2.ディテクション 2

「来い」

 真琴は、言い訳する暇もなく、勇吾に男子トイレに連れ込まれた。

 真琴と入れ替わりのように、勇吾に見張っておけ、と指示された二人が出ていく。


 前回、連れ込まれた時も思ったけれど、トイレに連れ込む一連の動作が手馴てなれすぎてやしないか、と真琴は思った。


 不良はトイレでカツアゲしたり、いじめをしたりするイメージがあるが、勇吾達もそうなんだろうか、と思えるくらい、手際てぎわが良かった。


 誰かが声に出して指示するまでもなく、あわれな獲物はトイレの奥の方へ。そして、獲物が簡単に逃げられないように、入口を男達によってふさがれた。勇吾の背後には、長谷川や春樹、築島の顔が見える。


 唯一、優だけは、どう動いていいのかわからず、勇吾達の邪魔にならないように人垣ひとがきの外へと移動した。出て行ったほうがいいのか、残るべきか、と視線を彷徨さまよわせている。


 勇吾が再度同じ質問をする。

「さっきのは、なんだ」

「さっきの、って、何かあった?」

 真琴は往生際おうじょうぎわ悪く、聞き返した。これで誤魔化ごまかせるとは思っていないが、真琴は勇吾達にいじめられていることを言うつもりはなかった。というか、言えるわけがなかった。


 だが、その言葉に、勇吾の目が細められる。


 真琴は、チリッとした熱を感じた。

 トイレ中を、緊迫した空気が支配する。


 しかし、優は空気が読めないのか、隅の方で「さっきのって?」と築島に聞いていた。

 それに、面倒臭そうにボソボソと事情を説明する築島。周りの男達も何人か聞き耳を立てているから、全員に聞かれたわけではないらしい。


 だが、この形相からすると、勇吾、和也、長谷川はバッチリ聞いたようだ。青筋を浮かべて、怒っている。

 春樹は一人、我関せずでいつも持ち歩いている鞄を漁りだした。


「さっき。女達が言っていただろう。あれは、お前のことか」

「知らな……」

 真琴が白々しらじらしく誤魔化そうとしたセリフは、能天気な優の一言によってさえぎられた。


「――あぁ、『ビ◯チ姫』のこと?」

「水瀬くん!」


 優の言葉に、皆が彼を注目する。

 真琴が悲鳴を上げて、優の元へ駆け寄ろうとしたが、和也に肩を掴まれて動けなかった。振りほどこうとしたが、和也に敵うわけがなかった。

 真琴の顔を覗き込んで、「へ〜え?」と言う和也は、笑っているのにどこか恐ろしかった。


 しくじった。こいつは特技コースだから、さっきの子達と同じクラスなのだ。きっと、噂も回っている。真琴は、焦った。


「なんだ、それは」

 非常に不愉快な単語を聞いた、とでも言うような勇吾に、わずかにビビりながらも優が言葉を続ける。


「なんでもない!水瀬くん、黙って!」

「……何って、ユーゴ達は知らないの?マコトちゃん、女子の間で色々言われてるみたいだよ。男漁りの激しいビ◯チとか……」


「水瀬くん!みな……むぐっ!う〜〜!う〜〜!」

 真琴の制止の声は、和也によって塞がれてしまった。


「……クロウニーの肉◯器とか」


 ばごんっ!

 勇吾が手近にあった洗面台に拳を振り下ろすと、かなり頑丈に作られているはずのそれは、あっさり割れてしまった。ぱらぱらと、かけらが床に落ちる。


「――なんだ、それは」


「ユーゴ、手!血!」

 真琴が悲鳴をあげるが、勇吾の耳には届いていないようだった。


「……俺たちは、そういうことはしない。だ」


 勇吾の怒りによって、彼の周りの空気がゆらりと動いた。

 その剣幕に、味方であるはずのクロウニーのメンバーも怖気おじけ付いてしまったほどだった。


 だが、彼らの胸にも怒りはあった。


 彼らは、自分たちはその辺の下衆げすな不良どもとは違う、という誇りを持っていた。多少、喧嘩が好きで、ルールを破りがちなところもあるが、やってもいいことと悪いことの区別くらいつく。

 そういう自負を持っていたのに、よりにもよって一人の女をおもちゃのように扱っているだと?こちとら、自慢じゃないが、ほとんどのメンバーが童貞だ。そんな、「それなんてエロゲ?」みたいなおいしい展開、気配すら感じたことがないんだ、と怒りの方向はだんだんずれて行ったが、それでも彼らは怒っていた。


「……マコト、なんで俺たちに言わなかった」

「なんで言わなかったって、そんなの、理由は一つに決まってるだろ!」

 勇吾の質問に、思わず叫び返した真琴だったが、怒りに満ちた視線に気づいて、目が泳いだ。勇吾は、返答次第では、ただでは済まなさそうな気配を振りまいていた。


 だが、本当の理由は言えずに、結局無難な言葉をつむいでしまう。

「……それに、私は、ユーゴ達がそういうことしないって、知ってるし」

「だからって、言わせておくのか」

「こんな根も葉もない噂、誰が信じる?」

「火のないところに、煙は立たね〜って言葉もあるよな?」

 和也が真琴の瞳を覗き込むようにして言った。その言葉に、真琴は言葉が返せなかった。


 和也は、勇吾ほど怒りを前面に出していなかった。だが、怒っていないわけではない。ただ、勇吾がキレたら、和也がバランスをとって冷静になるのが、二人のいつものパターンだった。


「……なんで、俺らに相談してくれなかったの?」

 和也が幾分、柔らかな声で訊ねた。その声に、心配が混ざっているのを感じて、真琴は素直に「ごめん」と謝っていた。


「……ごめんじゃなくてさぁ」

 ごめん、と言ったきり、口を噤んでしまった真琴を見て、和也がため息交じりの声を出した。


 和也も勇吾も、不名誉な噂だけでなく、真琴が何も言わなかったことにも怒っているようだった。


 だが、真琴が彼らに相談できるわけがないのだ。だって……。


「……相談?できるわけないじゃない!あんた達のせいでいじめられてるんだから!」


 ちょっとは察しなさいよ、と麗が堂々と男子トイレに侵入しながら言った。


「ウララちゃん!?」

 麗の背後から、入口を見張っていた男達が、「この女は俺らじゃ止められない」とジェスチャーで伝えてきた。そして、彼らは閉まる扉の向こう側に消えて行った。


「おまっ、女子が男子便に入ってきてんじゃねーよ!」

 平気で真琴を連れ込んだくせに、和也が常識的なことを叫んだ。

「やぁね。そういうの、ダブル・スタンダードって言うのよ」

 麗は、けろっと言い返した。


 テンパる和也を制して、勇吾が聞いた。

「俺たちのせいって、どういうことだ」

「そのまんまの意味よ」


 それ以上説明しようとしない麗の横から、優が補足説明する。

「マコトちゃんにちょっかい出してる子達って、クロウニーのファンの子達だよ」

「はぁ!?ファン?」


 「クロウニーの」の後に続く名詞の聞き慣れなさに、男達が声を上げた。

 「ライバル」とか、「敵」とかなら何度も聞いたことがあるが、「ファン」とは?


 「ファン?」と叫んだきり、絶句した男達に、自覚がなかったのか、と優が説明する。

「クロウニーって、ちょっとキツめの女子とか、夜遊びが好きそうなギャル系の子達に人気あるじゃん」

 「あるじゃん」と言われたが、彼らは知らなかった。だって、誰もアプローチしてこなかったから。

「アプローチしようにも、だいたい君ら、男ばっかでツルんでて、声かけづらいじゃん。女同士の牽制とかもあったみたいだし」

 彼女ができるチャンスを、自ら棒に振っていたとは……、と男達の中の何人かは嘆いた。


「……マコト、今のは、本当か」

「いたっ」

 勇吾はさっきと一転して、青い顔で真琴に訊ねた。力の調節まで気が回らないのか、真琴の腕を掴んだ手に、力が入りすぎていた。


 ショックを受けた勇吾に、もうここまでバレたら誤魔化せないと、真琴はうん、と小さく肯定した。

 勇吾が息を飲む。和也も、真琴の隣で、マジか〜と天を仰いだ。


 勇吾のショックに気がついていない男が一人、「じゃ、俺らもその気になったら、そのギャルと付き合えるってこと?」と優に訊ねた。

「あ〜、うん。皆がみんなってわけじゃないだろうけどね。やっぱ一番人気は、勇吾だし。そのあとは幹部連中でしょ」

 と言われて、落ち込んでいた。それを慰めるように、

「や〜、でも、付き合わない方がいいって。結構ひどいこと、ノリでやっちゃう子らだからさ。ね?」

 ね?と話を振られたのは、真琴だった。


「水瀬くん!」

 そんな話題を振るな、というように真琴がキツめの声を出したが、本人は何が悪いかわかっていないようだった。

 横から麗も、この際だからあの女達の悪行、全部暴露しちゃいなさいよ、とのたまう。


「悪行全部って、悪口以外にも、何かあんのかよ」

 和也が驚いた声を出した。その声にかぶるように、築島がもしかして、教科書か?と誰にいうともなく、言った。

「マコト、お前、般教パンキョーの教科書、何個かなくしたっつってたよな。あれ、盗られたのか?」

 一学期の後半、真琴にせがまれて教科書を見せていた築島がそのことを思い出した。

 ウザいな〜と思っていたのだが、盗られていたとなると話は別だ。

「や、違う。盗られていない」


「なら、暴力か?」

 長谷川の言葉に、勇吾がかすかに反応した。真琴の襟元に、手が伸びる。が、こんな大勢の前で服をかれちゃたまらない、と真琴は慌てて否定した。

「ないない!女同士のいじめに暴力はないって!」

 女同士のいじめに暴力がないわけではないが、真琴は上手く回避してきた。もう少し憎悪ヘイトを稼いだら、きっと暴力が始まっていただろうが、まだそこまではいっていない。


「なら、何をされた」

 少し苛立ったように、勇吾が訊ねた。それに真琴が反応するよりも早く、

「笹原さんのことだからさ〜、きっとスマホかなんかに証拠残してるんじゃない?」

 と、我関せずだった春樹が横から口を出した。


 ないない!とあからさまな嘘をつく真琴に、勇吾は強硬手段に出た。


「カズヤ」

 その声に、和也は真琴が抵抗できないように、後ろから両腕を抱えて拘束した。


「大人しくしろ」

 勇吾はそう言うと、一切の躊躇なく真琴のポケットを探った。

「ちょっとは躊躇して!」

 胸ポケット、ズボンの前ポケットとぽんぽんと叩いて調べる。そして、尻ポケットに入っていたスマホを取り出すと、春樹に手渡した。


「ロックは……っと。あ、フェイスIDだ。……笹原さん、こっち向いて」

 いやだ、と抵抗する間も無く、ロックが解除される。最新機器のくせに、なんと言う脆弱性ぜいじゃくせいだ!


 証拠は特に隠してもいなかったので、あっさりと春樹に発見されてしまう。

「あ〜、結構枚数あるね」

 証拠フォルダに入っている写真をスクロールしながら春樹が言う。


「……とりあえず、僕のパソコンに、証拠移しとく?」

「頼む」

「個人情報〜〜!」

 と真琴は叫んだが、二人にはどこ吹く風だった。しまいには、大人しくパスコード入力するのと、僕にハッキングされて、スマホ壊されるのと、どっちがいい?と脅されて、全て春樹のパソコンにデータを移されてしまった。


「ハメ撮りとかあっても、見なかったことにしてあげるからさ〜」

「ないよ、そんなもの!」

 春樹がそんな冗談を言いながら、パソコンの画面に真琴のスマホから取り込んだいじめの証拠写真を映しだした。みんなに見えるようにパソコンを持って、次々と表示していく。


 それを見ていた勇吾の顔が、どんどんけわしくなっていく。


「教科書もあるじゃないか」

 落書きされた教科書の写真を見たのだろう。非難する口調で築島が言った。

 子供の悪口と大差ない言葉のオンパレードだったが、教科書全てを埋め尽くすそれらの言葉は、呪詛じゅそのような禍々まがまがしさがあった。


 泥だらけにされたスニーカー、水たまりの中で散々踏みつけられたツナギ、四肢を割かれて中の棉まで取り出されたクマのぬいぐるみのキーホルダー……。

 次々と出てくる証拠写真に、男達は気分が悪くなってきた。


 彼らは、敵意には慣れていたが、悪意にさらされることに慣れていなかった。彼らにとって、こんな歪んだ悪意、到底受け入れられるものではなかった。


「……気持ち悪ぃ」

 ボソリと誰かが呟く。それは、この場にいる者の気持ちを代弁していた。


 写真の日付は、六月の下旬から始まっていた。

「俺らとツルみ始めた頃か……」

 ぼそっと、長谷川が呟く。気まずい沈黙が、トイレ中を支配する。


「音声ファイルもあるみたい」

 スマホの容量を調べた春樹が、結構な容量を占めている音声ファイルに気がついた。


「……あぁ。それ、私が真琴にあげたやつじゃないかしら」

 麗が答えた。

「教室で、馬鹿みたいにベラベラしゃべっていたから、こっそり録音したの。何かに使えるかと思って」


「……お前は、ずっと知っていたのか」

「えぇ」

 詰問するような勇吾に、麗は平然と返した。

「なぜ、助けなかった」

「頼まれなかったからよ」

「お前……!」

「八つ当たりしないでくれる?」

「八つ当たりとか……!」

「じゃ、こう言いましょうか?……何にも知らないで、へらへらしていた人に言われたくないわ」

「……!」


「ウララちゃん!」


 二人の間に、真琴が割り込んだ。といっても、まだ和也に拘束されていたので、口だけだったが。

「ウララちゃんが私のこと思ってそう言ってくれてるのはわかるけど!ユーゴは悪くないから、そんなこと言わないで」

「……そろそろ、マコトを離しなさいよ」

 麗の言葉に、和也は拘束を解いた。


 真琴は拘束から解放されると、バッと頭を下げた。

「ユーゴ、それに皆。皆にも不名誉な悪口だったのに、私が我慢すればいいだろうと思って言わなくて、ごめん!」


 それに、男達は驚いた。

「おいおい、お前が悪いわけじゃないだろ」

 そう言う長谷川を筆頭ひっとうに、

「よく我慢したな」

「これからは、ナメた真似されたら、すぐ言えよ」

 と、口々に慰められる。


 それを聞いて、真琴は目頭が熱くなった。

「うん。ごめん。……ありがとう」

 ぽんぽん、と表現するには強く、男達が真琴を叩いた。その励ますような力強さに、真琴は男達のまっすぐさを感じた。


「ちょっと待って。マコトちゃん、問題はそこじゃないでしょ?」

 なんだかいい話で終わりそうな雰囲気のところに、和也が待ったをかけた。


「うん。わかってる。……ユーゴ、カズヤ、後で話したいことあるんだけど、時間いい?」

「いいだろう」

「ま〜、ゆっくり言い訳、聞かせてもらいましょ」

 ここでは言えない、と言うのを察してくれたのか、勇吾と和也はそれ以上追求しなかった。


 その後、勇吾は麗と優に真琴をいじめている者達の情報を洗いざらい吐かせた。そして、それを春樹に調べるように指示をする。


「お前ら。マコトはクロウニーではないが、クラスメイトだ。俺達のダチに手を出したらどうなるか、この女どもに思い知らせるぞ」

 勇吾号令のもと、曲がった事が嫌いな男達の心は一つになった。

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