ビタースウィートな出会い
その夜、凜子は心菜との出会いを思い出していた。
あれは、五月の始まり。
萌花が学校に来なくなって間もなくだった。
もうすぐ駅前という辺りで、パチンコ店の脇の花壇に座り込んでいる上級生の男女のグループが見えた。
凜子は少し怖いと思ったが、同じ高校の制服とは言え、知らない人たちだったし、うつむき加減になり彼らの方を見ないようにして歩を進めた。
彼らの前を通り過ぎようとした時、足元に何かが飛び込んできた。
バシャンという音を立てて、凜子の靴スレスレの所でぶちまけられたのは、大きめの紙コップと小さくなった氷と、道路に染み込んで色の解らない、何やら甘い匂いのする液体だった。
「キャハハハハ! ダメじゃん!」
甲高い笑い声が、イヤホンの音楽を押しのけて耳まで届いた直後、馬鹿にしたような笑いがどっと起こった。
反射的にイヤホンを外して横を見ると、花壇に座り込んだ上級生たちが、凜子を見て大笑いしていた。
「あ、ごめんねー、つまんなかったからさ」
飲み残しのドリンクを投げつけてきた犯人であろうと男子生徒が、おどけた声をだした。隣の女生徒が「ひどくなーい?」と言い、全員がまた笑い出した。
何が起こっていて、自分はどうしたらいいのか、凜子にはさっぱり解らなかった。ただ怯えて立ちすくむことしか出来なかった。
「やだぁ、怖くなーい?」
上級生たちとは明らかに違う方向から、女子の声がした。
凜子がハッとして振り向くと、そこには見覚えのある生徒が立っていた。
ミルクティーベージュのベリーショートに、真っ白な肌と、茶色の瞳。
セーラー服の上にベージュのブカブカのカーディガンを羽織り、凜子より短いスカートからは細長い脚が伸びて、斜に構えて立っている。
まるでハーフのようなその顔は、明らかな侮蔑の表情をしている。
「ヒトにごみ投げるとか、キッタナッ!」
ピンク色の唇から、攻撃的な大声が放たれた。
「あ……」
同じクラスの心菜ちゃんだと、凜子が思うより早く、心菜は凜子の腕を強くつかんで駆けだした。
「行こ」
「え?」
心菜は凜子の手を引いて、そのまま駅ビルまで駆けて行った。
背後に上級生の男子が悪態をつく声と、彼をあざ笑う女子たちの声が聞こえていた。
凜子の心臓は張り裂けそうだった。
あんな態度を取って、先輩たちに睨まれないだろうか。
彼らが追いかけてきて怖い事をされないだろうか。
心菜は怖くないのだろうか。
駅ビルに入って、凛子の手を放した心菜は、凛子の不安をよそにケロッとしていた。
「ダイジョブだった? あーゆーヘンなのはムシだよムシ! サッサと通りすぎりゃいーんだよ!」
「あ、ありがとう。でもあの、心菜ちゃんに、迷惑かかったりしないかな?」
「えっ何、迷惑って?」
「あの、睨まれたり……とか……」
「ナイナイ!」
上目遣いで心菜を見る凛子に、心菜は思い切り笑って見せた。
「アイツらもそこまでガキじゃないっしょ。アッチが悪いんだし。それに、バカな男子の先輩なんて怖くないよ!」
フンッと胸を張る心菜は、凛子にはひどく眩しく見えた。
「そんなことより、ココって呼んでって言ったじゃん!」
そう言うと、心菜は凛子の両手を掴んだ。
「アタシ、電車来るまで暇なんだよね! 遊ぼ!」
気付けば、凛子は本屋に行く用も忘れて、駅ビルのファストフード店で心菜の電車時間まで二人で話し込んだ。
楽しかった。
後で知った話だが、心菜の年上の彼氏は、凛子たちと同じ城東高校の卒業生で、校内では『怖い人』として有名だったらしい。
更に、心菜自身も出身中学では『怖い人』であったらしく、上級生たちなど、恐るるに足らないだろうと、後日志穂から聞かされた。
心菜の中学は少し離れた町にあり、心菜と同じ中学出身の生徒は少なかった。志穂も、別の高校に進学した友達から聞いたのだそうだ。
そんな心菜と凛子が親しくなったのには、もう一つ大きなきっかけがあった。
初めての席替えで、凛子と心菜が前後の席になった直後、凛子がこっそり読んでいたライトノベルに、心菜が気付いた。
「それマジおもしろいよね! 大好きなんだけど!」
凛子は後ろから声をかけられて驚いた。
ライトノベルを読んでいると知られたら、オタクだと言われて嫌われるんじゃないかと思って、凛子は周囲に知られないようこっそり読んでいた。
新刊が発売されて、読みたくて読みたくて我慢できず、ブックカバーをつけて、机の下に隠して読んでいたのだが、挿絵のページを後ろの席の心菜に見られてしまったのだ。
「ココちゃん、この本、知ってるの?」
「知ってるって! 大好きだっつったじゃん! それもアタシ、もう読み終わってるからね!」
心菜はえへんと胸を張った。
凛子には信じられなかった。
皆から恐れられる不良と付き合っている派手な女子たる心菜が、自分と同じライトノベルのファンで、しかも恥ずかし気もなく、あっさりと読んでいることを公言している。
衝撃だった。
心菜は、他人からどう思われるかなどカンケーなく、自分が良いと思ったものは良い、嫌いなものは万人が愛していても嫌いなのである。
気付けば、心菜は萌花がいなくなったお弁当の時間の空席を埋めて、小説やマンガについて気兼ねなく語り合える、数少ない親友となっていった。
ココは、どうして私なんかを――。
――~♪
スマホから萌花のライブ配信の時間に設定しておいたアラームが鳴り響き、凛子を現実に引き戻した。
凛子は慌ててアプリを立ち上げて、萌花のチャンネルを開くと、ちょうど配信が始まった。
『十七人が視聴中』
あれ、いつもより少し多いな。
萌花のライブ配信を視聴している人数の表示を見て、凛子はそう思った。
凛子はスマホを操作して『来たよ☆』とコメントを入力、送信した。
画面には、萌花がSNSで知り合ったアマチュアのイラストレーターに有償で描いてもらったという、萌花に似た雰囲気の少女のイラストが表示されている。
イラストの下のコメント欄の一番上には、萌花のこの場での呼び名『MOCA』と、演奏のレパートリーの曲名がズラリと書き連ねられている。
スマホにさしたイヤホンから心地よいギターの音色が流れてくる。今日の一曲目はしゅくるのデビュー曲だ。
萌花が歌い始める。萌花の歌声も、凛子には聞き慣れたものだった。ただ萌花は、ギターを弾きたい方がメインなので、自分の伴奏で歌ってくれる人がほしいとよく言っていた。
いずれは自分で作曲して、誰かに歌ってほしいと思っているそうだ。
一度、凛子に歌わないかともちかけてきたことがあったが、凛子は必死で断った。とても無理だ。
――モカは、勇気も行動力もある。自分が異端になることを恐れない。
凛子がそんなことを考えていると、一曲目が終わった。
『何かリクエストありますか?』
萌花の声が言った。
凛子が何かリクエストすべきかと考えようとしたが、すぐにコメント欄に別の人がリクエスト送信してきた。
『COCO:カザグルマ』
「えっ?」
表示されたアイコンとアカウント名を見て、凛子は驚いた。
それは見慣れたものだった。
「ココ!」
間違いなく、それは心菜のものだった。
凛子は一気に血の気が引くのを感じた。
恐らく心菜は、凛子のアカウントが公開しているプロフィールの中にある『マイチャンネル』の欄からMOCAのアカウントを見つけ出したのだ。
『あ、はじめましてかな。ココさんでいいのかな? カザグルマね。これ、アタシ歌わないで全部ギターで弾くんで、よろしくお願いしまーす』
カザグルマはしゅくるや他の多くの歌い手がカバーしている有名な曲だ。歌い手にそんなに興味のない人でも、今の高校生なら知らない人はいないだろう。
心菜はしゅくるをよく知らない。しゅくるの曲が多いMOCAのレパートリーの中では、心菜が知っている曲はこれくらいだったのだろう。
「ココ、どうして……」
大好きなはずのメロディーが、全く頭に入ってこなかった。
心菜が「カンジワルッ!」と言っていた顔を思い出す。
――どうしよう。クラス中にさらされたりしたら……!
凛子は頭が真っ白だった。
もし心菜が今、悪意をもって萌花のチャンネルを視聴しているのだとしたら。
萌花はきっともう二度と学校に来なくなるだろう。
凛子にだって、もう二度と会ってくれなくなるかもしれない。
凛子の心臓が壊れそうな音をたてる。
息が。
息が苦しい。
『ハイ! リクエストありがとうございました! 次は――』
萌花の声に、ハッとした。いつのまにか演奏が終わっていた。
『COCO:チョーカッコよかった! さっきみたいの、もっと聞きたい!』
心菜のアカウントから発信されたコメントを見て、凛子はドキドキした。
これは心菜の本心なのだろうか。
イヤホンからは萌花の『ありがとー』という嬉しそうな声が聞こえてくる。
心菜の真意が解らない凛子の心を、萌花の声が追い込んでいく。
どうしよう。どうしよう!
凛子がハラハラしているうちに、あっという間に三十分が経ち、ライブ配信は終了した。
凛子はすぐさまLANEを立ち上げると、大急ぎで心菜にメッセージを送った。
もちろん先ほどのコメントの真意を確かめる為だ。
――何て聞こう。
うまい言葉が思い付かないでいるうちに、新着メッセージの通知が来た。
志穂と心菜と三人で同時に会話しているチャットからで、発信者は心菜だった。
『明日、十時に駅前集合ね!』
数秒して志穂のアカウントから『OK』のスタンプが送信されてきた。
凛子も同じように『了解』のスタンプを送信する。
続けて『ココ、さっきモカの配信聞いてたよね?』と入力して、震える指で送信ボタンをタップした。
既読のマークはすぐに表示された。
『それ、明日話すね☆』
心菜の返信を見て、凛子は焦った。
続けざまに『おやすみ』のスタンプが、軽快な通知音と共に表示され、凛子は絶望した。
今日はもう追求できない。
凛子はスマホを持ったまま、バタリとベッドに倒れこんだ。
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