第2話 「最低でも聖人クラスは必要ですね」
「はーい、それではこちらの書類で申請手続きをさせていただきますね。担当はこちら、ハヤセでございますので」
その日の異世界転生課には、普段なら発生しえない緊張感が漂っておりました。全部で十ある窓口のうち、九つの場所に立つ職員の視線が先ほどからハヤセさんの立つ窓口へと集中しております。
かくいう私も窓口に立っているわけではないのですが、ハヤセさんの少し後ろでその手続きの推移をじっと見守っている状態となっております。本日は裏方で事務処理がメインとなっていたのですが、正直まったく仕事に集中できません。
「手続き自体はそれほど時間のかかる物じゃないんですけど、なにせ重要な物ですんでねー。上司のハンコ三つくらいいるんですよマジで。確か。俺も実はこれが初めての手続きなんですけどね。とりあえず、そちらの座席でお待ちいただければまたお呼びしますんで。その時に追加の手続きや説明もありますんでのーんびりお待ちくださいね」
課内の視線を全て自身に集めながら、ハヤセさんはそれでも普段通りの軽薄さを失っておりません。一体どのような胆力があればあれほど堂々としていられるのでしょうか。
私には到底真似などできません。間違いなく緊張で小刻みに振動するでしょう。ええ、表情に出さないのは得意ですのでそこは死守して無表情で震えます。きっと見ている利用者様の方が不安になることでしょうね。
何故ハヤセさんがこれほどまでに視線を集めているかと問われますと、その答えはたった一言。
数年ぶりに異世界転生許可が下りるから。
私とハヤセさんにとってはこれが初めての、直接見る転生許可でございます。個人的には歴史が変わる瞬間にも等しい一大事なのでした。
***
私ナナミが勤めております、冥界の七七七号世界支所・異世界転生課はその設立理由や背景から、基本的に「可能な限り転生の許可は出さない」という方針を取っております。
こう言ってしまうと異世界への転生を希望される利用者様からの反感を買ってしまいそうではありますが、これにもきちんと理由がありまして。具体的に言うならば需要と供給の問題でございますね。
実のところを申し上げますと、異世界側の受け入れ態勢はそれなりに整ってきているのです。
事実は小説より奇なりとは現世の言葉でしたでしょうか。全く持ってその通りで、小説に書かれている程度の出来事は異世界を探せば大概ございます。端的に言えば魔王と勇者の物語や、機械生命体が闊歩する超未来の世界は実在いたします。
ただし勇者は命の危険が伴う立場。名の華々しさに反して意外と志望者は同じ世界の中から出にくいものなのです。
そのため特に転生希望者様の人気が高い、俗にいう「剣と魔法のファンタジー」な世界というものは慢性的に人手不足と滅亡の危機にさらされている事が往々にしてございますので、異世界から勇者が来るのなら諸手をあげて歓迎するような世界とて珍しくはございません。
それでも当課が異世界転生者を出さないのは、実に単純な「異世界側の要望に応え得る希望者がいない」という理由でした。
運動経験や直観力、生前の徳から判断する人格に、ストレスへの耐性。加えて世界によっては農耕の技術を習得していることや、航海士としての技能があるかどうかなど、その要望は多岐に渡ります。当課ではこれら異世界ごとに要望のリストをまとめた用紙を、現世の知識に当てはめて「求人票」と呼ばせていただいております。
お役所が扱う書類の名称ではないことは存じていますが、そこはそれ、現世の方にイメージしていただきやすいことが最優先でございます。
世界を救う勇者が欲しくて異世界転生を受け入れるのですから、その要望はどれも高い水準でクリアされていなければなりません。求人票の要項を中途半端にしか達成していない人物を転生させると、当課設立以前のように異世界からクレームが飛んでくる可能性すらあるのでここは特に慎重に扱われております。
その慎重さゆえに今まで求人票の要望に応えられた人物というのはごく少数でして、前例の中で最も新しいものですら、私とハヤセさんがここへ配属されるより以前の物ばかり。ざっと数えて五年以上も前の話となりますね。
そんなわけで、五年ぶりの異世界転生許可というのは当課にとってもかなり大きなニュースとなっている次第でございました。
***
「たださぁ、変なんだよねぇあの利用者さん」
「変、でございますか」
「うん、すっげー変」
書類手続きのため、上司へと申請書類を渡した後にハヤセさんは私の横でそのように愚痴を吐いておりました。現在その利用者様は受付窓口から少し離れた座席にて待機しており、ハヤセさん自身も書類の押印待ちのようです。
私は幾つか仕上げなければならない書類と報告書があるため、正直な所横で愚痴らないでいただきたいのですが。窓口奥の職員用デスクが隣り合っているのでは逃げようもございません。
ちなみにハヤセさんは以前も異なる内容で、隣の席で愚痴を吐き始めた事がありました。その時は無視して自分の仕事を続けたのですが、およそ二時間ほど休むことなく隣でため息を吐かれ続けるというのは精神衛生上なかなか厳しいものがございます。
そのため私は、自身の仕事を片付けながら片手間にその話を聞かざるを得ませんでした。
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