迷子の家族
校舎の二階の会議室に着くまで、凛子には周囲の視線は拷問のようだった。
他の学年ならまだしも、同学年の生徒たちからは「知らないオジサンと転校生と凛子」の組み合わせに対する、容赦のない奇異の眼差しが向けられた。
ようやく会議室に入ってドアを閉めると、スマホが短く鳴動した。
LANEの通知だ。志穂がグループチャットにさきほど起こったことと、その結果凛子が結人たちと会議室へ行ったという内容を報告したのだ。
『リンちゃんと星宮くん、イイカンジでした!』
という完全に勘違いしたメッセージが最後に出てきたので、凛子は『コラー!』というコメント付きの、ウサギのキャラクターがゆるーく怒っているスタンプを送信した。
他のメンバーから、からかうようなスタンプが次々と送られてきて、LIOまで『ポッ』と頬を赤く染めたゆるいライオンのキャラクターのスタンプを送信してきて、思わず凛子は頭を抱えた。
「どうかした?」
結人が心配そうに声をかけてきたので、凛子は慌ててスマホを伏せて、笑顔をつくった。
「ううん、なんでもないなんでもない!」
「申し訳ないことをしたね、月沢さん」
サナの父もそう言って、姿勢を正して頭を下げた。
「いえ、いいんです。ホントになんでもないんです。その、友達から変なLANEが来て、アハハ……」
苦笑いでどうでもいい言い訳をする凛子に構わず、サナの父は椅子に腰掛けながら話し始めた。
「結人くんに聞いたんだが、その、今は住んでいない方の、うちの裏で佐南と会っていたんだって?」
「あっ、あ、ハイ、その、スミマセン、勝手に」
「いいんだ。佐南が誘ったのでしょう?」
佐南の父は結人の方を気にしながら、俯き加減で言った。
「あの家はね、佐南と私と、佐南の母親と三人で暮らしていたんだよ。佐南の母親が病死して、小さかった佐南を私一人で育てるのは難儀だった。だから、佐南を私の両親に預けることになったのだけど、あの思い出が詰まった家で一人で暮らすのは、耐えられなくてね。私も家を出て、マンションに移ってしまったが、あの家を手放すことも出来なくてね」
「そうだったんですか……」
「佐南の母親は病気だったんだ。佐南が三歳の時に病気が見つかった。彼女は……母親は、死にたくないって必死だった。もっともっと、佐南と一緒にいたいと。先進医療の治療も受けたし、病気が治るという奇跡のパワースポットなんかも、佐南を連れて、家族三人で通ったりしたよ」
凛子はあの家をお化け屋敷呼ばわりしていたことを、心の中で全力で謝罪した。
凛子がそっと結人の顔を覗き見ると、結人は俯いて、痛みに耐えるような表情をしていた。
「それで、佐南は、その、何か話していなかったかい? 悩みとか、そういうこと……」
「は、はいっ! いいえ、その……何も……」
凛子はサナの父に答えながら、気が滅入っていくのを自覚した。
サナは、何も話してくれなかった。
凛子には、何も。
「サナ、いつも私の前では楽しそうだったんです。いつも、好きなものの話ばかりしてた」
結人がゆっくりと顔を上げて凛子を見た。
「けど、家族のこと、少しだけ、話してくれたのは、海に行った時……」
「海?」
ハッとサナの父は顔を上げた。何か思い当たるようだった。
「はい、一緒に動物園に行った後で、一時間くらい歩いて」
「堤防のところかい? その、浜辺じゃなくて」
「あ、はい! お母さんとお父さんとの思い出の場所だって。秘密の場所だって」
「ああ……そうか。やっぱり佐南は……」
サナの父はうなだれて、弱々しく「ありがとう、月沢さん」と言って顔を上げた。
「やはり私は、一刻も早く佐南に会わなくては」
思い詰めたような顔でそう言うと、サナの父は会議室を出て行こうとした。
その時、ガタンと大きな音を立てて、結人が座っていた椅子から立ち上がった。椅子がハデな音を立てて倒れた。
「それって!!」
サナの父が立ち止まって、結人の方へ振り向いた。
結人はすうっと息を吸って、吐いて、心を落ち着かせるように胸に手を当ててから、真っ直ぐに義父の目を見た。
「それって、俺と、母さんが来たから……じゃないですか? 俺たちが――」
結人の声は、どんどん震えて弱々しくなっていった。
「俺たちが、佐南さんを追い詰め――」
「それはちがう」
サナの父が、強い声で結人の言葉を遮った。
「それはちがうよ」
結人が何か反論しようと息を吸ったが、結人の声より早く、サナの父が言葉を続けた。
「佐南を追い詰めているのは私だよ。私が、わがままだったんだ。もっとちゃんと佐南と話し合ってから前に進むべきだった」
「でも」
「君は悪くない」
そう言うと、サナの父はドアに手をかけた。
「君たち子供はいつだって悪くない。大人の都合で振り回してしまって、本当に申し訳ない。必ず、必ずちゃんといい方向に向かわせるから」
そう言うと、サナの父はドアを開けて出て行ってしまった。
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