18:ブラットエルフ

「バフォッ!? ビギャアアァァァアァァー!!!」


 それは、本当に一瞬の出来事だった。

 字のごとく、猪突猛進してくる巨大なタイニーボアーを目にし、俺はグレコの背に隠れようとしたのだが……

 そんな必要もないままに、タイニーボアーはお陀仏となった。


 グレコの放った三本の矢は、一本がタイニーボアーの右目に、もう一本が左目に、最後の一本は額に突き刺さった。

 神業とはまさにこのことを言うのだろうと思うほど、それは鮮やかな狩りだった。

 昨晩、俺の前で尻餅をついて膝を擦り剥いていた者と同一人物だとは思えないその所業に、俺はごくりと生唾を飲む事しか出来なかった。


 断末魔の鳴き声を上げて、タイニーボアーは横向きで豪快に倒れ込んだ。

 そして、地面の上で、その巨体をビクビクと痙攣させたかと思うと、「ハッ」と最後の息を吐き、そのまま動かなくなった。


「よしっ! 見事命中♪」


 何か、お祭りの射的でもしているかのような明るく軽~いその一言に、グレコが敵じゃなくて良かったと心底思う俺。


「さ~て、頂きますかね~……」


 倒れたタイニーボアーに近付いていくグレコ。

 その手には短剣が握られている。


 そうか、倒したのにはちゃんと理由があったんだな。

 有り難く、今晩のおかずにさせて頂こう。


 グレコは躊躇うことなく、事切れたタイニーボアーの首に短剣を刺し込む。

 ザクザクザクと、聞き慣れない妙な切断音を立てて、首周辺の皮を削いでいく。

 なんとも生々しい血の臭いが辺りに立ち込める。


 鼻が効き過ぎる俺は、そのあまりに強烈な臭いに、思わず両手で鼻を抑えた。

 しかし、女の子に動物の解体を全て任せる事には気が引けたので、覚悟を決めて、グレコに続いてタイニーボアーに近付いて行った。


 が……、しかし、何か様子が変だという事に気付き、俺は歩みを止めた。

 さっきまでの、ザクザクという切断音が聞こえてこない。

 代わりに何か、チューチューという、小さな小さな吸引音が聞こえてくるのだ。


 見ると、グレコは短剣を地面に置いている。

 そしてその両手は、タイニーボアーの首元にあり、何故だか顔はその首元に突っ伏しているのだ。


 なんだ? どうしたんだろう??


 急激な不安に襲われた俺は、彼女の様子を見ようと、少し回り込んで……


「えっ!?」


 あまりに衝撃的過ぎて、言葉が出ない。


「ぐ……、グレコ? な、何……、何してるの??」


 なんとかそう言ってみたが、彼女は答えない。

 いや、答えられないのだ。

 何故なら彼女は今、タイニーボアーの、皮を剥いで肉が露わになった首元にかぶりつき、何やら必死な形相で血を吸っているのだから。


「うっ!? うわぁあっ!??」


 逃げ出そうとするも、腰が抜けてしまって動けず、その場に座り込む俺。


 何だっ!? 何してんだよグレコ!?


 しかし、恐怖はそれだけでは終わらなかった。


 タイニーボアーの血を吸い続けるグレコの髪が、美しい金色だったはずのその髪が、徐々に変色し始めたのだ。

 金色が茶色に、茶色が焦げ茶色に、焦げ茶色が……、最後には、真っ黒になってしまった。

 そして……


「ぷはぁっ! ご馳走様~!!」


「ひっ!? ひゃひっ!?? ひぃやあぁぁぁぁ~!!??」


 ようやくタイニーボアーの首元から口を放したグレコの顔は、ホラー映画さながらの様子で、真っ赤な血にまみれていた。








「ブラッドエルフのこと知らなかったのね。まぁ見ての通り、吸血エルフってやつよ。もともとは普通のエルフだったんだけどね、数千年前に奇病が流行って、それが生き物の血液を飲むことで治ったの。けれど、その治療方法には副作用があってね。治ったエルフは定期的に血を欲するようになった。もちろん、飲まなくても健康に害はないし、死にはしないんだけれど……、なんていうかこう、飲まないと乾くっていうか、ね? で……、私たちブラッドエルフは、その奇病から生還したエルフたちの子孫ってわけ」


 体中の血を全部吸い取られ、どこか萎んだ感じのタイニーボアーの体を短剣で切り刻みながら、グレコは淡々と説明してくれた。

 その顔についた鮮血を、拭き取る事もしないままに……


 グレコの外見は様変わりし、金髪は漆黒の髪に、瞳の赤は先ほどまでよりもその赤みを増して、白い肌はいくらか血色が良くなっている。


 彼女の説明に、どう返事をすればいいのか分からず、俺は地面に座り込んだまま黙っていた。


「驚かしちゃったかな? ごめんね?? でも、一昨日くらいからなんか、すっごく乾いてて……、もう限界だったのよ、えへへ♪」


 えへへって……

 ん? 待てよ??

 一昨日くらいからって事は……???


「あの……、じゃあ、昨日も?」


 ドキドキしながら尋ねる俺。


「うん」


 へ? じゃ、じゃあ……??


「僕と、出会った時も??」


 ドキドキが激しくなる俺。


「そうだね」


 は? ま、まさか……??


「ぼ……、僕のこと……、た、食べようと、思った???」


 ドキドキドキドキドキドキドキドキ


「ん~」


 そこっ! 濁さないでっ!! 

 すぐさま「NO」って言ってぇっ!!!


「正直、凄く美味しそう! って思ったけど、体も小さいし、大して飲めないな~って。それに、言葉を話している相手を襲ってまで血を飲むのは、私の流儀には反するのよね」


 お、おおう……、マジか……

 そりゃまぁ俺は、さぞ美味しく見えるでしょうね。

 ぷくぷく太ってて、モフモフで、柔らかそうで……、如何にも食材向きですものね、あはははは。

 ……ふぅ~。

 いやはや、どんな流儀なのかは知らないが、食べられなくて本当に良かったです、はい。

 世界は、広くて怖いよ、母ちゃん……、ぐすん。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る