5.コモン・シーナリー 3
「たのもう!」
「たのも〜う!」
クロウニーの溜まり場のドアがばーんと効果音付きで開かれた。
そのドアの向こうには、和也と優。どちらもその表情に自信を
「お、来たな」
「期待してるぜ。スグルちゃん!」
「魅せてくれよ!」
店内にいた男達が、待ちかねた、と言うように二人に次々と声をかける。
それを、正面奥に据えられたソファに座って、悠々と待ち構える勇吾。
店内はすでに机や椅子が片付けられ、中央に簡単なリングが出来上がっていた。
夏休みの最終日。今日は、優の特訓の成果を見せる日である。
途中、クロウニーはいざこざがあり、優は自主練習せざるを得なかったが、それでも彼は成長した。
そして、その成果を見せるべく、無謀にも勇吾に挑戦状を叩きつけたのだ。
◇
和也をセコンドに、優がリングに入る。
「落ち着いていけ。大きいのをもらわないように、よく見るんだ。目をつぶらなきゃ、絶対避けられる」
「わかった」
「粘って、隙を見つけろ。絶対焦るなよ」
「了解」
和也のアドバイスに、いちいち頷く優。先生の話をよく聞く、いい生徒だった。
その様子を、おもしろそうに聞いていた勇吾が、ソファから立ち上がり、こう聞いた。
「何パーセントで行く?」
「そんなの、全りょ――」
「50パーセントだ」
優の言葉を遮り、和也が言った。
優はその数字に不満そうだったが、和也は譲らなかった。
せっかく育てたかわいい生徒を、初戦でいきなりぶっ潰されるわけにはいかないからだ。
「わかった。結構、手加減してやる」
そう言うと、勇吾もリングに上がった。
勇吾のセコンドは長谷川が務めた。だが、セコンドとは形ばかりで、手加減ミスんなよ、なんて呑気に言うばかりだった。
その完全に舐め腐った台詞を聞いて、和也が、
「いいのか?スグルちゃんは結構動けるぜ」
と、闘志を燃やした。リングの上の優も、キッと長谷川を睨む。
二人の闘志を受けてもなお、楽しそうな勇吾。
二人の手に練習用グローブがしっかりついていることを確認した審判役の築島が、開始の合図を行った。
「レディー……、ファイッ!」
わぁっと、周囲から歓声が湧く。
築島の掛け声を合図に、勇吾が優に襲いかかった。
◇
勇吾は開始の合図とともに、積極的に攻撃を始めた。
だが、その攻撃は、手加減すると宣言した通り、「右、左、アッパー、次、腹狙うぞ」などとご丁寧に言いながらの攻撃だった。
それを、ギリギリで躱す優。顔をかすめる拳の風圧に、一発でももらったら終わりだ、と嫌な汗が流れ出る。
試合は、圧倒的に勇吾有利で進んだ。優も隙を見て反撃をしたが、片手で捌かれるか、あっさり避けられるかのどちらかだった。
勇吾は、始終、優の成長を確かめるように動いていた。敵の拳の躱し方、優のパンチの軌道、パンチ力、フェイントの入れ方等々。
優の渾身の一撃をあっさり躱すくせに、「今のはいいぞ」なんて上から目線で褒める。
その余裕に、優が我慢できなくなった。
もともと、運動神経に自信がある。それに、和也との特訓で、かなり上達したと言う自負もあった。
勇吾との対戦も、全く勝算がないわけではない。勇吾は優を甘く見ているから、その隙さえ突けば、いい試合ができると思っていた。
なのに、実際は勇吾の掌の上で転がされているだけとは。
焦るな、とは和也のアドバイスだ。だが、優は、そのアドバイスも忘れて、攻撃に転じてしまった。
彼は、正面から来た勇吾のパンチを無理やり弾くと、こじ開けた腹にボディブローを叩き込んだ。
どっ、と重量感のある音がする。
獲った、と優は思った。手応えのある感触に、思わずニヤリと笑う。
だが、それは幻想だった。
「――いいパンチだ」
完全にモロに入ったはずなのに、勇吾はビクともしなかった。
勇吾の鍛えられた腹筋は、サンドバックなんかよりずっと硬かったのだ。
殴った優の手にジーンと衝撃が伝わる。
勇吾はニヤリと笑うと、
「腹筋に力を入れろ」
そう指示して、優の腹にボディブローをお返しした。
優が勇吾の指示通り、とっさに腹筋に力を入れた瞬間、彼の腹に何かが激突して来た。その衝撃の強さに、吹っ飛ぶ優。
「スグルちゃん!」
和也の叫びを聞きながら、優は「あ、死んだ」と思った。
◇
「――僕、生きてる?」
床に倒れた優が、覗き込む和也に訊ねた。
「生きてるよ」
和也は苦笑しながらそれに答えた。
「ま、よく健闘したほうじゃね?」
「あれで!?全く歯が立たなかったんだけど!」
ガバッと跳ね起きて、叫ぶ優を、周りの者が口々に慰めた。
「やー、よくやったよ」
「頑張った、頑張った」
「ユーゴに一発入れられたじゃねーか」
「あんなの、入れたうちに入らないよ!入れさせてもらったようなもんじゃん!」
己の不甲斐なさに、座り込んで顔を覆う優に、
「それがわかってるなら、見込みはある」
と勇吾がぽんぽん、と頭を叩いて慰めてやった。
結局、勇吾対優は、勇吾のK.O.勝ちで終わった。
築島が、優を立たせて、「勝者、ユーゴ」と終了の合図をする。
その声に優は、ありがとうございました、と頭を下げた。
負けた時こそ、礼を尽くさなければならない。
そうじゃないと、自分が惨めだから。
「は〜、イケると思ったんだけどな……」
と落ち込む優に、
「始めたばっかじゃねーか。これから、これから」
と慰める和也。
優がリングから降りたのを見届けた長谷川が、
「じゃ〜、次、俺とやろうぜ。ユーゴ!」
と、楽しそうに提案した。そして、返事も待たずにリングに上がる。
「お。久しぶりにやるか」
自分のセコンドの反逆に、楽しそうな勇吾。
「あ、ズリー。俺も!」
我も我もと勇吾との対戦を求める声が周りからも上がる。それを受けて、
「いいな。順番にイくか」
と、本当にワクワクし始めた。
「え?仲間でしょ?なんで喧嘩すんの……?」
この展開に、優は信じられないといった表情を浮かべた。
自分には、一応、練習成果のお披露目、という大義名分があった。
だが、彼らの理由は?
「や、もともと
その隣で、よくあることと言うのは和也だった。
優がドン引きする中、長谷川が練習用グローブを装着し、準備が整った。
引き続き、築島が審判役をする。
「
ちゃっかり次の順番を宣言して、開始の合図を叫ぶ。
ファイ!と声がかかった瞬間、勇吾も長谷川も目つきがかわった。
二人の体が、ブワッと一回り大きくなる。
二人とも、闘争心むき出しで、それ以上に楽しそうに笑うと、一気に距離を詰めた。
長谷川が、右ストレートを繰り出す。
勇吾はそれの外側から、フックで迎撃をする。
みしり、と勇吾の拳が、長谷川の拳が、相手の頰を捉える。
いわゆる、クロス・カウンターである。
お互いの拳を頬にめり込ませたまま、長谷川が笑う。
「……手加減してんじゃねーぞ」
「……なら、お前も全力で来い」
勇吾の言葉に、長谷川はバッと下がって距離を取ると、
「今のは小手先だっつーの」
「小手先?手羽先かなんかか?」
「いや、それを言うなら、小手調べだろーが」
和也の冷静なツッコミを無視して、優の時とは全く違う、ガチの殴り合いを始めた。
どかっ、ごすっ、と、聞いているだけで痛そうな音が店内に響く。
店内の男たちは、優との対戦とは違う迫力のある試合に、ボルテージを上げていった。
殺気立った応援の声がうるさいほどだった。
「……ちょっと、この展開、ついていけないんだけど。僕だけ?」
「しばらくすりゃ、慣れる」
和也の達観した声に、あぁ、苦労してんだな、と優は思った。
わぁ、と一際、大きい歓声が上がる。優が、思わずリングを見ると、長谷川が勇吾のパンチをガードしたにも関わらず、そのガードごとぶっ飛ばされたところだった。
築島が慌てて、終了のゴングを口で言いながら、二人の間に割り込む。
「カンカンカン!勝者、ユーゴ!」
「――っ、まだ、できる!」
倒れたまま長谷川が吠えたが、
「次だ次!」
「後がつかえてんだ!諦めろ!」
「往生際わりーぞ!」
と殺気立った男たちの声に、渋々リングを降りた。
「よっしゃ〜!じゃ、次、俺だな!」
「あ、じゃ、審判、俺してやるよ。で、次俺な」
「ずっり」
「早い者勝ちだっつーの」
築島の楽しそうな声に、続く男たち。
その喧嘩とも試合ともつかない、取っ組み合いを見ながら、僕、なんでこんなのに勝てるって思っちゃってたんだろ、と思う優だった。
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