第3話 「言い換えるならば密入国です」

「ナナミ君、ちょっと今ええかな?」


 背後からそのように呼びかけられたのは、私が本日の利用者様対応を三人ほど済ませた頃合いでございました。現世であればちょうど昼食の時間でしょうか。

 宇宙空間に市役所の設備が浮かんでいるような、とよく形容される冥界ですが、その外見からある程度予想頂けます通り死後の世界そのものに昼夜の概念はございません。太陽も月も、生者の世界にあるものは原則全て生者にしか関わることはありませんので、必然的にそれらを基準に置いた概念も冥界に干渉することはないものとされております。

 とはいえやはり私共のような冥界職員とて、集中力が無限に続くわけではございません。休息を取らねば仕事は雑になり、結果として死者の魂の管理がおろそかになってしまう事態も十分に危ぶまれます。

 そのため、休息の概念を取り入れるために時間の概念だけは現世を基準にして、冥界にも導入されておりました。以前同僚のハヤセさんが異世界転生をした際に「次の転生まで千年単位で順番待ち」と申し上げていたことがありますが、あれも冥界基準の千年ではなく「きっちりと現世の時間軸において千年先まで待っていただく」という意味合いですね。


 話が逸れてしまいました。

 ちょうど手が空いたばかりの私が振り返りますと、そこには背が低く背広姿の中年男性の姿がありました。


「どうかされましたか、クワヤマ課長」


 常に笑顔を欠かさず、少し訛りのある口調と気さくな雰囲気が特徴のその方が、当課の課長を務めている立場の方でございます。私とハヤセさんにとっては直接の上司とも呼べる立場の方で、当課に配属されて間もない頃は仕事を教わったりミスをカバーしていただいたりとお世話になった恩人ですね。

 とても人当たりが良く面倒見の良い方ではあるのですが、そうですね。

 惜しむらくは、頭髪の量が、少々。

 いえ、これ以上はクワヤマ課長の名誉にも関わりますので、私の口からはとても言えぬことでございます。これでも私は、気遣いのできる部下ですので。


「うーん、そろそろ出合い頭に僕の頭をジロジロ見るん、やめてほしいなぁ。遮るものがないから、視線が頭皮に刺さるのが分かってくすぐったいんよ」

「失礼いたしました。そのようなつもりは、全く」


 大変申し訳ない事をしてしまいました。苦笑いの課長から私はとっさに目を逸らします。決してそのような、失礼な事をするつもりはないのですが、しかし気を抜くと視線がそちらに吸い込まれてしまうのです。実に罪作りな頭頂部であるとだけ、言い訳をさせていただきましょう。


「まあええか。呼び止めた理由な、ちょっとこの後頼まれてほしい仕事があるんよ。ナナミちゃん今暇やろ?」

「ええ、まあ」


 つい先ほどまでは仕事がありましたが、ちょうど片付いたばかりでございます。

 ええ。今回の利用者様はあまり聞き分けの良い方ではございませんでしたね。最終的には「どうせ俺が死んだってのも嘘でドッキリとか嫌がらせとかだろ! 死後の世界がこんな場所でたまるか! 騙されねーよばーか!」と罵声を浴びせながら一般転生課へと転送されていきました。

 毎度のことではございますが、どうして私が担当する利用者様はこうも高確率で激怒されるのでしょうか。他の担当職員でも怒鳴られる方はいますが、明らかに頻度が私とは異なります。

 以前目の前の課長にも尋ねたことがあるのですが、普段面倒見のいいクワヤマ課長がその時に限って言葉を濁して回答を避けておられましたので、きっと難しい理屈があるのでしょう。


「任せたいお仕事、というのはどのような」

「あー、あれよ。特殊事例の子が来るねん」

「ああ」


 その一言で状況はある程度理解できました。納得する私に、クワヤマ課長も眉を緩やかな八の字にして肩を落とされました。


「ついさっき、うまい事引き戻せたのはええねんけど、あんまり時間と人手を割くわけにもいかんからはよ対応してくれって一般転生課の方からも言われててな」

「なるほど」

「頼める? 問題なさそうやったら今から向こうに連絡入れて、うちに転送してもらうけど」


 そう尋ねられて、私は一度自分の頭の中を整理してみました。

 こういった場合の対処マニュアルと説明事項も、一通り自身の頭の中に入っていることを確認してから頷きます。クワヤマ課長の表情がまた人懐っこい雰囲気の笑顔になりました。


「いやーごめんな、助かるわ。僕も別の用事でちょっと手が足りんくてさ」

「いえ、大丈夫です。それでは窓口前で待機しておきますので、こちらへ転送していただくようお願いいたしますね」


 私がそう言うと、クワヤマ課長は軽やかな足取りで自身のデスクまで戻っていきました。


 さて。

 実を言いますと私も、今回任された内容は経験がございません。というのも、以前初めて目撃した「異世界転生申請が通った利用者様」と同じくらいか、それ以上に珍しい事例であるためです。


 特殊事例、外部強制召喚による不法異世界渡航。

 および異世界での死亡による強制回収。


 当課設立以前に多くの事例が発生し、むしろ今は沈静化した案件でした。

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