1.プリパレイション 1

 その時の教室の様子を一言で表すなら、『混沌カオス』だった。


 それぞれが好き勝手におしゃべりをし、そうでない者はスマホでゲームをしたり、持ち込んだノートパソコンをいじったり……。あまつさえ、どこから持って来たのか野球ボールが飛び交っていた。


 全く、およそ授業中とはかけ離れた雰囲気。だが、今の時間はれっきとしたHRの時間だった。

 なら、教師が何をしているのかというと、教室の隅に腰をかけ、教卓の方を見ていた。

 その視線の先には、一人の学生。情弱モブ代表の田中だった。その隣には、同じく情弱モブの鈴木。彼ら二人は、文化祭実行委員として、今日のHR、クラスで何をするか決めるという大役を任されていた。


 その田中が、クラス内の『混沌カオス』に向かって、精一杯の声を張り上げる。だが、それは弱々しく、今にも消え入りそうだった。


「あのぉっ、み、皆さん……、今は遊ぶ時間じゃなくてですね……。あの、文化祭の出し物、考えてくださいぃ……」


 泣きそうな弱々しい声だったが、まだ心が折れていないと感じた担任きみちゃんは、もう少し様子を見ることを決めた。言葉を飾るなら……、そう、生徒の自主性に任せたのだ。


 声の届いた所にいた一団が、面倒くさそうに答えた。

「喫茶店とかでいいんじゃね〜」


 それが聞こえた別の一団にいた男が、無邪気にバカにした。

「ベタすぎ。お前もっと頭使えよ〜」

「あ゛?じゃ、お前は何か案があんのかよ」

「……お化け屋敷とか?」

「それもベタだろ〜がよ!」

「うるっせ!」


 言い合いを始めた二人を無視して、横合いから手が上がった。

「はいは〜い!俺、金魚すくいやりたい!金魚、金魚!」

「生き物は、メンドーだ。それならヨーヨー釣りじゃね?」

「それなら、スーパーボールすくいのほうが……」


 ようやくまともな議論が始まり、ホッとしたように鈴木が出て来た案を黒板に書いていく。だが、一筋縄でいかないのがクロウニーだ。


「メイド喫茶とか、いいよな〜」

 誰かのつぶやきから、雲行きが怪しくなった。

「ばっか。俺らがやったら、冥土めいどになっちまうぞ」

 そう言って笑うグループの横で、一人の男が机に突っ伏しながら、欲望を垂れ流した。

「あ〜、特技コースのアイちゃんのメイド姿とか見て〜」

「わかるわ。あと、レイカとか」

「あいつがやったら、完全にイメクラじゃねーか」

「そこがいいんだろ!」


 喧々囂々けんけんごうごう、話はどんどん脱線していき、本筋に戻りそうになかった。

 鈴木は黒板に「イメクラ」と書いた時点で、チョークを置いた。その目に、光るものがあるのは、武士の情けで見なかったことにしてあげた。



 真琴は、教室のカオスを眺めながら、なんでこの人達って、学習しないのかなー、と呆れていた。

 に座っている勇吾の気配が、だんだん膨らんでいく。だが、教室の前の方にいる皆は、まだ気がついていないようだった。


 二学期。クラスのメンバーが揃った途端、生徒主体の席替えが強制的に行われた。


 勿論、言い出しっぺは勇吾。何の気なしに、「二学期になったから、席替えするか」と呟いたのを耳聡く聞きつけた和也がサクサクとを敢行した。


 そう。くじ引きですらないのである。なぜなら、ここはクロウニーの王国だから。

 権力ちからを持った奴が、わざわざくじなどをするわけがない。


 勇吾は教室ど真ん中の最後列に鎮座し、その両脇を和也、長谷川が固める。

 そして、その周囲を副官などが固めると、あとは好きに座って、と和也はぶん投げた。

 それでも、男達は、なんとなく空気を察し、特攻隊は長谷川の周囲に集まり、和也を慕う者は和也の周囲に集まった。


 どこのクラスでも、やはり人気が高いのは、後ろの席か窓際。もしくはエアコンの効きがちょうどいい席と決まっている。だが、勇吾の前の席は、後ろから二列目という優良物件にも関わらず、埋まりそうになかった。


 ――どうする、誰がいく?

 俺はちょっと遠慮するわ。

 いっそのこと、モブに座らせるか?


 勇吾の前がなかなか埋まらないことをうれいた男達が、ひそひそと言葉を交わした。


 いや、流石にモブどもはヤバイ……だろ……。


 そう言った男の視線が一人の人物で止まった。そして、ニンマリ笑う。

 その笑顔に気がついた男も、視線の先の人物を見て、同じような微笑みを浮かべた。


「……笹原ぁ」

「よ〜。お前、もっと後ろいけよ」


 それは、黒板が見えやすい教室中央に座ろうとしていた真琴だった。


「――は?やだ。私、あんまり目、よくないもん」

 だから、真琴にとってベストなポジションは後ろではなく教室中央なのだ。ここなら、目に負担も少なく、黒板全体が一目で見られる。


 だが、男達も必死だった。

「なんのための眼鏡だよ!」

「おしゃれ眼鏡だよ!」

「おしゃれすんなら、眼鏡外せ!」

 もっともな言葉とともに、どんどん後ろへ追いやられる。


「お、マコトちゃん。ここ座る〜?」

 和也に楽しそうに声をかけられて、結局真琴は逃げられなかった。


「マコトが前か。よろしく頼むな」

 勇吾が、荷物を抱えた真琴に、にっこり微笑んだ。


「あぁ……、うん」

 よろしくね、と力無く答える真琴は、きっと何を言っても無駄なんだろうな、という諦めがあった。

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