19:闇の魔獣が棲まう森

「うえっ、うえっ、ぐすん……」


「あ~も~、ほら泣かないで~? もう急に血を吸ったりしないから、ね?? ねっ???」


 泣きじゃくる俺と、一生懸命になだめる黒髪のグレコ。

 口元にはまだ血が残っているものの、グレコの口調は変わらず優しい。

 泣くのは恥ずかしいし、男らしくないから嫌なんだけど、怖かったのと、安心したのとで涙が止まらない俺。


 血を吸っていた時のグレコの顔は、どんなホラー映画のお化けよりも怖かった。

 見てはいけないものを見てしまった、とはまさにこの事。

 あの顔、あの表情は、きっと一生忘れられないだろう……


 幸いにも、血を吸ったからと言って、グレコが化物みたいに豹変することはなく、俺は安心すると共に涙が溢れてしまったのだった。


「ほらほら、涙を拭いて? 大丈夫だから、ね?? もぉ〜……、あんまり泣いてるとぉ~、血を吸っちゃうぞっ!?」


 悪戯に笑って見せるグレコだが、まだ血生臭いその口で言われると、冗談に聞こえない。


「うぅ……、嫌だよぉ~! 僕を食べないでぇ~!! うわぁぁ~ん!!!」


 とめどなく涙が溢れてくる俺。


「あああっ!? ごめんごめん! 食べないっ!! 食べないわよ!!! 食べないからね、泣き止んで? ねっ?? ねっ???」


 焦るグレコを他所に、俺はしばしの間、泣き続けたのであった。








「はいっ! これで全部かな? うわ~、全部入ったの!? 凄いわねその鞄!!」


 グレコが切り刻んだタイニーボアーの生肉を、手渡されるがままに、俺は自分の鞄に次々詰め込んでいった。

 泣いた後だったので、あまり何も考えられず、知らぬ間に全部入れてしまったのだ。


「あ……、うん、ちょっと魔法がかかってて……。一杯入るんだ」


 泣きはらした顔で、ぼ~っと、平然と、適当な説明をはしてしまう俺。


「そうなんだ。……ねぇ、もしかしてモッモは、結構有能な魔法使いだったりする?」


「え? なんで??」


 俺が魔法使いだと?

 どっからどう見たらそうなるんだ??

 俺は……、どっからどう見ても、ただのピグモルですが???


「だって、昨日はいきなり何もない場所に現れたし、そんな鞄も持っているし……。何より、最弱種族として有名なピグモルなのに、こんな森で一人で旅しているしね。普通じゃないんじゃないかな~、って思ったの」


 あ~、えっと~……、こんな森で、ってところが少し引っかかる。


「こんな森でって、ここはどんな森なの?」


 森にいるくせに知らないのか、と言われそうだが、本当はここに来るのは初めてなので、知らないものは知らないのである。


「え? 知らずに歩いていたの?? だってここ……、私の里では有名な、闇の魔獣が棲まう森だよ???」


 は? ……え~、何それ~?? 初めて知ったわ~。


 グレコの言葉で、ようやくぼんやりしていた思考が動き始める俺。


 さっきは、タイニーボアーの縄張りってだけで驚いていたのに、いきなり闇の魔獣って……、マジかよ。

 響きが邪悪過ぎるわ~。


「僕、本当は……、村を出たの初めてなんだ。だから、自分の住んでいた村が、そんな闇の魔獣が棲んでいる恐ろしい森の中にあるだなんて、知らなくて……」


 あ、でも待てよ? そういや村の大人達は、テトーンの樹の村の外には魔獣がうじゃうじゃいて危険だから、絶対村の外には出ちゃ駄目! って、子供達に言い聞かせていたっけ……

 どうせ子供を怖がらせる為の御伽噺というか、ただの噂だろうとしか思ってなかったけど……

 え?? まさか、本当の話だったの???


「そうだったの!? でも、初めてなのに……、またえらく遠出したわね。そんなに薬草が足りてなかったの?」


 薬草? 何の話だ?? って……、そうでした!

 俺がそう言ったんだ!!

 あっぶね、自分で使った設定を無視するとこだったぜ!!!


「う、うん、まぁ……、そんなとこ……」


 焦ってドギマギする俺。


「そっか……。でもまぁ、闇の魔獣はもっともっと西の森に棲んでいるって噂だし、魔獣の使いの巨鳥の縄張りも北の山々の麓だって聞いた事があるし……。南はタイニーボアーのような魔獣もいないから、村から出た事ないなら知らなくても仕方ないかもね」


 ……えっ? 巨鳥??


「その……、巨鳥って?」


「ん? 北の山々の麓にいる巨鳥の事?? なんかね、西の闇の魔獣の配下らしいのよ、噂だけど。巨鳥に遭遇した後で闇の魔獣に襲われて怪我をしたって、森をパトロールしていたエルフの仲間が言っていたとかなんとか……」


 うぉ~、マジかぁ~。

 あいつ、そんな凄い奴の配下だったのかぁ~。

 恐ろしや~恐ろしや~。


「とにかく! 村へのお土産ができて良かったわねっ!! タイニーボアーの肉、食べた事ないんでしょ? それだけ沢山あれば、村のお仲間ピグモル達も、みんなお腹いっぱいよね!!!」


 あ……、お土産だったんだこれ。

 泣いていたせいで、何故俺の鞄に肉を入れるのかなんて、全然考えて無かったわ。


「さっ! 急いで村まで帰らないとね!! さすがに、あんまり生のままだともたないと思うし……。まぁ、私がほとんど血を抜いておいたから、あと四日はもつと思うけど♪」


 うっ!? ……うん、ありがとう、血を抜いておいてくれて。

 まぁ、かなりの衝撃映像ではあったけどね。


「あっ、試しにちょっと食べてみる? お昼ご飯まだだったし。……私は先にちょっと食べたけどね」


 苦笑いしつつ、俺はグレコの提案に乗る。


 正直、タイニーボアーの肉は獣臭がきつい。

 俺もだけど、村のみんながこれを食べられるのか不安だ。

 雑食とはいえ、肉らしい肉を、ピグモルは食べない。

 村の近くに小川があるから、魚はよく食べるけど……

 でも、せっかくこんなに沢山、ピグモルだけでは絶対手に入らない様なお肉が手に入ったのだ。

 この機会を逃せば、おそらく一生、肉なぞ食べられないだろう。

 物は試しである……

 持って帰る前に、俺が、ピグモルでもちゃんと食べられるか、確認しておかないといけない!


 鞄から、さっき入れたばかりの生肉を、二人前ほど取り出して、グレコに手渡す。

 グレコは、それを短剣で薄く切り分けて、適当な細い枝にグルグルと巻き、ササッと焚き火にかざした。

 チリチリと、炙られていくタイニーボアーのお肉。

 懐かしい様な、初めての香ばしい匂いに、俺の口の中は涎まみれになっている。

 しかし……

 薪が少ないせいか、焚き火の火力が上がらず、なかなか焼きあがりそうにない。


「う~ん、もう少しこんがり焼かないと、生は体に良くないからねぇ~」


 グレコはそう言って、火の勢いを強めようと焚き火に枯れ葉を足す。


 生は体に良く無いって……、さっきまで血を吸っていた奴の言葉には思えないな。

 しかしまぁ確かに、生の肉ほど怖いものはない。

 たとえ、つい先ほど仕留めた超新鮮な肉であってもだ。


「もう少し、火が強くなればなぁ……」


 俺がボソッと呟いた、その時だった。


『火力、上げるから……、それ食べていいうぉ?』


 何やら聞き覚えのある声が背後で聞こえた。

 鼻が、やたら焦げ臭い匂いを嗅ぎ取る。


 俺とグレコが二人で同時に振り返るとそこには……


「えっ!? なにっ!??」


 驚くグレコ。


「あ、君は確か……、バルン?」


 普通に話し掛ける俺。


『あ~い』


 眠気眼でにやりと笑う、火の精霊がそこにいた。

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