第1話 ― 7
「うん。そこで躊躇わない奴って要するに、銀行強盗とかに遭遇して目の前に刃物転がってきたら、躊躇いなく相手を刺せちゃう奴だし、よその国ならともかく、そんなの現代日本になかなかいないって。口先だけならともかくマジの奴は」
ハヤセさんが出した日本という国は、現世にある島国だと伺っておりました。ハヤセさん自身もその国の出身で、いわゆる異世界転生モノの書物が最初に出回ったのも、この異世界転生課へと送られてくる人が最も多いのもその日本という国でございます。
私が鏡越しに見た限りで述べるなら治安も比較的良く、それゆえに書物のおとぎ話に夢を馳せる程度の余裕が多くの人に備わっている国だと思っております。ハヤセさんには「平和ボケして暇を持て余してるから妄想に溺れる奴が出ちゃう国」と一蹴されてしまいますが。
「実体を知らないから言えちゃうんだよねえ、異世界転生したーい、なんてのは」
ハヤセさんもそんな、実態を知らないから言えてしまう部類の人だったのでしょう。若干ぶっきらぼうにも感じられる口調をしながら、視線はどこか遠くを眺めているようにも見えました。
異世界転生課は担当する地域が小さい割にはそこそこの頻度で利用者様が訪れます。今のように手が空いたから雑談に興じるというような状況は、実は貴重なものと言えるでしょう。
「現実見ちゃうとほら、今回みたいに夢も何もありゃしないでしょ? まあ、冥界の方でそうなるように法整備したわけだけどさ」
異世界転生モノが現世で流行し始めてすぐ、冥界七七七号世界支所は未曽有のパニックとなりました。そういった小説に影響された多くの死者様から、自分を異世界へ転生させろと要求されたためです。
それ以前は転生について要求してくる人などおらず、異世界転生について定めた決まり事というのは皆無でした。要望の数が多い事や拒否すると文句をつけられてよりトラブルが長引く事から、最初の頃の冥界は幾つかの異世界に転生しても良いか尋ねて皆希望通りに転生させました。
「転生で異世界に死者の魂送り過ぎて、徐々に魂が過疎化しつつあるって笑い話でしょもう」
ハヤセさんが笑う通り、現状の七七七号世界は徐々に過疎化しつつあります。今はそれほどでもありませんが、この調子で魂が異世界へ流れればいずれ影響がどこかで出ることは間違いありませんでした。
同時に異世界側からも多くのクレームが飛んでくるようになり、一時期は職員一同本当に頭を抱えたものでございます。ハヤセさんが本日の利用者様にお話されたような「痛い目」は、ざっと数えても数百件では足りません。
「それでも、生前に強く夢見ていた事を私共の説明であんなにあっさりと受け入れていただける事例が多いというのは私には意外で」
「あれをあっさり受け入れたって言っちゃうかぁ」
ハヤセさんが苦笑されました。私、何もおかしなことを言ったつもりはなかったのですが。
「あれ滅茶苦茶葛藤してたでしょ。一般転生課に行くときももう、遠目にも未練たらたらって感じだったし」
「……そうでしたか?」
足取りはしっかりしておられたように思います。私の見ている限りで、あの利用者様が後ろ髪引かれているように感じるところは無かったと思っておりました。
そう伝えるとハヤセさんは深いため息をついて、肩を落とすのでした。
「あれね、格好つけてんの。異世界への転生が自分の思ったほどキラキラしてるわけでもないうえに自分の事を全否定しにかかってくるでしょ? 本当ならふざけんなって暴れたいんだと思うよ。でもそうなると自分でもさ、格好悪いなーってなるんだよ人間って。そうなるくらいなら、さも『思ってたのと違ったから別にいいや』ってクレバーな自分演じたい人が多いのさ」
今一つ私がその意味をくみ取れずにいると、ハヤセさんは「まあ無理してわかんなくていいと思うよ」などと言いながら窓口の向こう側を手で示しました。
異世界転生課への入り口上部に取り付けられたランプが小さく明滅し、同時に窓口横の受付番号発券機が音を立てて起動したのが私にも分かりました。これが、新たな利用者様の訪問を知らせる合図となっております。
「ここの仕事に必要なのは死者への同情とかじゃなくて、ちゃんと規約通りに手続きすることだから。ナナミちゃんそれは得意でしょ? あ、次はちゃんと、利用者さんが来たら最初に挨拶してね。毎回助太刀するわけにもいかないでしょ」
さも私がそれ専用の機械であるかのように言われるとなんだかカチンとくるものがあるのですが、事実ですので頷きます。よく理解はできませんでしたが、とりあえず人間というのはそういうものなのだなと割り切ることにいたしました。
冥界がお役所の形を取るようになった頃に、事務処理をこなすための人手として用意された純冥界産の人間型職員。それが私「ナナミ」です。その出自ゆえにハヤセさんとは異なり、現世や人間というものを直には知りません。
人間という生き物はかくも複雑怪奇で理解の及ばぬものなのだなと痛感しながら私は、今日も窓口の前に立ってこう言うのです。
「ようこそお越しくださいました。冥界・第七七七号世界支所・ヒト型生物・
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