第1話 考古学者の未来

 ラジオ体操もそのうち伝統となり、後世の研究者たちの研究対象となるんだろうか。誰も調べていないだけで、実は地域ごとに体操の仕方や集まり方に偏りがある可能性も否定できない。


 だってラジオの指示だけで完全に同じ動きを再現なんてできないよね。私には無理だったし。


 そんなことをふと考えてしまうのは、ラジオ体操帰りの子どもたちの元気な声が遠くから聞こえてくるからだ、若いって言うのは良いことである。


 朝の7時だというのに、夏の日差しには容赦がなく、気温はすでに30℃を超えている。


 ここは住宅街の一角にある遺跡。


 朝6時から始まった発掘作業はまだ始まったばかりだ。大学で講義をする必要のない夏休みは研究に専念できる貴重な時間だ。外出していれば面倒な会議に出る必要もない。

 

 しかし発掘調査を行うには日本の夏の高温多湿はあまりにも辛い。

 すでに顔には汗が吹き出していた。


「田辺せんせーい、スマホ鳴ってますよー」


 学生の島田君がニヤニヤしながらやってくる。

 

 最近恋人ができたらしく、それ以来人の恋バナに首を突っ込みたがるのだ。私の恋バナなんて聞いてなにが楽しいんだか。そもそもがそんな話とは無縁の生活を長らく送っている。


「彼氏すっか、彼氏っすか?」


「そんなのいねーよ、足下見ろ足下」


 相変わらずニヤニヤしている島田から渡されたスマートフォンの画面には、向山むかいやま純子と表示されていた。懐かしい名前だ。


 しかし純ちゃんからこんな時間に電話が掛かってくるとはどういうことだろう。いろんな可能性を考えるが妥当な回答が見つからない。


 いったいなんの用があるというの、防衛庁で働く彼女が。

 あれ、今って防衛省だっけ、いけない年がバレてしまう。



「はい、田辺だけど……」


 学生たちは出土した土器のかけらなどを仕分けている。

 弥生時代の典型的な遺跡で、発掘にも慣れてきた彼らが困ることはないだろう。



「島田くんごめんけど今日午後から急用が入っちゃって」

「男っすか、男っすね?」

「『男』の定義によるかな」


 こんな私でも、彼氏と呼べる相手はこれまでに何人か持ち合わせていた。


 しかしどの相手とも、自然と疎遠になっていた。

 転勤とか多忙とか理由は様々だけど、ほとんどがお互いの仕事に起因していた。


 今の仕事をやめ、結婚することも考えたこともあったけど、研究をやめることにどうしても踏ん切りがつかなかった。

 

 三十代半ば、研究で上に行くにしても、結婚を考えるにしても重要な時期だというのに、なんだかんだと選択を先延ばしにしているのだ。


 高校時代の友人である向山むかいやま純子、通称純ちゃんから連絡が来るのは数年ぶりだ。


 連絡といっても連絡先の変更などの連絡もあったから、直接電話で話したのは10年ぶりだった。


 よくある話だと、長らく連絡のなかった旧友からの連絡となるとなにかの勧誘を疑ってしまうが、彼女に関してはありえない。


 しかし朝7時に電話をかけてきたかと思うと今日会いたいなんて言う、わざわざ東京からここ熊本まで来るというのだからただ事ではない。

 

 全く思い当たる節がないし、要件を聞いても教えてもらえない。

 


 学生への指示を終え、車で駅前に向かう。駅前の喫茶店で待つことにした。待っている間に彼女のことを調べてみる。


 向山純子、内閣官房副長官補。


 いつの間にか異動していたらしい。これは栄転なのだろうか。


 帝都大学の医学部に入学したあと防衛庁に入ったことは知っていたが、内閣に入っていたとは知らなかった、といっても官房副長官補がどのようなことをしているかは全くわからない。




 最初のコーヒーを飲み干した頃、純ちゃんは現れた。


「かおるん久しぶりー」

「純ちゃんこそー、なにか注文する?」

「いいわ、どっちにしろすぐ出る」


 前に会ったときは地元の同窓会だった、まだ入庁して間もない純ちゃんは若々しい活気に溢れていた。


 髪をショートにし、男社会の防衛庁で認めてもらえるよう必死そうだった。


 今の彼女からは別な気概、一線で活躍している人のそれが感じられた。

髪も長く伸ばし、女性としても一級品であった。


 これではどれだけ「男」の定義を広げても入りそうにない。そもそも男の定義を広げて真っ先に男に仲間入りしそうなのは私の方なのであるが。



「いったいなんの用?」

「かおるんって今考古学の研究をしているんだよね?」

「してるよ」

「古代語の解読や異文化研究もやってたよね?」

「ああ、やってたなぁそんなことも」



 仕事の話をされて困惑した。しかも昔やっていた研究まで調べている。



「古代語や異文化の研究はプロジェクト予算でやってたアルバイトみたいなものだよ」

「それでもいいわ、とりあえず、これを見てもらいたいんだけど」



 そう言って純ちゃんはタブレットパソコンを取り出して一枚の画像を表示した。

 

 写真には縄文時代のものと思われる土器が写っていた。岡山県周辺で出土するものに特徴的な文様がきれいに残されている。保存状態は良好なようだ。



「最近の自衛隊は鬼退治もやるの?」


 純ちゃんの表情がこわばった。

 一気に空気が変わるのがわかった。


 なんだ?

 なにか、一線を越えて別な世界に入り込んだような感覚に襲われる。


「わかるのね?」

「大体の地域ならね」


「さすがね、作られた時代もわかる?」

「紀元前8から2世紀ってところかな」


「来たかいがあったわ。どこか静かに話せるところはない?」

「研究室ならここから10分ってところだけど?」


「個室? ならそこでお願い」


 会計を済まし喫茶店を出る。


 純ちゃんが支払うと言ったが断った。昔の純ちゃんならそんなことは言わなかった。

 官公庁に務める人間が奢られたり奢ったりすることは利益供与に当たるからという理由だったが今は違うのかな。

 

 SUVを停めてある駐車場に向かう。


「これかおるんの車?」

「そうだよ、できれば小さいのがいいんだけどね。発掘に行くとき小さいのじゃなにかと不便でさ。でも遺跡までの道ってせっまいのが多くてねー、いつもキャーキャー言いながら運転してるよ。とっとと自動運転になってくれるといいんだけど」


「変わらないなぁ。もうこっちの生活にも慣れた?」

「まーまーかなー、知り合い誰もいなくって寂しいぐらい」


「なるほど男が欲しいと」

「お前もそれを言うのか」



 それからは高校時代の友人の話などをしながら車を走らせた。


 大学へ入り、ヒューマンサイエンス学部へ向かう。

 駐車場へ車を停め、ライフヒストリー学科のある建物へ向かう。



 薄暗い廊下、2本分のソケットのある蛍光灯には1本しかセットされていない。



「すまんね、経費削減の一環で電灯やエアコンは満足に使えないんだ」



 私の所属する熊本文化大学は文系の大学で5学部12学科がある。


 大学の規模としては大きい方だが学生は都会の大学に進みたがるため受験生の確保に苦労していた。私も研究の合間を縫っては県内外の高校へ営業や宣伝に駆り出されていた。

 


 個室は3階にある。エレベーターには省エネのため使用を控えるよう要請する紙が貼ってある。カネがないから使うなと正直に書けば良いのにと見るたびに思う。

 

 部屋に入りエアコンを動かすが、設定温度を変更できないこのエアコンに期待するのはよろしくないので、自腹で購入した扇風機を付ける。


「本題の前に、話しておくことがあるわ。まだ知らないみたいだから、先に話しておきましよう」


 かしこまり、深刻な顔つきで話す純ちゃん。

 

 不安になる。


「この大学、来年もあるかどうかわからないって知ってる?」


「はい……?」


 考古学の話かと思ったら、いきなり私の未来の話が飛んできた。

 いったい彼女は何をしに来たんだ?

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