3.フェスティバル 6
オセロは、二人零和有限確定完全情報ゲームである。
このゲームの特徴として、理論上、完全な先読みが可能であることが挙げられる。
つまり、プレイヤー双方が最善手を打てば、そのゲームの勝敗は、開始前に決まるのだ。
――だが。八×八の盤面において、未だ最善手順は発見されていない。
なら、勝敗を決めるものは何か。
それは、己が頭脳一つである。
◇◇◇
春樹は、盤面をしばしじっと見つめた。その表情から、
ただ、冷静に、春樹はこれから先の展開を読んでいた。
こういう時、春樹は自分がコンピューターになったような錯覚をする。
全ての感覚が遠ざかっていき、ただ、情報を処理するためだけに自分がある。
それは、春樹にとって、不快な感覚ではなかった。
カリカリと、頭の中でCPUが動く音がする。
そして、その音が止まった時、春樹は盤上に白い面を上にして、石を一つ置いた。
そして、続けて盤上の黒を白にぱた、ぱた、とひっくり返す。その数、わずか二枚。
これで春樹の手番は終了だ。
現在、盤面は黒が優勢だった。
だが、対戦相手も周りで見ている者も、黒が有利だと思っていなかった。
なぜなら、前回の対局、黒が圧倒的有利な状況から、一気に挽回し、白の圧勝で終わったところを見たばかりだからだ。
対戦相手が、春樹以上の時間をかけて、黒を置く。そして、一つ一つ確かめるように白を黒へと返した。
それが終わるとともに、春樹は間髪入れずに次の一手を置いた。
「――っ!?」
対戦相手の息を飲む音が聞こえる。
だが、春樹は迷いなく、黒を白へと返した。
先ほどの対戦相手の一手。春樹は対戦相手が打つ前から、そこに打つであろうことがわかっていた。そして、そこに打たれた場合の最善手は、もうすでに頭の中に完成していた。
対戦相手は、前回の対局の負けたイメージを、まだ引きずっている。
今、自分が優勢だと言うのに、それが信じられていない。
だから、どうしても守りに入ってしまう。
堅実で、手堅い手を、と思っていることが、ありありとわかる。
だが、対人、対コンピューターと何十局も繰り返してきた春樹に対して、「堅実で、手堅い手」というのは、狩ってくれと言っているに等しかった。
春樹の早指しに煽られるように、相手も石を置いた。
春樹は、心の中でのみ、ニヤリと笑った。
そこは、最善手に見える悪手だ。五手後、そこに打ったことを後悔するだろう。
パチリ、と春樹が石を置く。そして、白へと返す。
迷いながら、対戦相手が石を置く。白へと変わっていたところが、黒に塗り替えられる。
パチリ、パチリ、パチリ……。
「あっ」
相手が小さな悲鳴をあげたのは、春樹の予想通り、五手後だった。
先ほどひっくり返した石が邪魔で、ほとんど黒に返せず、思わず漏らした声だった。
そんな弱み、見せられたら、付け込まずにはいられない。
春樹は追い詰めるように、ノータイムで次の一手を打った。
パチパチパチ、と、黒が白へと返される。
そこから、相手はただ狩られる獲物になってしまった。
あっという間に、形勢が逆転する。
結局、最後は誰が見ても
終わった瞬間、見ていた観客から、「おぉ〜」と感嘆が上がった。
◇◇◇
「さぁ〜て、それじゃ、まずは何もらおうかな」
春樹がリラックスするように、体をほぐしながら言った。
その後ろで観戦していた長谷川が、春樹、よくやった!と彼の肩を叩いた。
このオセロの試合。ただの遊びではなかった。ゲー研メンバーに五連勝すると、ゲー研にあるゲームを一つ、奪うことができるのだ。
しかも、文化祭に限り、ゲー研メンバーが家から持参したゲーム機も賞品として展示されていた。
だから、五戦中の五連勝というかなりシビアな条件が提示されていたのだが、春樹はそれに危なげなく勝利した。
「ま、負けた……?」
「嘘だろ?副部長はオセロ選手権にも出場したことがあるのに……」
ゲー研のメンバーが信じられない、というように、呟く。
それも、そのはず。ゲー研メンバーが家から持ってきたゲーム機は、言ってみれば「客寄せ」なだけのつもりだったからだ。副部長がいれば、勝負を仕掛けられても、必ず勝てる、という自信があった。なのに、負けた!名も知らぬこんな一年生に!
「なんか、ショックを受けているところ悪いけど、まず、これをもらおうかな」
そう言って、春樹が指差したのは、発売されたばかりの最新ゲーム機だった。
「そっ、それは!」
「僕のゲーム機!」
ゲーム機の所有者が悲鳴をあげる。
「部長!絶対大丈夫って言ったじゃないですか!」
「だって、こっちには副部長がいるんだぞ!?大丈夫だと思うじゃないか!」
「副部長〜、手を抜いたとか……」
「あるわけないだろ!」
副部長は、じとっと睨んでくるゲーム機所有者の言葉を否定する。だが、取られたゲーム機所有者は、その言葉が信じられないのか、睨んだままだった。
「……第一、お前らも、俺がやるってことに賛成していたじゃないか!」
「だって……!」
と、ゲー研メンバー内で醜い責任の押し付け合いが始まった。
春樹はその罵り合いを横目に、ゲーム機をひょいと持つと、その所有者に声をかけた。
「これ、君のなの?」
「そ、そうなんです……!」
哀れっぽい目をして、持っていかないでくれ、と訴えるゲーム機所有者。
その視線を気にすることなく、春樹は質問を重ねた。
「じゃ、副部長?さっき僕とオセロした人の持ってきたゲーム機って、ある?」
「あれです!」
「あ、お前……!」
持って行く対象が変わると思ったのか、ゲーム機所有者は迷いなく一台を指差した。
だが、春樹はそんなに優しい男ではなかった。
「……じゃあさ、あのゲーム機と、このゲーム機賭けて、勝負しない?」
「なっ!」
「そ、それは……!」
春樹の提案に、ゲー研メンバーが車座になって相談を始める。
ボソボソと言葉が交わされた後、部長が代表で春樹に質問をした。
「……ちなみに、勝負方法は?」
「そうだね……」
春樹がゲー研の室内を見渡して、答えた。
「ボードゲームか、カードゲームなら、なんでもいいよ。あんまり、時間のかからないもののほうがありがたいかな」
その答えに、一同の腹は決まったようだ。
「なら、僕と花札で勝負だ!」
「へぇ?」
その言葉に、春樹の目が細められる。それは、罠にかかった獲物を見るような視線だった。
「いいよ。やろうか」
再度、勝負の場に座る春樹に、長谷川がこそっと囁いた。
「お前、ちょっとは手加減してやれよ」
「……何言ってんの?あのゲーム機、全部巻き上げるから。ちょっと、待っててね」
「ほとんど持ってるだろーが」
「それとこれとは、話が別」
春樹はそう言うと、勝負師の顔つきになった。
「――さぁ、ゲームを始めよう」
◇◇◇
「……よぉ。これ、何事?」
春樹の勝負を観戦している長谷川に、声がかけられた。振り返って見ると、勇吾たちが好奇心一杯という顔で、人垣の間から顔を覗かせていた。
「春樹がゲーム機賭けて勝負してる」
長谷川は、声をかけてきた和也に、簡単に今までの経緯を説明した。
「はぁ〜。強いんだね、有沢くん」
「また、えげつねーこと始めたな」
真琴の感心する声と、和也の呆れた声。
春樹のことを、ただのコンピューターオタクだと思っていれば、真琴と同じ感想になり、それだけじゃないと知っていれば、和也の感想になる。
どちらにしても、春樹が褒められて悪い気はしない。
長谷川は、自分のことのように胸を張った。
「なんでお前が自慢そうにしてんだよ」
と和也が呆れた瞬間、観客がまた、「おぉ!」とどよめいた。
「勝負あった!」
「これで四連勝!」
「あと一戦!頑張れ、一年!」
「ありがと〜ございます」
周りからの応援に、にこやかに返す春樹。その正面で、絶望の表情でうなだれるゲー研メンバーたち。
「……いや、まだ一戦ある!」
「この一戦だけでも防衛しきれば、賭けは俺たちの勝ちなんだから!」
そう言って、口々に対戦していた者を慰める。だが、その口調は、どこか不安げだった。
「さぁ、ラスト一局。さっさとやっちゃって、次は別のゲームで勝負しましょ〜」
もうすでに勝った気でいる春樹が、腕まくりをする。
「はぁ!?まだ続けるのか!」
春樹のセリフに、ゲー研部長が驚いた声を出す。
「もちろん。……え?部長ともあろう人が、下級生にだけ賭けさせて、イモ引くんですか?」
「うぐっ……!そんなことは……!」
「ないですよね〜?この一局、すぐ終わらせますから、次何するか考えといてくださいよ」
春樹のわかりやすい挑発に、部長は乗ってしまった。
というか、こんな衆人観衆の前で、引けるわけがなかった。春樹のことだから、その辺も、織り込み済みで挑発をしたのだろう。
「なんか、生き生きしてんな」
「水瀬くんをチクチク責める時のウララちゃんの表情と同じだ……」
「やだ。私、あんなにわかりやすく
和也たちが、邪魔にならないように小声で話した。
「見てくか?」
長谷川の問いに、和也たちは顔を見合わせた。そして、目線で会話すると、和也が皆を代表して、答えた。
「や、どうせハルキが勝つだろ?なら、いいわ。俺らの分も応援してやって」
「りょーかい」
そう言って、和也たちはゲー研の部室を後にしたのだった。
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