5.コモン・シーナリー 3

「たのもう!」

「たのも〜う!」

 クロウニーの溜まり場のドアがばーんと効果音付きで開かれた。

 そのドアの向こうには、和也と優。どちらもその表情に自信をみなぎらせて立っていた。


「お、来たな」

「期待してるぜ。スグルちゃん!」

「魅せてくれよ!」

 店内にいた男達が、待ちかねた、と言うように二人に次々と声をかける。


 それを、正面奥に据えられたソファに座って、悠々と待ち構える勇吾。

 店内はすでに机や椅子が片付けられ、中央に簡単なリングが出来上がっていた。


 夏休みの最終日。今日は、優の特訓の成果を見せる日である。

 途中、クロウニーはいざこざがあり、優は自主練習せざるを得なかったが、それでも彼は成長した。

 そして、その成果を見せるべく、無謀にも勇吾に挑戦状を叩きつけたのだ。



 和也をセコンドに、優がリングに入る。

「落ち着いていけ。大きいのをもらわないように、よく見るんだ。目をつぶらなきゃ、絶対避けられる」

「わかった」

「粘って、隙を見つけろ。絶対焦るなよ」

「了解」

 和也のアドバイスに、いちいち頷く優。先生の話をよく聞く、いい生徒だった。


 その様子を、おもしろそうに聞いていた勇吾が、ソファから立ち上がり、こう聞いた。

「何パーセントで行く?」

「そんなの、全りょ――」

「50パーセントだ」

 優の言葉を遮り、和也が言った。

 優はその数字に不満そうだったが、和也は譲らなかった。

 せっかく育てたかわいい生徒を、初戦でいきなりぶっ潰されるわけにはいかないからだ。


「わかった。結構、手加減してやる」

 そう言うと、勇吾もリングに上がった。


 勇吾のセコンドは長谷川が務めた。だが、セコンドとは形ばかりで、手加減ミスんなよ、なんて呑気に言うばかりだった。

 その完全に舐め腐った台詞を聞いて、和也が、

「いいのか?スグルちゃんは結構動けるぜ」

 と、闘志を燃やした。リングの上の優も、キッと長谷川を睨む。

 二人の闘志を受けてもなお、楽しそうな勇吾。


 二人の手に練習用グローブがしっかりついていることを確認した審判役の築島が、開始の合図を行った。

「レディー……、ファイッ!」

 わぁっと、周囲から歓声が湧く。

 築島の掛け声を合図に、勇吾が優に襲いかかった。



 勇吾は開始の合図とともに、積極的に攻撃を始めた。

 だが、その攻撃は、手加減すると宣言した通り、「右、左、アッパー、次、腹狙うぞ」などとご丁寧に言いながらの攻撃だった。

 それを、ギリギリで躱す優。顔をかすめる拳の風圧に、一発でももらったら終わりだ、と嫌な汗が流れ出る。


 試合は、圧倒的に勇吾有利で進んだ。優も隙を見て反撃をしたが、片手で捌かれるか、あっさり避けられるかのどちらかだった。


 勇吾は、始終、優の成長を確かめるように動いていた。敵の拳の躱し方、優のパンチの軌道、パンチ力、フェイントの入れ方等々。

 優の渾身の一撃をあっさり躱すくせに、「今のはいいぞ」なんて上から目線で褒める。


 その余裕に、優が我慢できなくなった。

 もともと、運動神経に自信がある。それに、和也との特訓で、かなり上達したと言う自負もあった。

 勇吾との対戦も、全く勝算がないわけではない。勇吾は優を甘く見ているから、その隙さえ突けば、いい試合ができると思っていた。


 なのに、実際は勇吾の掌の上で転がされているだけとは。


 焦るな、とは和也のアドバイスだ。だが、優は、そのアドバイスも忘れて、攻撃に転じてしまった。

 彼は、正面から来た勇吾のパンチを無理やり弾くと、こじ開けた腹にボディブローを叩き込んだ。

 どっ、と重量感のある音がする。

 獲った、と優は思った。手応えのある感触に、思わずニヤリと笑う。


 だが、それは幻想だった。

「――いいパンチだ」

 完全にモロに入ったはずなのに、勇吾はビクともしなかった。


 勇吾の鍛えられた腹筋は、サンドバックなんかよりずっと硬かったのだ。

 殴った優の手にジーンと衝撃が伝わる。

 勇吾はニヤリと笑うと、

「腹筋に力を入れろ」

 そう指示して、優の腹にボディブローをお返しした。


 優が勇吾の指示通り、とっさに腹筋に力を入れた瞬間、彼の腹にが激突して来た。その衝撃の強さに、吹っ飛ぶ優。

「スグルちゃん!」

 和也の叫びを聞きながら、優は「あ、死んだ」と思った。



「――僕、生きてる?」

 床に倒れた優が、覗き込む和也に訊ねた。

「生きてるよ」

 和也は苦笑しながらそれに答えた。

「ま、よく健闘したほうじゃね?」

「あれで!?全く歯が立たなかったんだけど!」

 ガバッと跳ね起きて、叫ぶ優を、周りの者が口々に慰めた。

「やー、よくやったよ」

「頑張った、頑張った」

「ユーゴに一発入れられたじゃねーか」

「あんなの、入れたうちに入らないよ!入れさせてもらったようなもんじゃん!」

 己の不甲斐なさに、座り込んで顔を覆う優に、

「それがわかってるなら、見込みはある」

 と勇吾がぽんぽん、と頭を叩いて慰めてやった。


 結局、勇吾対優は、勇吾のK.O.勝ちで終わった。

 築島が、優を立たせて、「勝者、ユーゴ」と終了の合図をする。

 その声に優は、ありがとうございました、と頭を下げた。

 負けた時こそ、礼を尽くさなければならない。

 そうじゃないと、自分が惨めだから。


「は〜、イケると思ったんだけどな……」

 と落ち込む優に、

「始めたばっかじゃねーか。これから、これから」

 と慰める和也。


 優がリングから降りたのを見届けた長谷川が、

「じゃ〜、次、俺とやろうぜ。ユーゴ!」

 と、楽しそうに提案した。そして、返事も待たずにリングに上がる。

「お。久しぶりにやるか」

 自分のセコンドの反逆に、楽しそうな勇吾。


「あ、ズリー。俺も!」

 我も我もと勇吾との対戦を求める声が周りからも上がる。それを受けて、

「いいな。順番にイくか」

 と、本当にワクワクし始めた。


「え?仲間でしょ?なんで喧嘩すんの……?」

 この展開に、優は信じられないといった表情を浮かべた。

 自分には、一応、練習成果のお披露目、という大義名分があった。

 だが、彼らの理由は?


「や、もともとユーゴとハセあいつらは喧嘩友達だから」

 その隣で、よくあることと言うのは和也だった。


 優がドン引きする中、長谷川が練習用グローブを装着し、準備が整った。

 引き続き、築島が審判役をする。

ハセこれが終わったら、次俺な〜。……レディ、ファイ!」

 ちゃっかり次の順番を宣言して、開始の合図を叫ぶ。


 ファイ!と声がかかった瞬間、勇吾も長谷川も目つきがかわった。

 二人の体が、ブワッと一回り大きくなる。


 二人とも、闘争心むき出しで、それ以上に楽しそうに笑うと、一気に距離を詰めた。

 長谷川が、右ストレートを繰り出す。

 勇吾はそれの外側から、フックで迎撃をする。

 みしり、と勇吾の拳が、長谷川の拳が、相手の頰を捉える。

 いわゆる、クロス・カウンターである。


 お互いの拳を頬にめり込ませたまま、長谷川が笑う。

「……手加減してんじゃねーぞ」

「……なら、お前も全力で来い」


 勇吾の言葉に、長谷川はバッと下がって距離を取ると、

「今のは小手先だっつーの」

「小手先?手羽先かなんかか?」

「いや、それを言うなら、小手調べだろーが」

 和也の冷静なツッコミを無視して、優の時とは全く違う、ガチの殴り合いを始めた。


 どかっ、ごすっ、と、聞いているだけで痛そうな音が店内に響く。

 店内の男たちは、優との対戦とは違う迫力のある試合に、ボルテージを上げていった。

 殺気立った応援の声がうるさいほどだった。


「……ちょっと、この展開、ついていけないんだけど。僕だけ?」

「しばらくすりゃ、慣れる」

 和也の達観した声に、あぁ、苦労してんだな、と優は思った。


 わぁ、と一際、大きい歓声が上がる。優が、思わずリングを見ると、長谷川が勇吾のパンチをガードしたにも関わらず、そのガードごとぶっ飛ばされたところだった。


 築島が慌てて、終了のゴングを口で言いながら、二人の間に割り込む。

「カンカンカン!勝者、ユーゴ!」

「――っ、まだ、できる!」

 倒れたまま長谷川が吠えたが、

「次だ次!」

「後がつかえてんだ!諦めろ!」

「往生際わりーぞ!」

 と殺気立った男たちの声に、渋々リングを降りた。


「よっしゃ〜!じゃ、次、俺だな!」

「あ、じゃ、審判、俺してやるよ。で、次俺な」

「ずっり」

「早い者勝ちだっつーの」

 築島の楽しそうな声に、続く男たち。


 その喧嘩とも試合ともつかない、取っ組み合いを見ながら、僕、なんでこんなのに勝てるって思っちゃってたんだろ、と思う優だった。

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