第4章 兄弟か親子

第26話 ゆっくりお話ししましょう

 その日は夏の日差しが全国的に降り注ぎ、夕方には夏らしい夕立が辺りを包んでいた。私は、神楽坂かぐらざか駅で純ちゃんを待っていた。


 辺りには隠れ家的なレストランが多くあるらしい。私にはこういうのはよくわからない。多分私とは全く異なる世界の住人が使うのだろう。


 つまり今日私は別世界にご招待される、アウェイだな。まあ今までホームで戦ったことなんてほとんどないんだ。それに、純ちゃんに会えるだけでも儲けもんなんだ。そんな不平は言ってられないさ。


「おまたせ」


 2年前の、四ツ谷駅と同じ笑顔。


「ひさしぶり、元気そうだね」


 実際、元気そうだった。前に会ったときは、顔に疲れが見えていたが、今は大丈夫そうだ。今日は大人の女性らしい、シックな服装できている。


 ノースリーブの水色のワンピース。もう40前だというのに全くそう見えない。これもパリキィの為せる技なのかな。だとすれば私もあっち側についたほうが良くないか?


「どうしたの急に?」


 分かっているんじゃないの?

 純ちゃんはそういうところがある。


「いろいろあってね、今日は帰さないぞ」


 緊張してるな、私。これまた初めての学会みたいだ、言葉がうまく出てこない。出てこないのに、出てこなくていい言葉が出てこようとする。冷静に、冷静に。


「今日はどんな素敵なところに連れて行ってくれるの?」

「よく行くレストランよ、鴨料理がとっても美味しいの」

「私が鴨好きだってよく知ってたね」

「2年前に言ってたじゃん」

「そうだっけ?」


 裏通り沿いの、看板のない、誰かのお家のようなお店だった。洋風のたたずまい。おしゃれなところだ、一人では一生行かないだろう。というか行けない、看板もないここがレストランだと気づけない。


「ここお店なの? すごい」

「いいところでしょ、中もすごいのよ」


 店内はすべて個室になっていて、個室は4人がけのテーブルが窮屈に思えないぐらいの広さで、ロココ調の華やかな装飾に彩られている。密談にはもってこいだ。


「綺麗、宮笥みやけ先生が住んでそうなところね」


「でしょ、料理も美味しいんだから」


 着席してから、鴨のコースとドリンクを注文する。さて、どうやって切り出そうか考えながら、世間話などをしながら時間が過ぎていく。


「乾杯」


 お酒は控えめにしないと、純ちゃんは私より遥かにお酒に強い。笑顔で、いつものように見える純ちゃん。その裏には、本当に別の顔があるの?


 そんなふうには全く見えない。その笑顔の裏で、弟さんと引き換えに、人類を滅亡に追いやるの? でもこれは、みんなで出した仮説。みんなで出した結論。


「で、今日はなんの話に来たのかな?」


 純ちゃんはいつだって、私のことなんてお見通しだ、私がなにか聞きにくいことを聞きたがっていることぐらい、とっくに気がついているのだ。


 高校の時、成績も、運動も、部活動の囲碁だって、純ちゃんには叶わなかった。そんな純ちゃんに私は憧れていた。



「えっと、うん。そうだね。単刀直入に聞くわ。純ちゃん、パリキィを手伝ってる? もう10年ぐらい前から」


「おお、ズバッと来ますな?」

「うん。もう昔の私じゃないんだぞ」

「かおるんもいい女になったなぁ、ふふふ、お姉さんは嬉しいぞ」


 屈託のない笑顔が急に、真剣な眼差しに変わる。


「では私も単刀直入に答えるね。手伝ってる。あなた達の想像のとおりだと思うわ」


 あまりにも、簡単に、認めてくれた。


 もう思い残すことは無いとばかりに、純ちゃんは清々しい顔をしている。まるでずっと誰かに言いたかったかのようだ。実際、そうかもしれない。


 これまで10年以上も、1人で抱え込んできたんだ。弟さんのために、人類を敵に回すような行為を。ずっと1人で。同情はできる。


 多分私だって、同じ立場なら同じことをしていたかもしれない。でも私だったら、10年も1人で抱え込むなんて無理だろうな。やっぱり純ちゃんはすごいな。



 それでも私は、純ちゃんを責めなくてはならない。心が苦しい。


「自分のやっていることをわかっているの?このままだと、人類は大変なことになるんだよ?」


「知ってるわ。でもだいぶ先の話よ。少なくとも、数百、数千年後の人類が大変かもしれないって話でしょ?」


「パリキィから、そう聞いたの?」


「ええ、全て聞いたわ。パリキィはエウロパに行き、エウロパを第2の地球とする。そこで、生命を起こし、彼の創造主を甦らせる。違うかしら?」


「私達の結論もそうよ、でも少し違う」


 純ちゃんは知っていた。パリキィの目的を。私達の想像通りの。やはり、パリキィの目的地は、エウロパ。


「今の人類が危ないかもしれないって?」


「そうよ、パリキィにとって、今の人類は邪魔者以外の何物でもないわ。数百、数千年したら、人類はより強大に、そして、パリキィのもたらした技術を使ってパリキィのような超知性を作ってしまう」


「そんな事になっては、悠長にエウロパで神様ごっこをしている場合では無いはずよ。騙されてるとは、思わないの? 相手は、人智を超える力を持ってるんだよ」


「正直、わからないの。私にも、手に余る案件だわ。でも、弟は助かった。私にはそれで十分だった。私にとっては、唯一の家族だから」


 そう、純ちゃんにはもう、弟さんしか居ない。両親は、弟さんが生まれてすぐ、他界されていた。だからこそ、純ちゃんは弟さんに、唯一の肉親にもっと生きてほしかったのだ。


「少なくとも、パリキィのおかげで、弟の寿命は長くなった。外を歩くことさえできるようになった。私は信じるわ、パリキィを。これが私の答えよ」


「純ちゃんも私と同じく強情だからなぁ。じゃあ一つだけ、お願いを聞いてくれない?」


「あなたの血液検査をさせてもらいたいの。あなたの血液から、何も出なければ、私達も安心できるわ」


「いくらでも持ってきな」


 楽しい食事の後、2人で海良かいら先生の家に向かった。あの地下室に純ちゃんを誘って、そこで、血液を頂いだ。純ちゃんは堂々としていた。こんなことじゃ、驚かないよね。


「ありがとう、純ちゃん」

「お安い御用よ、これで疑いが晴れてくれると嬉しいわ」


「もうひとつ。純ちゃん、私と、賭けをしない?」

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