第2話 ― 7
冥界は良くも悪くもお役所である、とここの職員になった元死者の方々は仰られることが多くあります。
私は元となっている「お役所」がどのような場所かを知らないため何とも答えようがないのですが、ハヤセさん含む元死者の職員達から伺った話を要約すると、融通がきかない・機械的である・常識的な倫理観より規定の手順が優先されるといった点を指して「お役所」と呼ばれているご様子。
であれば、徳の積み方とその計上の方法は「お役所」の最たるものと言えることでしょう。
「基本的には、利用者様が生きていた時代の文明・倫理観において正しい、立派だと思われる行為を進んで行うという行為が、徳を積む事となります。反対に悪事や犯罪は積んだ徳を損ねる行為とされておりますね。今回の件で言うならば、徳を損ねた後に徳を積む行いをされたとして、一般転生課では計上されたのではないかと思われます」
金銭を渡し、暴漢を女性にけしかけるのは当然褒められたことではございません。悪行としてまず徳を損ないます。ここまでは世間一般の倫理観とそれほど乖離してはいないでしょうが、問題はこの後でございます。
自身がけしかけた暴漢から、女性を救った。この後半部分だけを抜き取ってしまうと、冥界基準では一応の「善行」として機械的に記録されてしまうのでございます。私も姿は人間の女性と同じ構造だからでしょうか、この裁定は業腹であると言わざるを得ませんが、規約上の決まり事は変えようがございません。
唯一留飲を下げられるとしたら、前半部分の悪行が大幅に徳を損ねるために総合的には大した数値にはならない、という点でしょうか。それでも、塵のような小さな徳は積まれるわけでして、その塵は積もり積もれば山ともなり得ます。
そして、この利用者様はその塵を山ほど積まれてここへ転送されてきたのです。
「もちろん、全てが全てこのような類の物ではないようですね。道端のごみ拾いやボランティア、電車やバスでの座席譲り等……ああ、なるほど」
読み上げながら私は利用者様の行動の共通点を把握致しました。
どの行為も必ず、他者が見ている場でのみ行われているのです。
「世間体、というものでございましょうか」
「……そうだけど、それで何か悪いわけ? あんたらの基準では俺は『徳を積んでる』んだろ? 異世界転生が許可されるくらいにはさぁ」
「ええ、大いに問題がございます」
真正面からずばり申し上げますと、利用者様は少しだけばつが悪そうに視線を横へ逸らされました。ですがその程度で、私は言葉を止める気などございません。
正直に申し上げましょう。私、少々怒っております。
不正そのものもそうですが、世間体を良く保つための不正に他者を貶める行為が多分に含まれている事がどうにも許容できませんでした。なによりもこれらの行為を繰り返した結果、徳そのものはきちんと積まれている扱いとなっているのです。なるほどこれが「お役所」の悪い所なのですね。
「基準としましては確かに転生が可能な数値の徳を積まれてはおります。ですが転生許可の基準には人格適正審査もございますので、これは大きなマイナスとなります。先ほどは正確な事情を知らぬままでしたが、生前の善行についての真相がわかった以上はそうも参りません」
当課では一般転生課から送られてきた書類をそのまま参照して手続きをする都合上、本来は手鏡による確認を逐一行うようなことは二度手間にしかならないため致しません。ハヤセさんが今回の不正を見落としてしまったのもそこに理由があるため、一度申請が通った事自体を仕事上のミスであると責めることはありませんが、審査内容そのものについては少し勝手が変わってまいります。
この場で私が上司のところへ手鏡の映像を持って報告に向かえば、利用者様の転生申請の許可は白紙に戻って再度審査をすることとなるでしょう。その際に人格適正審査をパスすることはほぼ絶望的であると言わざるを得ませんでした。
「ということですので、そちらの書類は一度お返しいただけますでしょうか」
そう言って私は手を差し出したのですが、手続きの用紙は私の手に触れることなく利用者様に握りしめられてしまいました。窓口から一歩離れて手が届かない位置まで逃げるのは周到であると言うべきでしょうか。それとも姑息と申し上げてよろしいのでしょうか。
「嫌に決まってるだろ? せっかく許可出て、もうハンコだって押してもらってるんだ。俺は絶対異世界転生するよ、チートスキル貰って別の世界で好き勝手やって暮らすんだ。せっかく色々我慢して、やっと待ってたチャンスが来たんだからさぁ」
「待ってたって……どういう事ですか、利用者さん。死ぬ前から冥界の事を?」
そんなことは有り得ないはずなのですが、少々聞き捨てならない言葉でした。反応したハヤセさんも口にしながら半信半疑といった表情でございます。
尋ねられた利用者様はしかし、その首を左右に振って発言を否定致しました。その返答であって然るべきなのは重々承知のはずですが、ハヤセさんが隣で安堵のため息を吐いたのはすぐに分かりました。
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