図書館ぐらし~または妾は如何にして耐えるのを止めて此処に囚れるようになったか

からした火南

第一話 どうか聞いてくださいまし

 お待ちください。どうぞ、お待ちください。

 わたしの姿が見えてらっしゃるんでしょう? 妾の声が聞こえていらっしゃるんでしょう? どうか行かないで。どうか話を聞いてくださいまし。

 後生ですから少しだけ、少しだけお時間をいただけませんでしょうか。どうしてこんな所に住んでいるのか、どうして図書館に住まうことになってしまったのか、聞いてはくださいませんか。

 こんな奥まった場所まで来られる方は、あまりいらっしゃらないのです。まれに人が来ても、妾の姿が見えないばかりか声すら届かない始末で……。だから、あなただけなのです。あなたしか、妾のお話を聞いていただける方は居ないのです。だからどうか、どうかお願いいたします……。

 本当でございますか! 聞いていただけるのですね!

 嗚呼、何とお優しい……ありがとうございます。ありがとうございます。感謝いたします。どうぞこちらへ。ほら、書架の前の長椅子におかけになって。妾も隣へ失礼いたします。

 さて、何処からお話ししたものか……。そうですね、まずは妾の事をお伝えいたしましょうか。妾はこの図書館で、司書をしておりました。三年間に渡り、此処に勤めていたのです。元来が本好きでしたので、天職だと思っておりました。来館者様のお相手は苦手でしたけど、それでも沢山の本に囲まれて幸せな職場でございました。


 妾には、兄が居ります。兄様とは幼少の頃より気が合い、周囲からも仲が良いと評判の兄妹でございました。

 妾が図書館に勤め始めた頃、兄様は結婚いたしました。結婚相手の兄嫁がまた良くできた方で、妾は御姉様おねえさまと呼んでお慕いしておりました。御姉様を一言で表すのなら、月並ではございますが才色兼備という言葉が相応ふさわしいのではないかと思います。会話や立ち振舞に知性がにじむだけでなく、とても美しくお洒落にも詳しい方でした。

 一度など、妾の野暮な格好を見かねてお洋服を分けてくださり、お化粧の仕方まで教えてくださいました。その時ミツコという香水をいただいたのですが……ご存知でしょうか、あの香水。ボトルの形が……その、何と言いましょうか……その、男性の……シ、シンボルを、象っているのですってね。からかわれているんじゃないかと思って妾、何度も何度も御姉様におきしましたのよ。でも、本当のことなんですってね。驚いてしまいました。お化粧品のデザインには、よく使われるモチーフなんですってね。


 あら、いやだ。お話がれてしまいました。ごめんなさい。兄の話でしたね。

 兄様とは子供の頃から何処へ行くのも一緒で、我儘わがままばかり言って困らせたものでした。そんな妾の面倒を、兄様はよく見てくれました。

 妾、兄様のことが本当に好きでしたのよ。兄妹なんて言葉なんかでは、縛られたくないくらいに……。もちろん兄様だって、同じ様に思ってくださったわ。そう、恋人のような二人でしたの。心の底から通じ合っておりましたの。

 あの、それでね、どうぞ軽蔑けいべつなさらずに聞いてくださいまし。妾たち、心ばかりでなく躰も通じ合っておりましたのよ。不道徳だとおっしゃるでしょうか。ふしだらだと、お思いになるでしょうか。しかし考えてもみてください。最も近しい存在に親しみが湧き、その感情がやがて愛情へと至ることに、何の不思議がありましょうか。

 幼き頃から仲睦まじく育った兄妹は、いつしか互いに愛し合うようになったのです。妾が女学生だった頃に初めて結ばれ、その後は家人の目を盗んでは情を交わしておりました。

 血縁同士愛し合うことが、周囲からどのように見られるのか……もちろん兄様も妾も解っておりました。しかし、禁じられるほどに燃え上がってしまうのが、愛の炎でございます。ましてや妾たちは、血を分けた文字通りの半身同士。互いが互いを欲し、狂おしいほどに求め合ったのでございます。


 そんな二人の関係にも、終わりの時がやってまいります。兄様が、妻をめとることになったのです。

 うちの者は皆、見合いで結婚いたします。ふるい家でございますから、何をするにしても風習めいたものが付いてまわるのです。結婚のお相手を決めるのは両親、加えて親族会議で一族にはかります。兄も親の決めた方とお見合いをし、すぐに婚姻を結ぶ運びとなりました。

 もちろん、妾は面白くありませんでした。家の定めることとは言え、納得ができるものではございません。兄様との関係が終わってしまうだなんて、考えたくもございませんでした。

 でも、兄様は言ってくださったのです。今までと変わらずに、妾を愛してくださると。妻への愛は仮初かりそめのもので、本当の愛は妾と共に在るのだと……。


 兄様は結婚と同時に、御姉様と新居に移られました。ひとつ屋根の下で共に暮らしてきた兄様が居なくなってしまい、それはそれは大きな喪失感を味わったものでした。兄様は寂しさを察してくださり、妾の務める図書館へと足繁く通ってくださるようになったのです。

 此処なのです。ちょうど、この場所なのです。建物の一番奥まった場所。司書でさえ滅多に立ち入らない、学術書が立ち並ぶ一角。ここで兄様は、何度も妾を抱いてくださいました。閉館時間が近づき人がまばらになった頃、書架の陰に隠れて妾をお抱きになるのです。

 こんな所で実の兄妹が睦み合っていると知れれば、兄様も妾も身の破滅でございます。しかしあの頃の二人は、求め合わずにはいられなかったのです。場所を選んでいる余裕はございませんでした。

 着衣のまま抱き合い、兄様は強く唇を吸いながら、ゆっくり、ゆっくりと挿し入れてくださいました。見つかってしまうのではないかという不安におびえながら、らすがごとき緩やかな侵入に身悶えいたしました。着衣に隔てられ、唇と下半身だけが繋がっているという奇妙な感覚にたかぶりました。声を漏らすことの出来ない歯がゆさ、そして素肌を重ねることができないもどかしさに、気が違ってしまいそうでした……。

 妻が在りながら妾を抱いてくださる喜び、御姉様よりも愛されているという優越感、血の繋がった者同士が交わる背徳感、そして知の集積地をけがしていることへの罪悪感……躰を突き上げる快楽に様々な感情が絡みつき、我を忘れるほどの愉悦ゆえつに堕ちてしまったのでございます。

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