5.コモン・シーナリー 2

「ち〜っす。マコトちゃん、います?」

 昼には少し早い時間。そろそろお客が来るかしら、と思いながら「梅小町」の店内をセッティングしていたおばちゃんの耳に、軽薄な声が届く。


 店の入り口には、見たことのある顔が二つ。

 店のドアを開けた客は、正確には客ではないようだ。

「あら。マコちゃんのお友達ね。ちょっと待ってね。今呼ぶから」

 そう言うと、おばちゃんはキッチンに「マコちゃん、お友達よ〜」と声をかけた。


 その声に反応して出てきたのは二人。

「はぁ〜?友達ぃ?どいつだっ」

 怒りながら出てきた秋人と、

「あ、ユーゴ。カズヤ。ちは〜」

 きゅうりの酢の物をえながら出てきた真琴である。


 真琴は和也が勇吾と一緒にいるのを見て、にっと笑ったが、何も言わなかった。

 多分二人でいるだけで色々察したのだろう。


 一方、秋人は友達が男とわかると、露骨に嫌そうな顔になった。

「なんだ、お前らか。何しに来たんだ」

「何しに来たって、飯食いにっすよ〜」

 和也が秋人の失礼な態度に腹を立てるでもなく、へらへらと返した。


 だが、真琴はそうではなかった。

「飯なら食ったら、さっさと帰れよ」

 と二人に冷たい態度をとる秋人に、

「秋兄ぃ、私の友達が来るの、迷惑?」

 と目に見えて、しょんぼりした。


「いやっ、違うっ。お前の友達が迷惑じゃなくてだなっ」

 その落ち込みに、慌てて秋人が否定すると、「ホント?」と不安そうな目をした。

「もちろんっ。男同士なら、これくらい言うのがフツーだ」

「そうなの?」

 真琴は秋人の言葉だけでは信じられないようで、勇吾と和也を見上げた。

 勇吾と和也は、余裕綽々で、

「そうだぞ、マコト。これくらい普通だ」

「そーそー。ツンデレってやつ?」

 と、秋人の言葉に乗った。だが、二人の目は、「貸し1」と語っていた。


 ぐっと、言葉を飲み込む秋人に、和えていたきゅうりの酢の物をパスした真琴は、二人を席に案内した。

「ほい、メニュー」


 メニューを渡すと、水を取りに行って、戻って来た。

「――なぁ、マコト。こないだのハンバーグもうまかったけど、今日は別のが食いたい。何がオススメだ?」

 そう勇吾に呼び止められて、真琴は無警戒に勇吾の元へと近寄って行った。


 勇吾は体を半分、真琴の方に開くようにずらすと、テーブルの上のメニューが彼女にも見やすいように傾けた。

「え〜、何がいいかな。魚もおいしいんだけど……。秋兄ぃ、今日の日替わりって、なんだっけ」

「マコ、距離近くね?」

「はい?」

 秋人が指摘するように、真琴は勇吾の膝の間に入っていた。だが、二人の体はどこも触れていない。だから、

「近い?そっかな。秋兄ぃとも、これくらいじゃない?」

 真琴は全然気にしていなかった。

 その自覚のなさに、秋人はクラクラした。


「そいつらは俺じゃないだろ!」

 そう言うと、ぐいっと秋人の方へと引き寄せる。

 前回来た時より、二人との距離が確実に近づいている気がする。そう思った秋人は、恐る恐る真琴に訊ねた。

「マコ、まさかと思うが、そいつらに変なことされてないだろうな」

「変なこと?」


 秋人の言葉に、真琴は考えた。

 和也が夜、家に来たことがあったけど、あれは弱ってたからだし、勇吾には……キスされたけど、キスそれみたいだし。




 ――ちょっとお待ちいただきたい。

 真琴がこう考えたのにも訳があるのだ。


 「危機管理意識がポンコツ」と評される真琴とて、異性にキスをされたら、流石に「え?ユーゴって、私のこと好きなの?それとも遊び?どっち?」みたいに、悶々と考えざるを得なかった。そりゃ、誰だってそう考える。

 夜中、急に、勇吾の顔やたくましい腕を思い出して悶えたり、真琴の髪を優しく梳く感触が蘇って来て切なくなったりしたこともあった。

 だが、そんな眠れない夜を幾晩も過ごした後、真琴は唐突に思い出したのだ。


 それは、一学期のある日の放課後のことである。

 何かの用事で遅くなった真琴が教室に戻ると、そこには、長谷川と春樹がいた。

 長谷川は、スマホでゲームをして、春樹はその向かいでノートパソコンをいじっていた。

 あれ?ユーゴでも待ってんのかな、と思って、声をかけようとした時、春樹が長谷川の名前を呼んだ。

「――ねぇ、

 聞きなれない呼び方に、真琴が声をかけるのを躊躇した瞬間、

「あ?ちょっと待て」

 長谷川がスマホをいくつか操作し、顔を上げると机から身を乗り出して、春樹にちゅっとキスをしたのだった。

 そして、何もなかったかのように椅子に座って、ゲームを再開した。

「ちょ、なんで今したの」

「あ?違うんかよ」

 笑いながら問う春樹に、スマホから目も離さず、長谷川が答えた。

「違うよ。ちょっと見てって」

「あ?何だよ。ちょっと待て……。よし、勝った。で、何だって?」

「これ、ちょっと見て」

 そう言って、春樹が長谷川にもパソコンの画面が見えるようにパソコンをずらした。

 そして、二人は何もなかったかのように話し始めたのだった。


 その時の真琴の衝撃は、いかほどだっただろうか。


 あれ?あの二人って、友達?恋人?でも、男同士だし……。え?何で?友達だよね?あの二人の仲がいいのは知っていたけど……、見間違い?

 混乱しながらも、見てはいけないものを見たような気がして、真琴はこのことを誰にも言っていなかった。そして、その記憶自体、封印していたのだが……。


 その記憶が、勇吾とのキスこんかいのことと結び付くと、真琴のポンコツ頭脳はどのような計算結果を吐き出すか、おわかりだろうか。


 長谷川と春樹は

 それと同じように、勇吾と真琴も


 最近の高校生って、アメリカナイズされてんな〜。


 真琴は、この二つのキスを「親愛のキス」と解釈した。


 ……何も言わなくてもいい。わかっている。

 欧米の親愛のキスが唇同士でないこととか、男同士ではあまりしないことなど、ツッコミどころは満載だ。

 だが、これが真琴のポンコツ危機管理意識なのだ。


 この結論に達してから、真琴は悶々とすることはあれど、悩まなくなった。

 だから、秋人の「ことされてないだろうな」という問いには、当然こう答えた。


「変なこと……は、されてないかな?」


「その一瞬の間は、何だ〜!?」

 秋人は吠えると、真琴の肩を持って、ガクガクと前後に揺すった。

「秋兄ぃ、痛い、痛い」

 真琴は口では痛がるものの、秋人に雑に扱われるのに慣れているのか、笑っていた。

 だが、その揺すぶりが、唐突に終わる。

「おわ?」

 くらっとしたかと思うと、いつの間にか後ろに立っていた勇吾の胸元に引き寄せられていた。


「いくら親戚でも、痛がることはしないほうがいい」

 どんな手品を使ったのか、肩を掴んでいた秋人の手は、いつの間にか外れていた。

 それに一瞬驚いたものの、真琴は悪ノリした。

「そーだ、そーだ。秋兄ぃのランボー者〜」

 そう言うと、よせばいいのに、勇吾の腕にぎゅっと抱きついたのだった。


「マコぉぉぉ」

 真琴に抱きつかれた勇吾が、どんな不快なドヤ顔をしているのかと思ったら、彼はそれを当然の顔で受け止めていた。

 当然!?当然ってなんだ!

 ドヤ顔されるよりもムカつく表情がこの世にあることを初めて知った秋人だった。


「マコ、こっちに帰って来い!」

 秋人が怒って言うが、真琴は「や〜。秋兄ぃ、セクハラするし〜」と言って、勇吾の後ろへ隠れてしまった。

「マコぉ!そいつはいいのか!男は狼なんだぞ!」

「知ってる。秋兄ぃ、いっぱい女の人泣かしたもんね」

 勇吾の後ろからひょこっと顔を出した真琴が、爆弾を投下した。

「俺のことはっ……」

「え〜、秋兄ぃって、そうなんすか。話聞きて〜」

 テーブルの向こうから、和也が興味津々で話に入って来た。

「お前に秋兄ぃ呼ばわりされる筋合いはない!」

「え?じゃ、義兄おにいさん?」

 ぶちっと秋人の血管が切れそうになる。


 と、そこへ、裏口が開く音がして、「秋人ぉ、何サボってんだ!」と言う怒鳴り声が響いた。

「やべっ」

 用事で出ていたおいちゃんが帰って来たようだ。

 その声に、真琴も慌てて仕事モードに戻る。空気だったおばちゃんも、あらあら、と言って動き出した。

「二人とも、注文決まったら、教えて」

 そう言って、真琴たちは仕込みを再開するべく、キッチンへと消えて行った。


◇◇◇


 勇吾と和也が注文した定食を食べていると、「マコぉ、水」とダミ声が聞こえた。

 真琴にセクハラをしている伊藤の声である。


「――、どーすんの」

 和也がご飯を食べながら、天気の話でもするように訊ねた。

「今日はだけだ」

 返された言葉は、平和だったが、何となく不穏なものを感じた和也は、「あっそ」と言うと、またご飯に集中し始めた。


 今日、勇吾が何の目的でここに来たか、和也も知らなかった。ただ、今日は真琴のところで昼飯を食おう、と誘われたのだ。

 秋人をキレさせるために来たのではないことは確かだ。だが、「見るだけ」とは?


 その答えは、会計の時にわかった。


「マコト、会計」

 食べ終わった勇吾は、出るか、と言って、真琴を呼んだ。

 は〜い、と言って、キッチンから出て来た真琴は、勇吾たちの前を通って、レジまで向かおうとした。

 勇吾の前を通り過ぎた直後、立ち上がった勇吾が真琴を呼び止めた。

「マコト、リボン、ほどけてる」

「え?」

 驚いた真琴が振り返った瞬間、勇吾はくるっと真琴の体を回して、

「結んでやろう」

 真琴を抱きかかえる形で、背後に手を伸ばした。


「う、あ、ありがと……?」

 流石にその行為に不自然なものを感じた真琴が、疑問符付きでお礼を言った。

 勇吾はそれに構わず、エプロンのリボンを解くと、綺麗に結び直すふりをした。

 そして、結び直すふりをしながら、何事か、とこちらを見ている伊藤と目を合わせると、殺気を込めた目で睨みつけた。

 何度も死線をくぐり抜けて来た男の、殺気である。

 それに当てられて、ひっと、固まる伊藤。

 勇吾はその反応に満足せず、ずもっと、背後から黒い気配を湧き上がらせた。

 気のせいだろうが、勇吾の見えない手が、伊藤の喉笛をがっちり掴んだような気がした。


 お前の生殺与奪は、俺の手の内にある。


 その迫力に完全に怯んだ伊藤に、止めに「は俺のだ」と、目線で伝えた。手を出したら、どうなるか、わかるだろうな、の脅迫付きで。


 伊藤の口から、ひゅ〜っとか細い悲鳴のような息が漏れる。


「ユーゴ?結べた?」

 真琴の問いかけに、勇吾はすべての殺気を綺麗に消すと、

「うまく結べん」

「だろうね。知ってた。ユーゴ、不器用じゃん!」


 そう言葉を交わす二人を見ながら、伊藤は口に入っていたご飯をごくんと飲み込むと、

「用事あったの忘れてた!勘定、ここ置いとくわ。釣りはいらないから!」

 そう言って、カウンターにお札を叩きつけると、逃げるように店内を後にした。


「あ、ちょ……!」

 真琴が慌ててその後を追おうとするが、

「仕事なんじゃね?社会人だからさ。追いかけたら、逆に迷惑だって」

 和也が笑いを堪えています、と言う表情で真琴に言った。

 真琴は、何がそんなにおもしろいんだ、と思いながらも、伊藤の席からお金を回収し、レジへ入れた。



「見るだけ、見るだけねぇ」

 会計を終えて、店を出た途端、和也が楽しそうに言った。


「あれが見るだけって、あのおっさん、かわいそうじゃね?」

「俺はただ、目が合っただけだ」

 笑いのツボに入ったのだろう。和也は堪えるようにふ、ふふっと笑っている。それに、ふてぶてしく返す勇吾。


 二人はクロウニーの溜まり場方面へ向かいながら、話した。

「マコトちゃんが泣きついてくるまで助けないんじゃなかった?」

「助けないんじゃない。怒られるから、手が出せないと言ったんだ」

 そうだった。勇吾はぶっ飛ばせば早いのに、と文句を言っていた。


「じゃ、何で今日助けたん?」

「お前を見ててな、思ったんだ。バレなきゃいいって」

「はぁ!?」

 その答えに、和也が素っ頓狂な声を上げた。そして、勇吾の表情を見て、真面目に言っているとわかると、

「お、俺かぁ〜」

 とため息をついた。


 あ〜、ユーゴに余計な知恵つけさせちゃったかな、と後悔をして勇吾を見上げると、勇吾はいたずらが成功した時のような表情で和也を見ていた。

 どうやら、和也を驚かせたかったらしい。


「は〜、いつまでも停滞してねーってこったな」

 成長の方向は別として、勇吾は成長した。そして、その結果、真琴を助けられたならいいか、と和也は思った。

「そう言うことだ」

 と勇吾は自慢げに言った。半分嫌味だったセリフを、まともに受けられて、和也はもう何も言えなくなった。


「……俺も頑張るわ」

「おう」

 この油断できない幼馴染に、和也は置いて行かれないようにするだけで精一杯なのだ。

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