこはふつう嫁じゃなく婿だよな。それに俺達兄妹ですよ……。


 「さ、早く済まさないと、遅刻するわよ」

 「あ? ――あ、そうか」


 あぁ、忘れてた。せっかく制服に着替えたのに、それすらも忘れていた。


 「今日からまた、学校か」


 どこか恨み言のように、重く淀んだ声で、吐き捨てるように言う。

 四月。世間一般で言う、今日は始業式だ。小学校なり中学校なり高校なり、新たな学年のスタートとなる日。この少し特別な日に、これからの生活を思い期待を持つ人間は、多かれ少なかれ存在する。当然だろう。

 新たな生活の始まりに託す思い。それは、好きな人の隣になれたらいいな――とか、アイツと同じクラスになればいいな――とか、楽しい生活を送れたらいいな――とか、多種多様に、多岐に渡る。

 ――が、そんな中、肝心の俺は言うと、不安を身に募らせるばかりだった。



 『絶対に、見つけ出して――殺す』



 背筋が震える。澄んだ、錆びた鉄のように冷ややかな氷の声。


 「クソ。聞き違いなワケねぇよな……アレ」


 見間違え、なんてことも絶対に有り得ない。あれは正真正銘、事実。俺がこの目と耳で体験した、真実。

 俺が新学期に不安を募らせる理由――ソレを語るとなると、まずは一週間前のとある出来事を話さなければならなくなる。

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