第2話 ― 4

 絶対に一悶着ある、と自信満々に申し上げたハヤセさんでしたが、その読みはなかなか当たることなく手続きは進んでいきました。

 より正確には、一悶着起こせるような隙が無かったとも言えるでしょう。なにせ担当窓口に立っているのは二人とも正規に許可を得た異世界転生の手続きなどこれが初めての物。経験がある職員とて最新の記憶が五年も埃を被っているのでございます。手続きを正確に進めていくのに精一杯で、何か一悶着の種があったとしてもそれを拾っているような余裕はございませんでした。


 幸いといいますか、利用者様もその辺りは理解してくださっているようでした。事前にハヤセさんが散々その点についてお伝えしていたこともあってか、こちらが手間取ったりしても無理に急かすような事はなく、笑顔で話を聞いてくださいました。異世界への転生が許可される程度に徳を積まれているだけのことはあるようです。


「ひとまず、以上で手続きと必要事項の説明は完了ですねー。後は利用者様がこの書類にサインしてくだされば、これをもう一度僕らのほうで処理して、該当する異世界の方へ連絡して、向こうの準備が整い次第お送りしますんでー」


 結局、最後にハヤセさんがそう締めくくるまで利用者様はこれといって突っ込んだ質問をしてくることも無く、ただ笑顔で私たちの説明を聞きながら頷いてくださるのみでした。

 あとは利用者様が用紙に確認のサインをすれば手続きは完了、という段階。

 ここで、ようやくハヤセさんの読んだ「一悶着」がやってきました。


「あの、質問いいですか?」


 ことり、と手渡されたペンを利用者様が手元に置き、落ち着いた口調でそう切り出してこられました。それと同時に私たちの方を真っすぐに見つめるその表情を見て、ようやくその時私は理解致しました。

 

 確かに表情そのものだけを指せば笑顔なのでしょう。ですが私の知る限り、こんなにものっぺりとした、能面のような笑顔はこれが初めてでございました。そこには何の感情も乗っておらず、感情表現の乏しい私でさえそのような表情はしたことがありません。


「ここまでの説明で全部って言いましたけど、大事なの一個忘れてません?」

「へ? 大事なの? ……なんかあったっけ、ナナミちゃん」


 ハヤセさんはその表情にはとうに気がついておられたのでしょう。確認を取ってくるその表情はいつもの軽そうなものにしては少々固い印象を受けました。

 説明をしていない項目で、重要な物と言われて私は自身の記憶を隅まで確認いたしましたが、やはりこれだというものは浮かんでまいりません。

 確かにマニュアルに書いてある全ての手順を忠実に再現したかと問われれば、なにぶん初めての業務だったためどこかに不手際があったかもしれません。ですが、手続き内容が内容ですので重要な説明事項は特に注意を払っておりましたし説明漏れは無いと断言できるでしょう。


 あえて説明を省いた項目があるとすればそれは、この利用者様の申請とは関係のない項目であるために意図的に省略したもののみでございます。おそらくはその中に、職員の視点では「この利用者様に不要だ」とされる内容で利用者様が求めていた項目があるのだろう、くらいの予想は立てられるのですが。


「いえ、必要な項目は全てご説明させていただいたはずです。重大なものは特に優先して最初に済ませておりますし――」

「とぼけんなよお姉さん」


 首を横に振ってそう口にした瞬間、唐突に吐き捨てるような言葉をぶつけられました。

 それまでの口調とあまりにも違い過ぎて、一瞬事態を飲み込めずにおりましたが、それが目の前の利用者様の言葉であったことは明白でございました。


「俺さぁ、生きてる頃に散々、小さい時から読んでんだよねラノベ。そんで特に異世界転生モノって読んでて気分が良かったから好きだったんだよ。さっきそっちのお兄さんと手続きの話してるときに雑談がてらさ、生きてた頃の世界の動きに対応してここの課が建てられたってくらいは聞いたんだけど」

「はあ、そうでしたか」


 横をちらりと見れば、少し気まずそうな顔をされたハヤセさんがこちらに対して目線で謝罪をしておられました。実のところ、謝られねばならない理由はどこにもございません。現世であればこういった時、守秘義務だとか立ち入った話を外部にしてはならない決まりだとかがあるのでしょうが。

 そもそもが当課はその特性上、利用者様に「ここはどこか、何をするところか」から全て説明することが業務の始まりといっても過言ではございません。当課が設立された背景などは特に伏せねばならない内容もありませんので、ハヤセさんが話した事に何一つとして後ろめたい点はないのです。


 仮に後ろめたい点であったり守秘義務に抵触する内容であったとしても、よほどの特例でもなければ当課を出る際にその記憶は消去されますし、当課の中から現世へと死者の方が干渉する術は存在しませんので、冥界は情報の管理が少々緩い所がございます。

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