5.コモン・シーナリー 1

 津川が梅田を刺した次の日。

 自宅待機をしていた和也は、勇吾と一緒に警察に呼び出された。くたびれた刑事の「ちょ〜っと、話を聞かせて欲しいんだけどね」という一言とともに。


 勇吾と二人、緊張しながら警察へ向かう。

 今まで何度か、警察にお世話になったことがあったが、こんなに緊張したことはなかった。


 いくら覚悟を決めたとて、和也だってまだ高校に入ったばかりの子供である。

 百戦錬磨の警察相手に、演じきれるか心配だった。

 だが、その緊張は、「チームのメンバーが刃傷沙汰なんか起こしてしまった、そのきっかけを作ったゆえの後悔」と受け取られたようだ。

 和也は、ありがたくその誤解に乗った。

 そして、それは成功した。


 そもそも、警察も和也や勇吾を疑っているわけではなかった。

 これはかなり単純な、事件にもならない事件だったからだ。


 なぜなら。

 刺された梅田が一命を取り留め、証言したからだ。


 「」と。



 梅田は、死ななかった。刺されてもなお、息があった。

 、ピクリとも動かなかったのは、刺されたショックで気を失っていただけだったようだ。


 警察から聞いた事件のあらましはこうだった。


 その日、梅田は、除隊させられた腹いせに、店内をめちゃくちゃにしてやろうとナイフを持ってやってきたらしい。

 協力者を使って、人払いを済ませたから、それはなんの苦もなく行えるはずだった。

 しかし、店内には留守番を任された津川がいた。

 店を壊したい梅田と、それを阻止する津川が揉み合っているうちに、梅田の腹にナイフが刺さってしまったそうだ。

 津川は、、しばらく呆然としていたらしい。だが、気絶から回復した梅田のうめき声に我に返り、自分で救急車と警察を呼んだ。そして、そのまま、やってきた警察官に「自分が刺した」と自首した、と言うのがこの事件の全貌である。


 加害者本人が刺したと言っている。

 そして、

 その上、


 二人以外の関係者の動向で、曖昧な者も多数いたが、これだけの証言・証拠である。

 探偵の出る幕もないほど単純明快な事件だ。

 警察も、その筋書きシナリオを疑っていない。彼らも忙しい。こんな簡単な事件、さっさと幕を引いてしまいたいのだろう。



 和也は、店を出た後、津川と梅田の間で何があったのか知らない。

 何をどうすれば、梅田に「津川に刺された」と証言させられるのか、わからない。

 だが、結果さえわかれば十分だ。そして、が津川の出した結果だった。

 和也の予想以上の結果を津川は作り出した。

 なら、あとできることは、粛々とそれに乗ることだけだ。

 和也は、不祥事を起こした者がいるチームの副隊長として、警察に対応した。


 帰り間際、刑事は言った。

 津川は、傷害だが、正当防衛が適応されるだろう、と。

 ナイフは梅田のもので、加害者、被害者とも揉み合っているうちに刺さってしまったと証言しているからだ。


 それを聞いた時、和也はその場に崩れ落ちそうなほど安堵した。

 身勝手だが、津川に重い罪を被せずに済んだことが嬉しかった。

 だが、和也はそんな内心は一切表さずに、勇吾とともに警察署を後にした。


 津川はやりきった。

 それに応えるべく、和也もやりきったのだ。



 警察での「お話」が終わった帰り。

 二人は特に話すことなく、真夏の太陽に焼かれたアスファルトの上を歩いていた。


 昼から始まった警察との「お話」は、なんだかんだと夕方までかかった。

 だが、夏は日が長い。夕方といえど、まだまだ周囲は明るく、歩いているだけでTシャツがじっとりと湿ってきた。


 和也は歩きながら、今後のことを考えていた。

 まずは、めちゃめちゃになった店の掃除が必要だ。それが終わったら、自主的な自宅待機は解除しても構わないだろう。梅田が集めた男たちの残党狩りは、もうすぐ帰ってくる特攻隊に任せて……。


 そんなことを考えていたから、隣を歩く勇吾が黙りこくっているのに気がつかなかった。

 勇吾はこの件に関して、徹頭徹尾、聞かれたこと以外のことを話さなかった。

 刑事に反抗的とも取られかねない態度である。


 和也はそれを、ショックを受けているからだと解釈した。

 片方は、除隊されたとは言え、もともと仲間だった者同士が刺すの刺されるのと言った事件を起こしたのだ。

 仲間思いの勇吾からしたら、相当ショックなのだろう、と。


 しかし、それは和也のあなどりに他ならなかった。



 和也と勇吾の家の、ちょうど最後の分かれ道。

 勇吾は立ち止まって、和也の目をじっと見ると一言言った。



 和也から、先ほどまでとは違う汗がどっと出た。


 ――どういうことだ。いつから気づかれていた。勇吾は何を、どこまで知っている?

 ぐるぐると疑問ばかりが渦巻いて、和也は何も言えなかった。

 きゅぅーっと喉が絞まる。口の中がカラカラに乾いているのがわかった。


 固まってしまった和也を安心させるように勇吾は言う。

「大丈夫だ。警察は気づいてない」

「……なら、なんで」

 掠れた声が和也の口から絞り出される。

 それは、認めたも同様のセリフだった。だが、どうしても聞かなければならなかった。


「お前が何かを隠していることくらいわかる。伊達にお前と幼馴染やってないからな」

「隠してる、こと……」

「あの喧嘩の時、お前はすぐ俺たちのところへ来たと言ったが、そうじゃないだろ。……?」


 そこまでわかっているなら、全て知られているのも同然だ。和也は思わず天を仰いだ。

 勇吾が探るように和也を覗き込んでくる。

 その勇吾の瞳には、心配と――少しの怒り。



「なんで、そこまでわかってて……」

「……警察に言わなかったのか、って?」

 口八丁で全てなんとかしてきた和也の舌がうまく回ってくれなかった。それでしょうがなく、勇吾の言葉に肯定の意味で頷く。


「お前がこういうストーリーを作ったのは、なんか理由があるんだろ。俺にはわからんが」

 いっそけろっとした声で、勇吾は言った。


「わかんねーのに、俺の話に合わせたのかよ!もし警察が不信感を持ったら……!」

「俺もだな」

 勇吾の強い視線に射抜かれた和也は、ぐっと言葉を飲み込んだ。


「……共犯、なんて、簡単に言うなよ」

「……何言ってんだ。俺たちは前から共犯そうだろう」

 と、左肩の古傷を指でさされる。


「俺は、お前のすることにノるぞ。――だから、今回みたいに中途半端なことはするな。今回は運がよかっただけだ」


 そう言われて、和也はゾッとした。

 今回はたまたまうまくいったからよかったものの、もし失敗していたら、自分と津川だけでなく、勇吾も巻き込んでいたかもしれない、という事実に。

 そして、図らずも勇吾を共犯者にしてしまったという事実に。


 俺は、そこまでの覚悟があっただろうか。


 和也が絶句していると、

「お前は。そうだろ?」

 強く念押しすると、勇吾は、衝撃で固まっている和也の肩をばしっと叩き、ひらひらと手を振って家路についた。


 その背が見えなくなって、ようやく和也の硬直が溶けた。ため息とともに吐き出す。

「――どんなプレッシャーだよ」

 それはため息のはずだったが、どこか嬉しさが滲んでいた。


◇◇◇


 数日後。

 綺麗になったクロウニーの溜まり場で、和也はいつも通り、勇吾たちとダベっていた。


 店内の血の後は綺麗に拭った。和也が自分の責任として、綺麗に掃除した。

 なぎ倒された椅子やテーブルも綺麗に元どおりの位置に戻したら、事件なんかなかったかのようにいつも通りの店内に戻った。


 和也はそれを見て、不思議な気持ちになった。

 あれだけのことがあったのに、ただ痕跡が消えただけで、まるで何もなかったかのようになるのか。それで、本当にいいのか。


 和也は、テーブルにつけられた傷跡を見ながら、考えた。

 この傷跡を、パテで埋めて見えなくすることもできる。

 そうしたら本当に、この店内に、自分の犯した罪の痕跡がなくなる。

 それがなくなった時、自分は、また、今の後悔を忘れて、同じ過ちをおかしてしまわないだろうか――。


 結局、和也はテーブルの傷跡それを戒めとして、そのままにしておくことにした。

 傷跡をつ、と撫でると、指に痛かった。

 和也は、苦笑すると、皆を迎えるべく、掃除の仕上げにかかった。



 掃除完了のグループラインを送ると、メンバーが待ちかねたように続々とやってきた。

 そこには、合宿から帰ってきた長谷川達もいる。

 他のメンバーも、自主的自宅待機が解除され、久しぶりの外に嬉しそうだ。


 合宿に行った奴らが、免許を自慢するものだから、皆、それを見ながら、写真についてどーのこーのと言い合っていた。


「ハセの免許写真、すごく男じゃない〜?」

 春樹は、さっきからそればかりだった。


「だって、こんなん、座ったら、はいカメラ見て、はい終わり、だったじゃねーか」

 長谷川は、もう勘弁してくれ、というように言い訳を口にする。

 それほど、長谷川の免許写真は、目つきが悪かった。


「なんでカメラ睨んだんだよ」

 和也がもっともな疑問を口にしたら、

「カメラ見ろって言われたからだよ」

 怒ったような返事が返ってきた。

 見ろと言われて睨むのは、喧嘩っ早い長谷川らしいといえばらしかった。


 皆が、くだらない話で盛り上がる中、和也も、なんでもないように笑っていたが、この「日常いつもどおり」に涙が出そうだった。


 もう少しで失うところだったもの。

 自分のせいで台無しにしてしまいそうになったもの。

 それが、今まで通り目の前にあるという奇跡に、泣き出しそうだった。


 だが。

 この「日常」には、一つ足りないものがある。

 そして、メンバーの誰もがそのことに気がつきながらも、話題にしなかった。



 からん、と音がして、入り口のドアが開いた。

 その音に、また誰かがやってきたのか、と目をやった者の動きが止まった。

 お、っとその隣の者も気がついた。

 その連鎖が広がり、店内の者の視線が入口へと集まる。


 そこに姿を現したのは、津川だった。

 津川が梅田を刺した、ということは、不在だった特攻隊のメンバーでも知っていた。


 そのニュースを聞いた者の反応は様々だった。

 クロウニーの溜まり場を守るために、よくやったと言う者。

 たとえ故意ではなかったとしても、刺すのはやりすぎだと言う者。


 津川は、英雄ヒーローか、悪役ヒールか。


 彼らの意見は二分されていた。

 そんな時、チームの方向性を決めるのは、勇吾だ。

 勇吾が津川にどのような判決を下すか。皆、興味津々だった。


 津川は、皆の注目を一身に受けたまま、勇吾の元へと向かった。

 勇吾はいつも通り、再奥のソファに、右には和也、左には長谷川を従え座っていた。向かってくる津川を、真っ直ぐ見つめている。その表情からは、何も読み取れなかった。

 それゆえ、皆、固唾を呑んで見守った。


 津川は勇吾の前に立つと、バッと頭を下げた。

「迷惑をかけて、すみませんでした!」


 深々と頭を下げたまま、顔を上げようとしない津川に、勇吾は溜息をついた。

「……それがお前の出したか」

「はい」

 迷いのない返答に、勇吾は頭痛がすると言うように顔をしかめた。


 その表情に、周囲の者が、ダメだったか、と目をそらしかけた時、

「……顔を上げろ。俺は怒っていない。……よくここを守ってくれたな」

 渋い顔ながらも、そう労った。


 周囲から驚きと安堵の声が漏れる。

 勇吾が下した判決は、「英雄ヒーロー」だ。

 なら、周囲の者がこれ以上、議論する必要はない。


 勇吾の判決に、勇吾の隣に座っていた和也が安堵した。

 津川も目に見えて安堵する。

「いえ。当然のことをしたまでです」

 彼は一応、謙遜をしたが、やはり声に喜びが滲んでいた。

 だが、続けられた勇吾の厳しい声に、再度、背筋を伸ばした。

「津川。――それから和也」

 その声の厳しさに、和也も思わず立ち上がった。


 勇吾は、立ち上がった二人を順々に見ると、


「――


 それは、事情を知る和也と津川には、正しく伝わった。

 津川にパッと目配せをされ、和也はそれを肯定する。

 津川には、まだきちんと話せていない。あとで二人、ゆっくり話を詰める必要がある。


 だが、ここで言えるのは、

「すまなかった」

「すみませんでした」

 謝罪のみだった。二人して、深々と頭を下げる。


 皆の前での叱責だったが、これは仕方がないことだ。これくらいの罰なら、甘んじて受け入れられる。

 だから、和也の謝罪は、心からの謝罪だった。

 嘘偽りない、本心からの謝罪だった。

 だが、彼はもう一言、どうしても付け加えなければならなかった。勇吾のために。


 和也は頭をあげると、

「――でもな、それは誤解を招くから、言い方、考えてくれ」

「あ?」


 勇吾の一言は、和也と津川、正しく伝わった。

 だが、事情を知らない周囲の者がこの台詞を聞いたら、どう受け止めるだろう。


 津川は梅田を刺した。そして、刺された梅田は、まだ生きている。


るなら、徹底的にれ。

(刺したけど殺せないなんていう)中途半端なことはするな」


 こう誤解しても、しかたがないのではなかろうか。


 そして、当然周囲の者は事情を知らないから、そう解釈した。

 その悪役のようなセリフに畏怖を覚える者、カッケー!と目を輝かせる者、恐怖を感じる者、様々な反応が起きる。その反応を見て、勇吾は焦った。


「……いや、違う。そう言う意味じゃない」

 勇吾は慌てて否定したが、和也達がしたことを皆に言えるわけがない。だから、違う、としか言えなかった。

 勇吾は困って和也に助けを求めるように視線を投げかけたが、和也は肩をすくめるばかりで、助けてくれそうになかった。自分でなんとかしろ、と言うことらしい。


 結局、勇吾は誤解を解けきれず、皆の理解した判決は「津川は店を守ったヒーローだが、中途半端なところはよくなかった」に落ち着いた。

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