1.プリパレイション 3

 かつかつと音をさせて、担任が黒板に文字を書いていく。

 黒板をどんどん埋めるそれは、このクラスに必要な委員と係の一覧だった。


 それを見ながら、真琴はどれにするか考えていた。

 できれば、楽なのがいい。あまり会議とか活動のない、地味な委員。

 保健委員とか、何するんだろ。あんまり出番なさそうだよね、と真琴は心の中でアタリをつけた。


 他の人たちは、どうだろう。

 できれば、競争率のあまり高くないものを選びたい、と思って、教室を見渡せば、昨日、会ったばかりの男たちは、興味なさそうにダベっていた。


 入学二日目。

 まだ顔と名前が一致しない彼らに、真琴は慣れられそうになかった。

 高校に上がった、ということを差し引いても、女子がいないだけでこんなに教室は圧迫感に満ちるのか。

 なんだか、教室がとても小さく感じる。


 担任は、書き終わると、ぐるっと教室を見回した。


「これが、一年生の時に必要な委員会や係だ。一人一つは分担してもらう」


 その言葉が皆に理解されるのを少し待つ。そして、おもむろに、一番に書いてある文字列を指差した。


「まず、最初に決めるのが、学級委員だ。これは、いろんな場面でクラスをまとめることになる。――だれか、立候補はいるか?」


 その言葉に、誰も反応しなかった。

 学級委員。

 それほど、彼らからかけ離れた言葉もないだろう。


 彼らの中で学級委員とは、勉強や内申点ばかり気にしているような優等生がする仕事だった。

 自分達には関係がないし、関係があったとしても迷惑をかけた覚えしかない。

 だから、クロウニー(その時はまだチーム名もできていなかったが)のメンバーは、誰かモブにやらせればいいと思ったし、情弱モブは情弱モブで、こんなクラスの学級委員なんて苦労が目に見えていることをしたいとは思わなかった。


 しぃん、と沈黙がクラス中に落ちる。


 それを半ば予想していたように、担任は大げさにため息をつきながら言った。


「――そうか。誰も立候補はいないのか……。学級委員といえば、クラスのトップ……、なのになぁ……」

 あぁ、残念だ。こうなればこっちで勝手に決めるぞ、という担任の声にかぶせるように、一人が叫んだ。


「センセー、学級委員がクラスのトップって、マジ!?」

「なんだ、お前ら。そんなことも知らないのか。学級委員といえば、クラスのまとめ役。つまりお前らのトップだろ?」


 マジか、知ってたか?と教室中がざわめく。知ってるわけねーだろ、とどこからか返事が返る。


 真琴はそれを見て、うわ、こいつら、チョロいと思った。

 学級委員は、クラスのまとめ役、トップであることは確かだが、実際には雑用が多い委員会であることを真琴は知っていた。というか、普通の学校生活を送っていたらわかるであろうことを知らない時点で、彼らの学校生活がどんなものかさっせられた。


「……学級委員がトップっていうなら……ユーゴじゃね?」

 誰かのつぶやきに、一斉に一人の男に注目が集まる。クラス中の注目を集めても彼は平然としていた。

「……誰もする者がいなければ、俺がやってもいい」

 と、控えめなのか、尊大なのかわからないことを言う。


 真琴は、あいつがこのヤンキー達のリーダーか、と心に刻んだ。うん。「ユーゴ」には近寄らないようにしよう。


「――なら、副委員長は、委員長の補佐ですよね」

 別の一人がそう言った。そして、

「カズヤさんが一番適任じゃないかな。ユーゴさんのフォローにも慣れてるし」

 そう皆の顔を見回した。名前が挙げられた当人は、驚いた顔をして、自分を指差していた。


「いやいや。副委員長、副っつったら、NO.2だろ!?そこはユーゴの次に喧嘩の強いハセだろ〜が」

 それに対抗するように、もう一人が食ってかかる。その言葉に、机に突っ伏していた一人が身を起こした。


 なるほど。あれが次に力のある奴らね。「カズヤ」と「ハセ」か。

 真琴の警戒リストに新たな名前が加わる。


「はぁ?喧嘩ばかりで、クラスの運営が成り立つと思ってるのか」

「あぁ?んなもん、他クラスにナメられちゃメンツに関わるだろ〜が!」

「これだから。委員会の時に、メンチ切り合ってどうするんだ」

「トップが集まるところで、ナメられてもいいのかよ!」

 最初は二人だけの舌戦だったが、だんだん周りも我慢できなくなったのか、口を挟み始めた。


 カズヤがいい。ユーゴとも気心が知れているし、何よりなんだかんだと仕切れる。こいつに任せておけば、下手打たないと言う安心感がある。


 ハセがいい。確かにオツムはアレだが、腕っ節の強さなら、ユーゴに迫るものがある。この二人が組んで、負けるケンカはない。


 当の二人は、我関せず、無表情を貫いていた。


 真琴は、男達の怒鳴り合いを聞きながら、悶々もんもんとしていた。

 コイツらのナンバーツー争い。全く二人のことを知らない真琴は、どちらの主張もアリだと思った。それだけに、この言い争い、どうやっても決着がつかないぞ、という予感がする。


 この怒鳴り合いを止める方法を、真琴は一つ思いついていた。だが、その手段はできれば取りたくない。

 だから、誰かなんとかしてくれないかな、と周りを見渡すが、担任の先生はおもしろそうにニヤニヤ見ているだけで動きそうになかった。情弱モブ仲間は、万が一にも流れ弾が当たらないように、息を殺して無になっていた。


 そして、ユーゴは――なんだか、悲しそうな、寂しそうな表情をしていた。


 それを見た真琴は、あいつ、悪い奴じゃないのかな、と思った。

 が喧嘩しているのを見て、あんな表情ができるのなら。

 それはきっと友達思いなのだ。


 だが、その表情も一瞬で、すぐにキリッとしたものに変わる。そして、彼は気合いを溜め始めた。

 おもむろに、ばんっと机が叩かれる。その音に、クラス中が身をすくめた。

 来ることがわかっていた真琴でさえ、身が竦んだ。それは、音にではない。ユーゴの気配にだった。


 ――うわぁ。すっごく、イラついてる。


「――それで?お前らは、二人に殴り合いでもさせるのか」

 そのセリフは、直前に争われていたカズヤとハセ、どちらが強いのか、と言う論争を受けてのことだった。

「ここで?学級委員を決めるために?」

 そんなくだらないことで?と言外ににじまされれば、ヒートアップしていた男達の頭も冷えた。


 だが、ここで実質ナンバーツーが決まる。そう思った男達は退かなかった。


「……じゃぁ、ユーゴが決めてくれよ!お前の決定なら、誰も文句はねーだろ?」


 だろ?と周りを見渡す男の言葉に、周りもうんうんと頷いた。

 当然カズヤだよな、という一派と、もちろんハセに決まってる、という一派からの無言の圧力を受けて、勇吾の表情はかげった。


 真琴にはその表情が、ここで?そんな大事なことを決めなければならないのか?という迷いに見えた。


 ――あぁ〜〜〜、しょうがない。しょうがないよな。


 真琴は腹をくくった。

 あのリーダーが、見た目よりも友達思いのいい奴なら、助けてやるべきだ。

 どっちの友達と一番、仲良くするの?なんて質問、今時、小学生だってやらない。


 そう思った真琴は、堂々と見えるように、わずかに胸を張ってあのさぁ、と声をあげた。

 突然声をあげたモブに、教室中の視線が集まる。


 だが、真琴は怯まなかった。こんなところで怯んでいたら、きっとこのクラスで三年間やっていけない。なら、弱くないところを見せておかなければ。

 真琴は立ち上がって、堂々と主張した。


「――あのさぁ。クラス委員がクラスで一番偉い、って言うのは否定しないけど……意外と雑用多いよ?」

 中学の時、そうだったし、と付け加えれば、ろくな中学生活を過ごしていない奴らは、反論できなかった。


 その真琴の言葉を聞いて、「だから、カズヤだろ?」と目を輝かせた者達と、「だからカズヤだって言いたいのか」と殺気を出した者達がいた。

 その殺気に、やはりビビってしまう。


 だが、その殺気は、ユーゴのおい、という一言に阻まれた。

 ユーゴの目は、なに女に凄んでんだ、と語っていた。


 その視線に勇気付けられたように、真琴はまた口を開いた。

「その雑用を、君らが全部してくれるの?できるの?NO.1とNO.2で?」

 それは、真琴の指摘通り、変なことだった。なぜ一番偉い奴が、雑用をする?


「――つまり?」

 今まで我関せずと成り行きを見守っていたカズヤが、口を開いた。


 これは、援護射撃だろうか。それとも、自分たちのことに口を挟むな、と言う牽制だろうか。

 カズヤの表情からは何も読み取れない。なら、援護射撃だと思ったほうが得だ。

 そう思って、真琴は腹に力を込めて教室中に聞こえるように声を出した。


「トップはあんたらにやるけど、副委員は、あんたらと関係ない奴にやらせたほうがいいんじゃないかってこと。雑用をさせるために。そうすれば……、バカバカしい殴り合いをしないで済むし」


 その答えに、カズヤは満点、というようににんまり笑った。

 ハセも、軽く口笛を吹いて同意する。

 ユーゴは驚きで一瞬目を見張ったが、すぐ安堵したように体から力を抜いた。しかし、厳しい表情のまま、真琴に訊ねた。


「なら、誰がやる?あいつらか――」

 情弱モブ達に視線を向けると、彼らは一斉に顔を伏せた。


「――お前か」

 真琴は、勇吾の視線を受けても、顔を伏せなかった。それどころか、勇吾の視線を真っ向から受け止めた。


「……そこが問題なんだよね〜」

 真琴は、困って頭を掻きながらクラスを見回した。

 平然とした表情を取り繕っているが、内心ばくばくだった。じわっと手に嫌な汗をかく。


 自分に注目するヤンキー達と、顔を一切あげない情弱モブ達。


 助けがないことはわかっていた。最初ハナから、そんなもの期待していない。


 ――しょうがない、よな。


 真琴は、一瞬躊躇したが、覚悟を決めた。

「……ま〜、私が一番、妥当かな」

 その言葉に、クラス中がざわめいた。


 あいつは、どこ中だ?

 誰かの知り合いか?

 女に任せていいのか?


 真琴を値踏みする目、目、目。

 不審、疑惑、軽視……。それらの視線を受けて、真琴の足が震える。それでも、表情に怯えは見せなかった。


「――まぁ〜、言い出しっぺの法則だよな」

 ざわつく中、カズヤからの援護射撃が飛んできた。


「その子、二中からの子だよ。二中出身者は、一年生では五人。商業二人に、普通一人で、工業二人。皆揃いも揃って『いい子ちゃん』だよ」

 別の一人が、どこでそんな情報を手に入れたんだ、という情報をさらっと公開し、援護射撃に加わる。


 最後に、ハセが、

「俺、雑用なんてしたくね〜。もっと楽な委員希望!」

 とおどけて言えば、もうそれで決まりだった。


 そこから後は、早かった。


 二人は皆の前で自己紹介をし、それ以外の委員を決めるべく、話を進めた。

 それ以外の委員は、希望制にした。もし定員以上の者が希望すれば、公平にじゃんけんで決めることにした。


 各々前に出て、好きな所に名前を書いてもらっているのを見守っていると、いつの間にかユーゴが真琴の隣に立っていた。


「助かった」

 ユーゴも、黒板の方を見ながら低く短く言った。それに、真琴も短く返す。

「いや。大変だな」

「まぁな。……さっき、震えてたな。怖がらせたか」


 う、バレてたか、と真琴の顔が渋る。だが、真琴の震えに気が付いたのは、ユーゴだけだったようだ。

 そこに安心しつつ、

「あ〜、武者震い?」

 と、強がって見せた。せいぜい不敵に見えるように、にやっと笑うと、ユーゴは不敵な笑みのお手本のような表情をした。

 くそ。年季が違う。


「それはよかった。……これからよろしく頼む」

「こちらこそ。……いい友達、なんだな」

「そうだ」

 迷いなく返された答えに、真琴に嫉妬とも羨望ともつかない感情が生まれた。それと同時に、自己満足かもしれないが、彼らの友情が守れたなら、自分のこの犠牲も無駄ではなかったと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る