2.ディテクション 5

 男は教室の定位置に座りながら、違和感と戦っていた。


 彼がいるところは、いつもの溜まり場にしている空き教室。

 窓から差し込む日は高く、奥まで差し込まないせいか、それとも教室内に乱雑に物が散らばっているせいか、ひどく影が濃い気がする。

 電気をつけているのに、外の明るさに負けた室内は、薄暗うすぐらくがらんとしていた。


 いつもなら気にならない影が、今日はよくないことが起こる予兆のように感じられる。


「おい、島田達はどうした」

「さぁ……」

 近くにいたピアスをつけた男に聞いたが、ろくな答えが返ってこなかった。


 教室ががらんとしているのは、人が少ないせいもあった。

 いや、もともと毎日熱心に学校に来る奴らばかりではない。人が多いほうが珍しい。

 だが、それにしても少なすぎやしないか。


「今日は来るっつってたんだけどな」

 どこで油売ってんだ、とピアス男が言う声は、彼の耳には入っていなかった。


 ここ最近、面白くないことばかりだ。

 親はうるさいし、先生センコーはくだらないことで怒って来る。友達ダチの集まりは悪く、いまいち盛り上がらない。


 それもこれも、あいつが転校して来たからだ。


 その能天気な笑顔と金髪を思い出して、彼はぎゅっと手首を握った。

 イライラしたり、気分が悪いと、握りつぶされた手首がうずくのだ。

 男は、以前勇吾を奇襲した角材男だった。怪我自体は、もう完治しているはずなのに、ふとした拍子に調子が悪くなる。


 今回の不調の原因はわかっている。あいつだ。

 あいつがあんなことを言い出さなければ――。


「こんにちは〜」

 と、その時、耳慣れないイントネーションとともに、教室のドアが開けられた。

 教室のドアの向こうには、ニコニコと笑顔を貼り付けた翔が何かを手にして立っていた。


「お届けモンです〜」

「……う、うぅ」

 そう言って、放り出されたのは、先ほど話題に上がっていた島田だった。

 その顔面は、はっきりと殴られた跡があり、かろうじて意識はあるものの、ぐったりしていた。


「てめぇ!久柳!」

 教室中の男が、激昂げきこうして立ち上がった。


 ――その数、五人。たったの五人だ。


 足りない。全く足りなかった。

 夏休み前は、クロウニーに匹敵ひってきするほど人数がいたこのチームであったのに、どこに消えたのか。


 角材男は知っていた。

 今いない者は、単純にサボっている奴、チームの活動に活発でない奴、そして、何より多いのが、怪我をして出てこられない奴だった。

 その怪我の全てが、翔によるものだった。


 五対一なのに、翔には怯えたところは見られなかった。それどころか、ニヤニヤと、まるでこれから楽しいことをするかのような抑えきれない笑みがその顔に浮かんでいた。


「聞いたで〜。自分ら、卑怯モンなんやって?」

 いいこと聞いちゃった、とでも言うようなおどけた調子で翔は続けた。

「卑怯モンをやっつける俺は、さしずめ正義の味方やん」

「っざけんなよ、てめぇ!卑怯はどっちだ!」

 角材男は思わず吠え返した。


 階段から突き落とす、高所から物を投げる、立てかけてあった資材を引き倒す……。

 どれもこれも一歩間違えば、命の危険がある行為だ。しかし、翔はそれらを平気で行なった。


「な〜ん。そんなん、こぉんなか弱い男一人に、仰山ぎょうさん、向かって来るからやん」

 ほっぺたを両手で挟んで、くねくねと身をくねらせる翔。だが、その両手は返り血で汚れていた。


 そのギャップに、男達はゾッとした。

 どこまでもふざけた男だ。だが、その強さは本物だ。


 角材男の頭を、逃げる、と言う考えが一瞬頭をよぎる。

 だが、その選択肢はなかった。

 溜まり場に、一人乗り込んで来た奴に怯えて逃げるなど。その時、ここは翔のものになるだろう。


 ニヤニヤと笑っていた翔の目が、すっと細められる。その視線の先には、角材男。

「なぁ、そこのお前。お山の大将やってる奴。俺の要求飲む気になったか」

「ざけんな。はい、そうですかってやれるかよ」

「ほな、力づく、っちゅーわけやな」


 にんまり、と翔が笑う。その笑みは、獣が牙をむいたような凶悪さだった。


「五人相手に勝てるつもりかよ!」

「勝つっちゅーねん」


 教室にいた男達が一斉に飛びかかる。

 一人二人なら倒されるかもしれないが、五人だ。誰かがやられているうちに、相手をボコれるはずだった。


 だが、翔はおもむろにかがむと、

「よいっしょぉ!」

 掛け声とともに、足を持って島田を放り投げた。


 島田は、そこまで大きくはない。だが、小さくもない男子高校生だ。それを投げる力は、相当なものだといえた。


「おわ!」

「島田!」

 飛ばされる島田に巻き込まれたのが一人。意識のない者を見捨てられなかったお人好ひとよしが一人。


 島田に気を取られた隙に、翔は文字通り、飛んでいた。端にいた一人の頭を掴むと、その顔面に膝をめり込ませる。

「あ、がぁあぁあ!」

 端にいた一人が、顔を押さえて転がり回る。その指の間からは、血がだらだらと流れ出していた。


「ひとぉり」

 翔が楽しそうに数を数える。


 角材男は、ピアス男とタイミングを合わせて殴りかかった。

 ピアス男の拳はくうを切ったが、角材男の拳は、翔のボディを捉えた。

「ぐぇ!」

 翔の口から空気ともえずきともつかない声が漏れる。


 よろよろと後ずさる翔に、角材男は一気に間を詰めた。

 だが、翔も負けてはいなかった。ぶっと唾を吐き捨てると、

「痛いんじゃ!」

 大ぶりな振りで顔面を狙って来た。

「はっ、そんなへなちょこパンチ、当たるかっ!」


 だが、翔の狙いは角材男ではなかった。避けられたパンチをそのまま振り抜くと、さらに加速するように体を回転させた。そして、足を高く上げると、隣にいたピアス男にハイキックをお見舞いした。


 翔を殴ろうとしていたピアス男は、いきなり視界に現れた足に対処できなかった。ろくにガードできないまま、左腕に翔の一撃を受ける。

「ぐっ!」

 ギリギリのところを堪えたが、次の瞬間、綺麗にアッパーが決まって、声もなく倒れていった。


 一気に二人減って、焦る角材男。だが、島田に気を取られていた二人がこっちへ向かって来て、また形勢逆転する。


「チョーシ乗ってんじゃねーぞ!」

「お山の大将は、強気やのう!」

 呵々かかと翔は笑うと、角材男の脇をするりと抜けて行った。


「お前は最後にしといたる」

 余裕で笑って、片方に飛びかかる。

 片方に殴りかかっているうちに、もう片方も角材男も参戦する。だが、翔は執拗しつように一人を狙い続けた。


 そうこうしているうちに、一人が殴り倒される。

 翔は、バッと距離を取ると、楽しそうに笑った。

「あと、二人かぁ」

「このやろっ」

 焦った一人が、単身、突っ込んでいく。

 ぶんっと振った腕は、やすやすと捉えられる。


「大技いくでぇ!」

 柔道の大外刈りの要領で引き倒すと、その腹に倒れこむようにエルボーを落とした。

「ぐえ!」


 ――気がついたら、角材男は一人だった。

 なぜ、と言う疑問が頭をぐるぐると回る。最初は優勢だったのに。なぜ、今一対一でこんなイかれた男と対峙しているのだ。


「さぁてと」

 翔が大儀たいぎそうに体を起こす。その隙に攻撃しなければ、と思うが、角材男は動けなかった。


「――大将。一人になってしもたけど、どうする?ヤる?それとも降参する?」

「降参……するわけねーだろぉ!」


 震える足を叱咤しったし、角材男は翔に向かっていく。

 がん、と殴ると、お返しとばかりに殴り返される。そのお返しに、また殴る。

 それは、ガードも何もないただの殴り合いだった。

 だが、角材男はおかしい、と思った。

 お互いに、殴り殴られダメージは同じはずなのに、目の前の翔は、何だ!?

 殴られれば殴られるほど、生き生きとしてくるではないか。

 先ほど、囲んで殴ってやったダメージもあったはずなのに、そんなものはちっとも感じられなかった。


 何度目かの翔のパンチを食らった時、がくん、と足から力が抜けた。

 頭ははっきりしているのに、足に力が入らない。

「あ……?なんっ、くそっ……!」

「なんや、もう足にきとるやんけ」

 そう言う翔も、満身創痍まんしんそういだった。ぶっと唾を吐くと、赤かった。

 だが、翔は体勢を立て直すと、容赦無く角材男のボディを蹴った。


「がぁ!」

 ゴホゴホと咳き込む。目がチカチカとし、生理的な涙がこぼれた。


「まだまだぁ!」

 ぐいっと髪が掴まれ、顔を上げさせられる。そして、そこに拳が飛んできた。

「ぐぁ!」

「もう終いか!まだイケるやろ、なぁ!?」

 べちゃっと床に倒れたところを、何度も踏みつけられる。


 その暴力の嵐が静まった頃、角材男の意識は朦朧もうろうとしていた。

 翔はしばらく、息を整えると、倒れる角材男に顔を近づけて言った。

「はぁ。もう終わりか。まぁ、ええわ。――で?渡す気になったか」

「や……、やる。やるけどなぁ、一つ、条件がある」

「あ〜?今更、条件ん〜〜??」

 翔が面倒臭そうに、再度拳を握った。だが、続いて発せられた角材男の言葉に、その拳は振り落とされることはなかった。


「……ほう、ほう。なんやそれ、なんやそれ!めっちゃ、おもろそうやん!」

 そう叫ぶと、手近にあった椅子にどかっと座り込む。

「――よう。その話、詳しく聞かせてもらおか」

 にまぁ〜っと楽しそうに笑う。それは、新たな獲物を見つけたハイエナのようだった。

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