雨上がり。奇跡が起こる部屋
「ごめん。車の中にいたんだけど、母さんと電話してたから、みんなが来た時すぐに声かけられなくて」
教会の礼拝堂で、長椅子に座って結人が肩を落として言った。
「いーって。傘貸してくれてありがと」
萌花が、通路を挟んだ隣の椅子から、ぶっきらぼうに礼を言った。
萌花の隣で、志穂が心配そうに告解室の方を見た。礼拝堂の隅にある、すごく大きな箱のような、小さな部屋の中には、サナの父がいて、シスターに話を聞いてもらっている。
「お父さん、大丈夫かな?」
「大人でもメンタルまいることあるんだね」
志穂の横で、天井を見上げて心菜が言った。
「結人は大丈夫なの?」
萌花が結人に声をかける。
「うん」
結人は、正面にあるキリスト像を見つめて、上の空で頷いた。
「呼び捨てかし」
心菜がおどけた声で言った。
「え? ダメ? ホシミヤより呼びやすいべ。ダメ?」
萌花が効くと、結人はハッとして、慌てた様子で「い、いいよべつに」と答えた。
「じゃーアタシも呼び捨てよー! 結人っ!」
「じゃあ私も。結人っ!」
調子に乗った心菜が言うと、志穂も軽い口調で片手を上げて続いた。
結人は力なく笑った。
サナと凛子は、礼拝堂の隣の、テラスにいた。
二人は、びしょ濡れになってしまったので、シスターから借りた白いシャツワンピースを着て、頭にバスタオルをかけていた。
世界的にも有名だという、マリア様の像があり、その前に椅子が整然と数列並べられている。
こちらも、まるで小さな礼拝堂のようだ。
聖母マリアの像と聞いて、凛子は真っ白な陶器のような像を想像していたが、ここにあるものは木製で、木目のそのままの色合いをしていた。なんだか、あたたかみを感じた。
二人は、マリア様の像の斜め前の、窓際の椅子に座っていた。
「凛子、ごめんね、LANEとかきっと、連絡くれてるよね?」
サナがしょんぼりと俯いて言った。
「あ、うん。でも大丈夫。充電切れちゃったんでしょ? 仕方ないよ」
凛子が努めて明るく言ったが、サナは俯いたまま左右に頭を振った。
「ううん。違うの。アタシ、電池で充電するやつ持ってんの。シスターたちも、電池ならありますよって言ってくれたし、その気になればスマホ立ち上げられるの。でも、父さんから連絡くるのがなんだかイヤで。それで、わざと充電しなかったの」
「サナ……」
「ほんとにごめんね。アタシ、サイテーだよね」
「サナ、サイテーじゃないよ!」
凛子は慌てて否定したが、サナはふいと顔を背けてしまった。
「サイテーだよ」
サナの瞳から、また涙がにじみ出た。
「サイテーじゃないの! 私がサイテーじゃないって思うんだから、サナがどう思っててもサイテーじゃないの!」
そう言いながら、なぜか凛子の目からも涙が出てきた。
「わ、私の方こそ、もっと早く探せばよかったの。サナに嫌われるのが怖くて、しつこいヤツとかウザいヤツとか思われるのが怖くて、サナから連絡がこなくても、LANEが未読でも、平気なふりしてたの。でも本当は会いたかったし、寂しかったし、不安だったし、もっともっと大好きだって伝えたかったの」
「凛子……」
「それにさ、サナのこと探すためとは言え、その、関係ない友達巻き込んじゃって。モカのネットの友達とか。サナのSNSまで探していろいろ見ちゃったの。本当にごめん! だから、サイテーって言うなら、私の方なの」
「SNS? 画像とか、見ちゃったの?」
サナが目を見開いて、青ざめた顔で凛子を見つめた。
「う……うん」
凛子は、今まで萌花たちとやりとりしたグループチャットの画面を開いたスマホを、サナに手渡した。その画面を見たサナの顔は、どんどん眉尻が下がっていった。
「ごめん、ごめんね、サナ! 星宮くんからもいろいろ聞いたりしたし」
凛子は、スマホの画面を真っ青な顔で見つめるサナを見て、また不安に負けそうになっていた。
サナ、怒ってるかな?
私のこと、嫌いになっちゃったかな?
弱気な自分が背中から這い上がってくるようだ。
凛子は、目を閉じて、ぎゅっと手を握りしめた。爪が手のひらに刺さって痛かった。
「サナが迷ってるのも、悩んでるのも、私全然気づかなかった。知ろうともしなかった。サナの心に踏み込んで、サナに嫌われるのが怖かったから」
サナの視線がゆるゆると、手元から凛子の方へと動いた。
「自分が、サナに嫌われたくないから、自分がかわいいから、サナの心に触れないようにしてた。サイテーなのは私」
凛子は顔を上げて、目を開いた。
見えたサナの顔は、涙でボロボロになっていた。
すうっと思いっきり息を吸った。
情けないことに、鼻がツーンとして、目がスースーした。
視界がにじむ。
「サナ、ごめん」
声がひび割れる。
「サナ、大好き」
目がしみる。
「サナ、大好きだから、何にもできない私だけど、せめて」
息が、続かない。
「せめて、一緒に苦しませて。一緒に泣かせて。サナのこと、全部受け止めるから。全部、教えて」
最後の方の声はほとんどひび割れて、サナに聞こえたかどうかもわからない、聞き苦しい声になった。
全て言い終わるが早いか、サナは凛子に抱きついた。
「アタシも、凛子がすき」
サナは凛子を抱きしめたまま話し始めた。
「あのね、アタシ、あの、凛子と会ってたあの家で、小さい頃、父さんとお母さんと住んでたの。でも、小学校入ってすぐ、お母さんが病気で死んじゃって。アタシは遠くのじーちゃんとばーちゃん家に預けられた。父さんも、家に一人じゃ寂しいって、マンションに引っ越しちゃって、あそこは今、誰も住んでないの」
「うん」
「父さんが再婚するからって、みんな一緒に、もう一度あの家で暮らさないかって言ってきたの」
「うん」
「再婚したきゃ、勝手にすりゃいいじゃん! でもあの家で一緒はイヤ! だってあの家は、お母さんの……お母さんとの思い出が……いっぱい……」
「うん……!」
「イヤだったの! イヤだったの」
「うん、うん」
「父さんが再婚するのはどうてもいい。けど、アタシに、新しいお母さんはいらないの!」
「うん」
「だから、アタシ、父さんが再婚しても、一緒に暮らそうって言われても、行かなかった。勝手にしてくれればよかったのに、アタシが一緒に暮らすのがイヤなら、じーちゃんとばーちゃんとあの家で暮らしたらどうかって言い出したんだ! じーちゃんとばーちゃんまで巻き込むなんて!」
「うん」
「だからもう、帰りたくなかった。父さんの娘やめたかった。でもアタシのわがままで、あの女の人と結人を苦しめてるのも解ってた。誰も苦しめたくなかった。ワガママなイヤな自分も嫌い! 誰も苦しめたくないとか、 イイコちゃんになりたい自分も嫌い! 全部嫌い! だから消えちゃいたくなったの」
「うん」
「そしたら、ここで泣いてたら、シスターたちが話を聴いてくれた。あんまり話せなかったけど。でも無理矢理聞き出そうとしたりしないで、優しくしてくれた。気持ちが落ち着くまでここにいていいって言ってくれたの」
「うん」
「ごめんね、凛子。ごめん。連絡しなくて。もう、とっくに嫌われてるんだろうと思ってた」
「ううん」
凛子はきつく抱きしめていたサナの肩を離して、正面から向かい合って、涙でグチャグチャの顔で、サナの顔をしっかりと見た。
「消えちゃわないでくれて、よかった。サナがいてくれてよかった。生きててくれてよかった! ありがとう」
サナも涙でグチャグチャの顔を、さらにくしゃくしゃにして泣きながら答えた。
「ありがと……ありがと」
二人は奇跡を起こすというマリア様の像の前で、手を取り合って見つめあった。
「凛子、友達になってくれてありがと」
「ううん、サナも、ありがとう。私がうんとちっちゃい頃から、ずっと助けてくれたありがと」
「ちっちゃい……頃?」
「サナ、おぼえてなかった? 私も忘れちゃってたんだけど、サナ、お母さんのお葬式の日、夜に公園で泣いてる子に会ったの、覚えてない?」
「覚えてる! 家出したの、父さんがアタシを預ける相談してたから。お母さんがもしかしたらどこかにいたりとか、何か奇跡が起こらないかって思って、家を出たの。でもどうして……まさか……」
「その、泣いてた子、私なの。サナはあの日も、今も、私のヒーローなの」
凛子が、にっこり微笑んで言うと、サナは驚いて、涙も止まったようだった。
「ウソ……ほんとに?」
「ほんとだよ。サナ、教えてくれたでしょ」
凛子はサナの小指に、自分の小指を絡めた。
「ゆびきりは、絶対約束を忘れないっていう、魔法なんだって」
初めて会った日、モスグリーンだったサナのアーモンドアイは、生まれたままの黒い瞳で、アイラインもシャドーも入っていない、生まれたままの肌で、大きく大きく見開かれていく。
「それ、お母さんがアタシに教えてくれたことなの。どんなことがあったても、サナはお母さんが守るからねって。ひとりぼっちになんかさせないよって」
「うん。私も約束する。ゆびきり。私は、もう絶対サナを、ひとりぼっちにさせたりしない」
サナは、また潤んだ瞳をぎゅっと閉じて、大粒の涙を一粒落とすと、きっと目を開いて、凛子とゆびきりしている手を、凛子の手ごと自分の胸元に引き寄せた。
「アタシも、約束する。凛子のこと、絶対ひとりぼっちにしたりしない」
「サナ、ありがとう!」
二人はようやく揃って笑った。
あんなに苦しかった呼吸が、すうっと楽になっていく。
涙に、不安に、溺れてしまいそうだった少女が二人。互いの手を取って、青空の下へと、今浮上した。
窓の外は雨が上がって、陽が射していた。
陽だまりはキラキラ輝いて、暖かく二人を照らした。
「まあまあ、懐かしいわねえ」
そこへ、凛子の祖母の友人のシスターがやってきて微笑んだ。
「凛子さんのおばあ様と私も、マリア様の前で、ずっと友達だと誓い合ったの。私がここで修道女になると決めた時、二人の道が違えても、友情はずっと変わらないって」
「おばあちゃんが?」
見えない何かに導かれたような、不思議な出会いを感じて、凛子の胸はいっぱいになった。
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