生活力の低いおにいさん(第8話)

宮崎笑子

第8話

 高級マンションが立ち並ぶ界隈の、とあるスターバ〇クスのスツール席で、その男は無駄に長い足をぶらぶらさせながら新作のフラペチーノを飲んでいた。細身の体躯で白いTシャツとデニムをさらりと着こなし、ゆるいパーマのかかった髪の毛はきゅっとアーモンド型に引き締まった目と八の字に下がった眉の間くらいで揺れている。赤みの強い唇はゆるりと弧を描いており、ふとした表情に飼い馴らされた大型犬を思わせる男だった。

 男は時折店の入り口に目を向けては、手元のスマートフォンに視線を落とし、かと思えば退屈そうなまなざしで、混み合う店内の客をずらりと眺める。そして、盛大にひとつ舌打ちをした。

 彼は犬並みの嗅覚を持ち、こと金の匂いには敏感だ。金の匂いのしそうな独身の女を探して、視線はレジ前の列に流れた。

「…………」

 まなじりが、ぴくりと引きつった。列に並んでレジ上のメニューを見上げているひとりの女に視線を集中させる。すらりと伸びた長身、若干肉づきのいい、しかし決して肥満体ではない女の魅力にあふれた背中。顔までは確認できないまでも、男は彼女から濃厚な金の匂いを嗅ぎ取った。

 レジで新作のフラペチーノを注文し商品を受け取ってそのまま店を出て行く女を追う。少しだけ歩かせて泳がせたのち、男は彼女に声をかけた。

「あの、すみません」

 振り返った女は、少し垂れた大きな目、唇の下にほくろ、年の頃は三十代前半といったところ。突然話しかけてきた男にも、オフィス街と高級住宅街の折衷といった街の風土からか特に警戒心なく首を傾げてみせた。

「ペンギン見ませんでした?」

「ペンギン……?」

「そう、俺ペンギンを散歩させていたんですけど、リードを離してしまって」

「……ごめんなさい、見てないです」

 超超超古典的なナンパの手段をみじんも疑う気配を見せず馬鹿丁寧に返答してきた女に、いける、そう確信した。

「あれ……おかしいな、けっこう大きいんです、このくらいの」

 胸の下あたりを手で示すと、女は少し目を見開いて、ようやく嘘ではないかと疑いはじめた。

「見てないです……」

「そっか……かわいがっていたんだけど……もう見つからないのかな、三日も探しているんです」

 三日。この言葉はあながち嘘でもない。男は、三日間探しているのだ。

 さかのぼること三日。彼はとある高級マンションのゴミ捨て場でカラスと戦っていた。持っていたコンビニ袋に突っ込んだフ〇ミチキを狙われたためである。必死の攻防の末にチキンを死守したのち、真昼間の住宅街の公園でそのチキンを食べながら、男は考えた。

 これからどうしよう。

 というのも、彼はつい先ほどその高級マンションに住む女にポイ捨てされたところだったのである。三ヶ月ぶり七回目のポイ捨て。今回の敗因は、部分的な潔癖の気がある女の度重なる忠告をつい忘れて、ベッドの上でスナック菓子を食べ続けてしまったことだった、と自省する。

 所持金は一万円。女が、餞別として顔に叩きつけた三行半のような存在。それにてとりあえずコンビニでフ〇ミチキを購入することで崩し、五千円札一枚、千円札四枚、そして小銭に化けたそれを手の中で転がしてため息をついた。

 これではいけない、と彼は奮起する。

 この金が尽きる前に、次の寄生先を探さなければ!

 というわけで、金の匂いがぷんぷんしそうな高級マンションの立ち並ぶ界隈のスターバ〇クスでたそがれていたわけである。ちなみに先の話が三日前で、現在男の所持金は五百円を切っている。

「まあ……かわいいおねえさんは見つけたけど、ペンギンは見つからなかったってことだなあ……」

「ふふふ」

 彼女はそろそろ気づいているはずだ、このペンギン話がナンパの手段であることに。それでも笑っている、ということは、完全にいった。男は再びそう確信した。

「ペンギン見つからなかったし、とりあえずご飯いきません?」

 なにがどうとりあえずなんだよ、という思いは男の中にもあるものの、完全にいった、と確信しているのでわりと文言が雑になっていくのは致し方あるまい。

 そして案の定、女は吹き出して頷くのである。一本釣り上げました、はいマグロ。


 (コピ本版はここでペンギン画像が入る)


 蝶のようにひらひらと舞い遊び、女を甘い囁きでいい気分にさせその気にさせて貢がせる。

 そんなプロヒモみたいな男ではないのだ、彼は。

 そんなこんなで、スターバ〇クスで引っかけた女との同棲生活も二ヶ月目に突入していた。まあまあ続いているほうである。とはいえ、前回の寄生生活は三ヶ月少しは続いたのだから、と男はそれについての記録更新をもくろんでいる。

 女は、両親が不仲だったために結婚に夢をみられない。だから、早くから計画的に貯金してマンションを購入し、ひとりで生きていくことを決めた。そんな一城の主である彼女にとって、男ひとり抱え込むくらいは経済的にわけはないのであるが、問題はその男のだらしなさにあった。

 着ていた服は廊下に転がっているし(なぜ)、何度注意しても風呂上がりろくに身体を拭かずに出てくるし(なんで)、ワイファイが通っているこの家ではずっとスマートフォンをいじっている。特に最後の項、何をするにもスマートフォンを手放さないこの男は、いったい何をしているのか。女は気になって、しかし風呂にもトイレにもそれを持っていくためになかなか覗き見るチャンスすらないのであった。

 果たして男がスマートフォンで何をしていたかと言うと、なんてことはない、偽名(ハンドルネーム)を使ってSNSに没頭しているわけである。ツイ〇ターでは、なかなか知名度のあるパクツイアカウントとして有名だ。パクったポストがバズると、ツリー欄にアフィリエイトのサイトをぶら下げることにしている。もちろん、一部のユーザーには見抜かれて通報されている。何度か凍結処分を食らっては不死鳥のごとくよみがえるのである。

 そんなあくどいことをやっているとはつゆとも知らない女は、もしかしてほかの女と連絡を取っているのかしら、そもそもなんでわたしこんな男を拾ってしまったのだろう、顔がいいから? などと憂いているのである。

 そうして男はついに、女から渡される小遣いに飽き足らず禁じ手に走る。

「んーと、新品未使用、と。エフェクトかけたほうがきれいに見えるな?」

 女が先日、冬に向けて購入した煉瓦色のブランドバッグを前に、スマートフォンを構えている。いくつか異なるアングルから写真を撮影すると、コメント欄には「かわいくて購入したものの、合わせる服がないので出品します。正規店で購入。元値二十万円でした。人気色なので品薄のようです。雑誌掲載商品です」と記入する。

 そう、男は女が買った鞄を、メ〇カリで売り飛ばそうとしているのである。

 人気色なので当然、すぐさま買い手がついた。購入者とメッセージのやり取りを交わし、入金が済まされいよいよ梱包作業に入る、という絶妙なタイミングで玄関のドアが開く。男の肩がぴくりと浮いた。

「ただいま。……何してるの?」

「おかえり。この鞄かわいいから見てた」

「ふーん、そうなんだ」

「うん」

 何事もなかったかのようにコートを脱いだ女が、数瞬黙り、それから男を睨んだ。

「その紙袋、何?」

「袋の手触りが気になって」

「このガムテープは?」

「寒いから暖房の風が逃げないように窓を目張りしようかと」

「ねえスマホ見せて」

「なんで?」

「いい加減とぼけるのやめたら。あんたこの鞄どうするつもりだった?」

 おっとりした垂れ目の優しい女を怒らせると怖い。男は、おののきながら土下座の体勢を取った。

「すみませんでした!」

「メ〇カリか? ラ〇マか? ああ?」

「メ〇カリ……」

「ふざけんないくらで売った」

「……十九万」

 女の怒りが頂点に達してそのまま飛び越えてしまったのを、男は肌で感じた。土下座を土下寝に差し替えてとにかく許してもらおうと平身低頭平謝り。しかし、時すでにおすし。いや、遅し。

 女が男の横っ面を蹴り上げた。

「いって!」

「出てけ」

「顔を蹴るなんて!」

「出ていけよ、このゴミ!」

 首根っこを掴まれ、女性とは思えない力で玄関まで引きずられ、抵抗むなしく外に放り投げられて、ドアが閉まる。非情にも締め出された男は、それでも未練がましくドアに縋りつく。爪を立て、ずるずると伝い落ちながら、彼はぼそりと呟いた。

「手切れ金もなしかよ…………」


 これは、モラルをゴミ箱に捨てた男の、華麗なるヒモ生活の連鎖を描いた物語である。

 男の明日はどっちだ。

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