第21話 響の休日

 ドアが音もなくゆっくりと開く。

 静かにドアを閉め、金具の取っ手を握る手を静かに回転させる。

 つま先だけで音を立てずに廊下を歩き始める。


 ギィ……


 床板が小さく軋む音。

 

 その瞬間、つま先立ちのその足は、ぴたりと動きを止める。


 辺りに音はない。

 特に異常はなさそうだ。


 後ろ足をゆっくりと前に運ぶ。

 そして扉の前に立つ。

 扉の取っ手を握り、少しづつ少しづつ回転させる。


 手に伝わる金具の振動。

 ゆっくりと扉が前に開きはじめる。


 薄暗い室内。

 カーテンから差し込む一筋の光。

 その光の線は、窓から壁際の机へと延び、更には床へと繋がり、ベッドの上を通り抜ける。

 そのベッドの上には、ピンクの布団にくるまり眠る少女。


 忍び寄る足は、眠る少女の手前で止まる。


 そっと手が伸び、少女のツインテールの髪をその手で拾う。

 手の指先から流れる桃色の髪の毛。

 そっと髪の束を布団に戻すと、その手は少女の頬を指先でなぞる。

 そしてその指は少女の口元へ。

 ぷくりと膨らむその唇。

 その唇を指先でなぞる。


 唇から指先は離れ、その手は少女の掛布団を掴む。

 ゆっくりと掛布団が捲りあげられ、寝間着姿の少女の体が現れた。


 胸元のボタンを1つ外し、裾を指先で摘まんで捲らせる。

 少女の胸元まで裾を広げる。


「はぁ~……」


 こぼれたのは少女の溜息。


「0点だよお姉ちゃん。0点」


 声の主は一人の少女。

 寝ている少女と同じく、桃色の髪をした少女。

 少し長めのセミロングに、片方だけちょこんと結んだテールが跳ねている。


 あゆみの妹の響だ。

 響はあゆみのほっぺを両手で挟み込み、むにむにと手を動かす。


「起きてお姉ちゃん。もうお昼過ぎだよ!」


 起きない姉を見て、妹の響は姉の脇の下をくすぐる。


「んっ……」


 姉が漏らした甘い声に、響は一瞬手を止める。

 それでも起きない姉。


 寝間着をまくりあげ、あゆみのおなかを露出させる。

 おへそに指を突っ込み、ぐりぐりと円を描くように動かす。


「あっ……」


 あゆみの体がビクリと跳ねる。

 驚いた響の顔が、紅潮する。

 そして、口元をにやりと吊り上げる。


「にひひ」


 顔をあゆみの首元まで近づけさせ、ふうと息をかける。

 ぴくりと動く首筋。

 ツインテールの一房を持ち上げ、その毛先で顔をくすぐる。


「ふあっ……ふわぁ……ひぁあ?」


 あゆみの漏らす声を聞き、響は思わず吹き出す。


「ぷぷぷーっ」


 それでも起きない姉。


「まだ起きないかー……もう!」


 響はあゆみの体の上に、馬乗りで乗りかかる。

 あゆみの両手を頭の上に持っていき、左手で押さえつける。

 空いている右手は、人差し指1本を突き上げる形にしている。

 そしてその人差し指で、あゆみのおなかをつつく。

 おなかの次は、おへそを。

 またおなかをつつき、胸元をつつく。

 それを繰り返す響。


「あっ……あっ……あっ……!?」


 悶えるあゆみ。

 はぁはぁと呼吸を荒くしながらつぶやくあゆみ。


「やめてぇ……ゆきちゃん……」


 それを聞いた響は、更につつく速度を上げる。


「ゆきちゃんってだあれ~? ねぇおねーちゃん? ん~?」


 あゆみの声の速度もつられて上がる。


「あっあっあっあっ……!」


 ばっと目が開くあゆみ。

 目の前には、自分にまたがる妹の姿。

 お腹をつつかれる感触。

 動かない両手。


「え? え? え?」


 混乱する頭。

 何が起きているのか、何をされているのかまったく状況を掴めていない。


「ひびきぃ~やめてぇ!」


 体をくねらせながら、甘い声で懇願する。


「やっと起きたか。この寝坊助お姉ちゃんは」


 あゆみの口を片手でつかみ、タコの口にさせる。


「おひゃよぅ……」


 口を押えられながらあゆみは挨拶する。


「お姉ちゃん、もっと女子力あげないとだめだよ!」


 響が人差し指を突き出し、その指を揺らしながらお説教をし始めた。


「まず……ツインテールは寝る時ちゃんとほどかなきゃ。根元が痛むでしょ!

あと顔! 寝る前の化粧水つけてないでしょ。パサパサになっちゃうわよ。唇もリップ塗ってないし。

いくら胸小さいからって、ブラもつけて寝ないと、形崩れちゃうんだから」


 あゆみは寝起きであたまが混乱し、突かれた変な感覚が抜けきらないまま妹に説教をされていた。


「はぁ……はぁ……はい……ごめんなさい」


 まるで従順なご主人様への返事のようだった。


「わかったならよろしい!」


 響はあゆみの上から降りて、ベッドの横に立つ。


「お姉ちゃん、今日はお勉強教えてよ? どうせ暇でしょ? いいよね」


 そういうと、部屋の出口までトテテと小走りに向かう。

 扉のとこで振り返り、あゆみを見る。


「そうそう、お姉ちゃん、ゆきちゃんってだあれ?」


 あゆみの顔が紅潮する。


「え! なんで!?」


 人差し指を口の前にあてながら、いたずらっぽい顔で響は答える。


「お姉ちゃん、あえぎながらゆきちゃんって言ってたよ?」


 響はそれだけいうと自分の部屋へと戻っていった。


「あえぎ……うそ! 響に聞かれた……!?」


 顔を真っ赤に染め、両手で自分の顔を隠すあゆみ。





 ボクはやけに火照った体を深呼吸をして落ち着かせる。

 パジャマを脱ぎ、私服に着替えた。

 白いTシャツに、黒のフリルのついたミニスカート。

 ラフな格好だ。


「妹の勉強かぁ……小学生の勉強ならなんとかなるかな」


 ボクは洗面を済ませ、朝食もとい遅い昼食を取った。

 妹は居間に教材を持ち込み、おかしとジュースを机に並べていた。


「響ー。何の教科教えて欲しいのー?」


 ボクはご飯を食べながら横の居間にいる響に声をかける。


「まずは社会の歴史とかかなぁ」


 社会か……よく覚えてないけど、適当に教科書見ながらやればいいかな。

 どうせ暗記だろうし。

 自分で覚えさせればいいよね。


 ご飯を食べ終え、居間に向かう。

 響の隣に座り、机に広げられた教科書を読む。


 ふむふむ……奈良時代か。


「じゃあ教科書読むから、響は良く聞いて覚えるのよ。どれどれ……『743年聖武天皇は、聖武天皇の詔をだし、平城京に~……』」


 ボクが教科書を読み始めると、響がボクの教科書を奪い取った。


「そうじゃないでしょ。お姉ちゃん! 教科書なんか私だって読めるんだから」


 それじゃどうすればいいんだろう。

 問題形式にしようかな。


「え……じゃあ……743年なぁ~んだ?」


 返ってきたのは落胆した溜息だった。


「はぁ……そういうのじゃなくてさ……ほら、もっとあるじゃない?

歴史で年代を覚えさせるっていうことはさ、その時代に大きな変化があったからでしょ?

何がどう変わったか。何がそうさせたのか。そういうバックストーリーで教わる人に興味を持たせるようにしなきゃ」


 ハードル高っ!

 ボクにそんなの求められても困ってしまう。


「響、私そこまで詳しく知らないよ」


 またまた落胆した表情の響。


「しょうがないわね……お姉ちゃんは。じゃあ、それを調べて。はいこれ資料」


 手渡されたのは教科書とは別の厚い歴史資料。


「まってまって! そんなのすぐに覚えられないよ!」


 何でボクが勉強しなきゃいけないの。

 妹が勉強するんじゃなかったの?

 すると、響は机に置いてあったプリンをボクの前に持ってきた。


「はい。上手にできたらこのプリンをお姉ちゃんにあげる。

ただのプリンじゃないよ? 駅前の人気洋菓子店「三竹屋」のプリンよ。クリームチーズたっぷりで、口の中でふわってとろける大人気のプリンなんだから。

女子の間で今大流行してるのよ」


 妹にそう言われるとすごくおいしそうに見えてきた。

 それに、女子の間で大流行という言葉も聞き逃がせない。

 ボクは女の子だ。こういう情報は知っておくべきだろう。

 俄然やる気が出てきた。


「よーし! お姉ちゃんちょっと本気だしちゃうよ!」


 資料を広げ、読み始めるボク。


「物事を教えるには、生徒のやる気を出させるのが基本よ。お姉ちゃん」


 まったくの逆の立場だ。

 ボクが餌に釣られている。

 まあしかたがないか。

 資料を見ながら、妹に解説するボク。


「この時代、国中で争いや災いが多かったんだって。だからそれを治める手段を探したんだ。だから、聖武天皇の詔で国中から銅を…………」


 ボクが解説を終えると、響はボクの頭を撫でてくれた。


「はい。よくできました」


 えへへ。褒められちゃった。

 喜ぶボクに、妹は質問をしはじめた。


「じゃあお姉ちゃんに質問。この金ぴかの大仏は何でできているでしょーか?」


 響が指さすのは金色に輝く大きな大仏。

 金色だし、金じゃないの?


「金!」


 ボクは答えた。


「ぶっぶー。ほら、自分でさっき言ってたじゃない。国中から銅を集めたって」


 そういえばそうだったかもしれない。


「じゃあ次の問題!」


 響が次々とボクに質問をして、ボクが答えていった。

 2時間ほど経ち、ボクたちは勉強会を終えた。

 すっかりボクは奈良時代に詳しくなっていた。


 ありがとう響!

 ボク、これでテストはばっちりだよ!


 響と隣り合っておやつのプリンを食べた。


「響、これほんとおいしいね!」

「でしょ?」


 ボクと響は笑顔でほほえんだ。

 しばらくのんびりしていると、響が雑誌を手に持ってボクの所にきた。


「お姉ちゃん、この中だったら誰がタイプ?」


 そこには男性アイドルグループらしいメンバーの顔写真が並んでいた。

 困った。正直興味はない。


「うーん……いないかなぁ」


 すると、ページをめくって他の男性アイドルユニットを指さした。


「じゃあこの中だと?」


 同じく興味はない。


「興味ないかなぁ。あはは」


 ふうん、と響はページをめくり始める。


「この子達って可愛いよね、ほらこの子とか」


 響が指さしたのは女性アイドルグループ。


「可愛いよね」


 ボクは素直に答えた。


「どの子がお姉ちゃん一番好き?」


そうだなぁ……この中ならこの子かな。


「この子が好みかなぁ」


 ボクは小柄でツインテールの女の子を指さした。

 すると、何を思ったのか響はボクの顔を覗き込んできた。


「お姉ちゃんってさ……レズでしょ?」


 心臓がドキッと大きく鼓動した。


「な……なんで? あはは……そんなこと……ないよ」


 ボクは慌てて響から離れてそっぽを向く。

 すかさず響は回り込み、ボクの顔を覗き込む。

 すごく近い。


 響の息がボクの唇に触れた。

 響の目がボクの目をとらえて離さない。

 ボクの目が泳ぐ。

 響の顔がどんどん近づいてくる。

 響の右手がボクの顎を軽く持ち上げた。


「お姉ちゃん……私の事……好き?」


 ボクの体は完全硬直。

 目をそらすこともできない。

 ボクの顔は真っ赤になり、鼓動だけが大きく鳴り響く。

 見詰め合う目と目。


 響の唇が軽く突き出され、ボクの口元に差し出された。

 ボクは思わず目をぎゅってつぶってしまう。


 響と……キス……しちゃうの?

 すると……

 響はボクの鼻をピンと指ではじいた。


「いたっ……」


 目を開けると、ボクの顔を眺める響の顔、

 すごいいじわるな顔をしている。

 にやりとした口元。

 ボクの心を読むかのような吸い込まれそうな瞳。


「やっぱりそうだ。お姉ちゃんはレズだね」


 ボクは顔を真っ赤にして否定する。


「ち……違うよ! そんなはず……ないじゃない」


 響は半立ちでボクより高い位置から見下ろし、両手でボクの顔を挟んだ。


「だって……お姉ちゃん、私にドキドキしてる」


 下から見上げた響の顔。

 ボクに覆い被さるように、ボクを押し倒してくる。

 仰向けに寝かせられたボク。

 響の両腕は、ボクの頭の横を通って床に突っ伏す形だ。

 ボクに完全に覆い被さる響。


「お姉ちゃん……ゆきちゃんってだあれ?」


 この体制でこの言葉を投げかけられると、まるでボクが責められているかのようだ。


「ゆ……ゆきちゃんは……私の友達よ」


 掠れた声で答えるボクを、響は更に追い詰める。


「ほんとにただの友達?」


 ボクは響の目をこれ以上見ていられなくなり、目を右下にそらした。


「……親友」


 ボクが応え終わるとすぐに響が強い声でぴしゃりと言い放つ。


「嘘」


 ボクの体はビクリと震える。


 響がゆっくりとした、それでいてねっとりとした声で続ける。


「お姉ちゃんの嘘は……すぐわかるよ。本当は……それ以上の関係なんでしょ? 例えば……こんな……」


 響は右足をボクの足の間に割り込ませる。

 触れ合うふとももとふとももの柔らかい感触。

 そして、ゆっくりとボクの体に体重を乗せ、体を密着させた。


「ひびきぃ……やめてぇ……」


 ボクは掠れた声で懇願する。

 響はボクの頭を抱え込み、顔を近づける。


「辞めて欲しいなら……正直に言って。私は……レズです。女の子が好きな変態です。って」


 響の甘いねっとりとした声がボクの頬を撫でる。

 ボクは逆らえず、響の命令に従う。


「ボ……ボクは……レズ……です……女の子が……好きな……変態……です」


 響が冷ややかな声でびしっと声をあげる。


「聞こえない。もっと大きな声で」


 ボクの体がびくりと跳る。

 今まで無理矢理身体に覚え込まされた服従心がボクを支配する。

 ボクは大きな声で言われたとおりに繰り返す。


「ボクはっ……レズです。女の子がっ……好きなぁ……変態……ですっ」


 突然、ぎゅっとボクの体を抱きしめる響。


「きゃはははーっ! 『ボク』だってぇ~! お姉ちゃん本物のレズだったのねー! きゃ~!」


 そのまま響はボクの上から床の上へと笑いながらゴロゴロと転がっていった。


「ひ、響!?」


 え、どういうこと!?

 ボクは寝たまま、転がる響きを眺めていた。


「いやぁ~まいったまいった。お姉ちゃん本気にしちゃうんだもん。辞めるに辞めれなくなっちゃったわよ~」


 からかわれた!?

 ボクの目には溢れ出る涙。

 響は人差し指を唇にあて、目を細めてボクの顔を覗き込む。


「あのまま続けてたら……どこまで行けたのかな? うふふ」


 ボクはまだ半信半疑だ。


「冗談……だったの?」


 ボクの顔を見て、響は舌をべーっとだして笑いだす。


「もう! 響ー!」


ボクは響を追いかけて、ぽかぽかと手で殴る。


「あははー。ごめんごめーん」


 ボクから逃げる響。

 響はそのまま居間の出口から外にでて、ひょこっと顔だけこちらにのぞき込む。


「でもお姉ちゃん。と~っても可愛かったよ!」


 そういうと響は自分の部屋まで戻っていった。


 この所、ボクの心ははちゃめちゃだ。

 掻き乱されて、無理やり色々な感情を植え付けられる。

 心だけじゃなく、体まで自分で知らなかった感覚を呼び起こされている。

 無理矢理調教されているような感覚。

 よくはわからない。


 本当に……ボクはどうなってしまったのだろう。

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