6.エピローグ
「マコトちゃん、ヤバい」
夏休みの最終日、和也から切羽詰まった声で電話がかかってきた。
その緊迫感に、真琴も思わず、緊張してしまった。
思わず声を潜めて聞き返す。
「……どうしたの?」
「……俺たち、花火やってない!」
「はぁ!?」
和也が言うには、夏といえば、プールにスイカに花火でしょ!なのに、花火をやり忘れていたことに今日、気がついたらしい。
「そんで、今から花火すっから、マコトちゃんも来ねぇ?」
ということで、暑さの残る中、日の落ちかけた公園に真琴は呼び出されたのだった。
◇
花火のきっかけを作ったのは優だった。
クロウニーのメンバーを次々とのしていく勇吾を見るともなしに見ながら、「そういや、今年、花火見てないな」とふと思い出したのだ。
優の地元では、毎年、大きな花火大会が催されている。そこに、よく行っていたことを和也に話すと、和也が、花火をしよう!と言い出した。
和也も、試合なのか喧嘩なのかよくわからないものの観戦に飽きていたのかもしれない。
そこから和也は手際よく参加者を募り、金を回収し、花火を入手し、今に至る、と言うわけである。
花火は、和也と優が特訓していた時に使っていた人気のない公園ですることにした。
そこなら多少騒いでも、文句は出ないだろうと踏んだからだ。
そこで、皆で花火の準備をしていたら、明るい声が届いた。
「こんばんはー。あー、皆いる」
という真琴ののんびりした声と、
「こんなところで花火をするの?」
という警戒心バリバリの麗の声を聞きつけて、優が真っ先に反応した。袋から出して固定用のテープを外していた花火を放り投げると、麗の元へと飛んで行った。
「ウララちゃん!どうしているの!?」
「――帰るわよ、マコト。私はお邪魔みたいだから」
優の言葉に、間髪を入れずに踵を返した麗に、慌てて言い訳をする。
「違う違う!そう言う意味じゃなくて!いてくれてすっごく嬉しい!でも、なんで、マコトちゃんと一緒に来たの?」
麗は、確かに呼ばれていなかった。優は本当は呼びたかったのだが、このむさ苦しい男達の中に呼ぶのはどうかと思って遠慮したのだ。それくらいの配慮はできる。
「なんでって、さっきまでマコトと一緒に勉強していたら、あなたたちに呼び出されたんじゃないの」
「一緒に勉強!?どこで!?」
「どこって、マコトの家よ」
「おうち勉強デート!僕だってまだやってないのに!」
「まだも何も、あなたとそんなことする予定は入ってないわよ」
しらっと言い返す麗に、焦燥を募らせる優。
ぬかった。二人はそんなに仲良くなっていたのか――!
麗をナンパ男から守れなかった反省から、
佐伯は女同士じゃないか、と言うが、それを言うなら、佐伯と自分だって男同士だ。なのに、真琴は脅威にならないと言う佐伯の鈍さに、優は異を唱えていた。
優の中のブラックリストの項目が一つ増える。
この子は、タイミングを見て排除しなければ。
だが、真琴は優のそんな思いに気づかず、いつものことと放置して、主催である和也の元へ向かった。
「おっす。ウララちゃんと一緒に来たけど、ダメだった?」
「や〜、大丈夫。スグルちゃんもその方が嬉しいでしょ」
「よかった。――これ、差し入れ。花火とアイス」
「マジ?やった!おい、皆、アイス来たぞ!」
和也の言葉に、
「――マコトはバニラか?」
男たちの勢いに、一歩引いて見守っていた真琴に横から声がかけられる。
そこには、真琴のためにバニラの棒アイスを持った勇吾が立っていた。
「お、ありが……って、ユーゴ、喧嘩した!?」
勇吾は薄暗がりの中でもはっきりわかる、いかにも喧嘩しましたという面をしていた。そう思って、よく見ると、他にもひどい顔面の男たちがちらほらいた。
「これは、喧嘩っていうか、あー……、皆で遊んだんだ」
「遊びでなんで、そんなんなるんだ……」
そんな痛そうな外見を、「遊び」でなってしまうなんて、真琴には信じがたかった。だが、勇吾も他の男たちもけろっとしている。喧嘩だったら、もっとピリピリしていただろうことを思うと、本当にただ、じゃれただけなのだろう。
それが子猫のじゃれあいではなく、虎同士のじゃれあいだったと言うだけで。
こいつらのすることに、口出しはすまい、と決めた真琴は、勇吾に取ってもらったバニラアイスの小袋を開けて、ちまちまと食べ始めた。すると、真琴の横で勇吾も同じバニラアイスの袋を破った。そして、くわっと口を開いたかと思うと、じゃくっ、じゃくっ、じゃくっと三口で食べ切ってしまった。
その勢いに、真琴は思わず笑ってしまった。
「もう食べ終わったの?」
「まだ食べてるのか」
全く正反対のことを同時に聞いて、二人して吹き出す。
「そんなに急いで食べると、頭痛くならない?」
「ゆっくり食べてると、溶けるぞ」
大丈夫、と言おうとしたが、買ってからぶらぶら歩いて来たせいか、アイスはだいぶ緩くなっていた。つ、と真琴の手の甲に一筋の白い線が落ちていく。
「わ、やばっ」
真琴は慌ててその白い筋をつぅっと舐め上げると、アイスの下の溶けかけたところをちゅっと吸い取った。半ば溶けかけたアイスが、とろりと口の中に入って来る。
「んっ、これは確かにやばいかも」
と言いながら、アイスの溶けかけたところを優先的に舐めていたら、勇吾が怖い顔をしてこちらを睨んでいた。
「どした?」
「いや、何でもない」
珍しく歯切れの悪い答えを返しながらも、勇吾は睨むのをやめなかった。
真琴は今更、勇吾の目つきの悪さにビビるほどかわいらしい性格をしていないので、睨まれつつもアイスを食べきると、公園の水道で手を洗った。
そして、勇吾を放置して、花火の準備を手伝うべく、和也の元へと向かった。
◇◇◇
勇吾は、花火に興じるクロウニー+αの面々を見ながら、自分の中の違和感と戦っていた。
さっき、アイスを食べている真琴を見て、ムカムカというか、イライラというか、とにかく腹の奥が落ち着かないような気持ちになった。
それは、喧嘩する直前の高揚にも似ていた。これから、お互い全力でぶつかった上で、相手を打ちのめし、服従させようとする凶暴な高揚だ。
だが、相手は真琴だ。彼女と喧嘩して、楽しいわけがない。そもそも、真琴が全力でぶつかって来たところで、男同士の、全身全霊をぶつけ合う喧嘩のカタルシスが得られるわけがない。
それがわかっているのに、どうしてこんな気分になるんだ、と勇吾はイラついていた。
彼女は、勇吾のイライラも知らずに、麗と優と一緒に手持ち花火を楽しんでいる。
公園の少し向こうでは、和也が家庭用の打ち上げ花火に火をつけて皆とわーわーやっていた。
ぼうっと楽しそうな奴らを見ていたら、和也が周りに何事か声をかけて、男たちから何かを回収し始めた。
そして、真琴たちのところへ行くと、真琴からも何かを回収して、最後に勇吾のところへ向かって来た。
「ユーゴ、何イラついてんだよ」
ズバッと見抜かれて、勇吾は別に、と答えるしかなかった。自分でもこの感情の理由がわからないのに、言えるわけがなかった。
和也は勇吾の機嫌に構わず、要件を言った。
「今から、
それで、何か回収していたのは百円か、と合点がいった。
……真琴からも回収していたということは、真琴も参加するということか?
そう思って見ると、彼女はすでに男たちの輪の中に入っていた。長谷川と何やら楽しそうに話している。
その周りの男たちとの体格差といったら。なぜあの体で、こんなゲームに参加しようという気になるのかがわからなかった。
勇吾はがっくりしながらも、百円を和也に渡すと、ゲーム参加者の輪の方へ近づいて行った。
◇
「これ、三連だから、勝者は三人な〜」
和也が皆に向かって、ルールを説明する。
それを聞きながら、真琴がこちらに気がついて、ニカッと笑った。
「やっぱりユーゴも参加するよね」
「当然だろ。……お前は無謀じゃないのか」
思っていたことを、怒られるか、と思いながら恐る恐る言うと、意に反して真琴はにやり、と悪どい顔をした。
「それが、勝算があるんだよな〜」
「……って、さっきからこいつ、自信満々なの」
隣で長谷川が、信じられない、といった表情を浮かべる。
「勝算って、なんだよ」
と長谷川が訊ねたが、真琴は、まぁまぁ、と言うばかりではっきりしたことを口にしようとしなかった。
「失敗したら、恥ずかしいしさ。……ま、二人は私に構わず、全力で取りに行ってよ」
そう言うばかりで、はっきり言わない。
そんな話をしている間に、和也が花火の周りに大きな円を描いた。
「スタートはこの円の外側からな。俺がスタートって言ったら、移動可。……じゃ、参加者は並べ〜」
結構、参加者がいるせいか、和也が描いた円ギリギリに並ぶと、かなり窮屈だった。その男たちの輪から追い出された真琴が一歩後ろに下がる。
「――大丈夫か、前来るか?」
勇吾は思わず声をかけたが、
「いいよ、ここで。敵に塩を送ることはない」
「塩?塩は持ってないぞ」
「……や、いい。ユーゴはユーゴで頑張れ」
と、
勇吾は、それを見て、真琴はとりあえず参加しただけで、真剣にやる気がないのか、と納得した。
まぁ、この体格差で真剣にやられても、こっちも困る。
「準備いいか?火ぃ、つけるぞ」
和也がそう宣言して、打ち上げ花火の導火線に火をつけた。
ほどなくして、ぽんっと気の抜けた音とともに一つ目の落下傘が飛び出して行く。
「スタート!」
その音と同時に、和也が開始の合図をする。
一つ目は、風に流されて勇吾たちから見て十時の方向へと漂って行った。
それに、一斉に群がる男達。
続いてぽん、ぽんと吐き出された落下傘は、うまい具合に一つがこちらの方へ漂って来た。
近くの男達が、落下地点へと殺到する。
勇吾もバスケのリバウンドの要領で、落下傘の落下地点へと行くと、落ちて来るのを構えて待った。
ふわふわと落ちて来る落下傘に、タイミングを計りながら勇吾が飛んだ。それにつられて、周りの男達も一斉にジャンプする。
だが、勇吾の
と、そこへ――。
「ユーゴ、でかした!」
そう真琴の声が聞こえたかと思うと、グッと肩に力がかかる。後頭部に、柔らかい何かの感触がした。背中には、どかっという衝撃。そして、勇吾の手の先に、白く細い手が伸びて行ったかと思うと、落下傘をパシッと掴んでしまった。
――何が起こった?
真琴の弾けるような笑い声を耳にしながら、勇吾は着地した。
その背中に、小さく柔らかい感触があった。だが、それもすぐにずり落ちると、離れていき、「獲ったど〜」と真琴の歓声が響いた。
「おまっ、ずりー!ユーゴ踏み台にしやがった!」
一部始終を見ていた長谷川が思わずといった感じで声を上げたが、真琴はどこ吹く風だった。
「勝てば官軍」
と謎のセリフとともに、謎のポーズを決めた。
それでようやく、勇吾は真琴に踏み台にされたことに気がついた。いや、実際は踏まれていないが。真琴は勇吾の肩に手をついて、伸び上がったのだろう。それだけでもかなりのジャンプ力だ。
「元バレー部のジャンプ力、甘く見るなよ!」
と、真琴は楽しそうに種明かしをした。
元々持っていたジャンプ力では、誰にも勝てないとわかっていた。だが、誰かの肩には届く。それで、輪の外から助走をつけて飛び上がり、肩に手を置いて伸び上ることで距離を稼いだのだそうだ。
ルール違反だと言う長谷川と、そんなルールは言われていない、と言う真琴が揃ってこちらを見た。踏み台にされた勇吾の意見を聞きたいと二人の目は語っていた。
「――見事だ、マコト」
そう言うと、真琴は飛び上がって喜び、長谷川は悔しそうにした。
「さっすがユーゴ。器が大きいね!分け前、半分やるよ!」
そう言うと、一直線に和也の元へと駆けて行く。
そこでも一悶着あったようだが、結局、真琴は和也に頭をぐしゃぐしゃにされただけで、分け前がもらえたらしい。
百円玉を握って駆けて来る真琴に、また勇吾のモヤモヤが復活した。
だが、勇吾はそれを踏み台にされたからだと思ってしまった。
だから、真琴の頬を引っ張るだけで許してやった。
「ひたひ、ひゅーご」という真琴は、楽しそうだった。
◇
それから、いくつか似たようなゲームをし、服を焼け焦がせた者が幾人か出たところで、花火が尽きた。
皆は最後に残った線香花火にしんみりした様子で火をつけた。
「夏が、終わるな〜」
「何ポエミーになってんだよ」
「結局、彼女できなかった〜」
「それを言うなよ〜」
一人の男の嘆きに、周りの男達のため息が重なる。
「童貞卒業したかった〜」
「その面でぇ?」
「オメーに言われたかねぇよ」
「そういやプールにさぁ、めっちゃ乳のでかい女がいたじゃんか……」
しんみりしていたはずの男達の話題は、だんだん下世話な方へと流れて行った。勇吾は、真琴達が怒るんじゃないかと思って様子を伺ったが、女二人はそれについて何も言う気がなさそうだった。お邪魔させてもらっている身分だという遠慮があるのかもしれなかった。
勇吾の隣で、真琴が線香花火をしながら、ぽつりと言った。
「明日から学校かぁ」
それは、嬉しいような、億劫なような響きをしていた。
「今いるメンツとほとんど変わらんがな」
と身も蓋もないことを勇吾が言う。それに真琴は苦笑した。
勇吾が持つと小さすぎる線香花火も、真琴が持つとちょうどいい大きさだった。
ぱち、ぱちという花火の光に、真琴の頬が照らされる。
産毛が花火の光を反射して、金色に光っていた。
それを見るともなしに見ていたら、「あ、落ちた」と言った真琴がパッと目を上げた。バチっと目が合ってしまい、勇吾は悪事を見つかった子供のような気分になった。
だが、真琴は気にせず、もう一本ある?と手を出して来た。
「ある。けどちょっと待て」
座った時に適当に地面に置いたので、花火をしながらだと渡せなかった。それで、そう言うと、真琴はわかった、と言って、勇吾の花火を見つめた。
不思議なものでも見つめるようなその瞳は、いつもより幼く見えた。
一つのことに集中する様子が、それに拍車をかけているのかもしれない。
動揺が腕に伝わったのか、ジュッと音を立てて線香花火の玉が落ちてしまった。
「あぁ〜」
と真琴が残念そうな声を出す。
「こんな小さな花火もあるのね。知らなかったわ」
真琴の隣から、麗が感心したように言う。
「そうなの?」
「花火といえば、花火大会に行くしかないと思っていたから」
お金持ちらしいセリフに、聞いた者は納得した。
「それで最初、戸惑ってたんだ」
優が公園に来た時の麗を思い出して言った。何度も、ここで花火をするの?こんなところで?と確認されたのは、そういうわけか。
確かに、花火大会を想像していたら、この公園は「こんなところ」だろう。
勇吾が足元の線香花火を探る。見つけて持ち上げたそれは、残り三本しかなかった。
「あ、じゃ、私見てる」
真琴は誰よりも早くそう宣言すると、ほれ、早く火ぃ付けてよ、と勇吾を催促した。
勇吾は遠慮して真琴に線香花火を手渡そうとしたが、真琴は全くする気がなさそうだった。膝を抱えて、観戦体制に入ってしまっている。
真琴の声に促されるまま、勇吾は線香花火にライターで火をつけた。
チリチリ、パチパチと火が大きくなっていく。
それを、愛おしいものでも見つめるようにうっとりと見つめる真琴。
花火の光を反射して、目がキラキラと光る。
勇吾は、暗闇であるのをいいことに、真琴をじっと見ていた。
彼の胸に灯ったのは、まだこの花火のように小さな火花だった。だが、小さくて、本人もまだ自覚はなかった。
しばらくすると、ジュッと音を立てて、線香花火が落ちて行った。
あぁ、と、誰もが名残惜しさを感じながら、夏が終わった。
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