4.アビタル・ミステイク 2
路地裏で、男が集団に殴られていた。
「はっ、テーコーすっからこんなことになんだぜ」
男を殴りながら、集団の一人が勝ち誇ったようにいう。
殴られている男は、もう、立ち上がる力もないようだった。体を丸めて、この暴力の嵐が過ぎ去るのを待っている。
自分たちの勝ちを確信したのだろう。集団の一人が、投げ捨てられた男の荷物に目をつけた。
「な〜、こん中に金目のもんあるんじゃね?」
そう言って、持ち主の許可も得ずに我が物顔でかばんを開けた。
殴られている男は、一瞬、顔を上げて抵抗を試みようとしたが、また蹴りが飛んで来て、体を丸めた。
「……財布、み〜っけ」
かばんを開けた男が、楽しそうな声を出す。
そうだろう。今日、買い物に行こうと思って、お金を出して来たばかりだ。
いつものぺらぺらの財布とは厚さが違った。
――くそっ、なんでこんなことに!誰か、誰でもいい、助けてくれ!
そんな男の声に応えるように、路地裏に二人の人影が駆け込んで来た。
「てめぇら、そこまでだっ!」
ざざざっと砂煙をあげて元気よく駆け込んで来た金髪が一人。
「コウキ、ちょっと待っ、待って……」
息も絶え絶えに、ついて来たスキンヘッドが一人。こちらは走り疲れて、ゼーゼー言っていた。
「イノさ〜ん、しっかりしてくれよ。これからが本番だぜ」
同じ距離を走ったであろうコウキは、ちっとも息が乱れていなかった。それどころか、なぜか生き生きしていた。
そして、男を囲んでいた集団にビシッと指を突きつけると、
「よくも俺たちの大事な仲間をボコってくれたな!俺が成敗してやるっ!」
高らかに啖呵を切った。
「……あ?」
「……はぁ?」
突然の展開についていけない集団に構わず、コウキは彼らに駆け寄ると、
「とうっ!」
「ぎゃ!?」
かばんを漁って一人集団から外れていた男の顔を容赦なく蹴り上げた。
顔を覆って、悶える男のマウントを取ると、
「まず一人〜♪」
歌でも歌うような調子で言って、ボコボコに殴り始めた。
「あ!?何してやがんだ!」
いきなりのことに呆然としていた男達が、我に返る。そして、コウキをやめさせようと近づいて行った。
一番彼らに近かった男が、ボコボコと楽しそうに仲間を殴るコウキの正面から手を伸ばした。
すると、
「二人目〜♪」
コウキが、しゃがんでいた体勢から、いきなりカエルのようにジャンプした。コウキの頭は、過たずに手を伸ばして来た男の顔にクリーンヒットする。
「うぎゃっ!」
そんなに衝撃は強くなかったが、びっくりしたことで男の動きが一瞬止まる。
そこへ、
「ちょうっ♪」
コウキがハイキックをお見舞いした。それをモロに食らって、飛んでいく男。
「てめぇ!何しやがる!」
「何しやがる、はお前らだろ〜?」
いきなり仲間がやられて、警戒心丸出しになる集団の男達、残り三人。
――あれ?増えてる?
和也の指示によると、サイトーをボコっていたのは三人だったはず。今二人やったら、残りは一人のはずなんだけど……。
「ま、いっか♪」
コウキは、ない頭で考えることを放棄した。こいつらを全部やっつけてから、考えたらいい。
そう言って、犬歯を剥き出して、ニコッと笑ったコウキにストップがかけられる。
「コウキ、俺らは逃げるふりして、高架下だろーが」
脇腹を押さえたイノさんが、まだ復活できずに路地裏の入り口から声だけで参戦する。
「おっ、そうだった!」
ぽん、と手を打って、重要な任務を思い出したコウキ。
「そーだった、そーだった。俺たち、これから逃げるんだった。おにーさん達、ちゃんと追っかけて来てね」
そう言って、男達を警戒しながら、「サイトー」を助け起こす。
「サイトー、大丈夫?これからユーゴたちんとこ、行くぜ〜。喧嘩だ喧嘩。でっかい喧嘩」
「――え?喧嘩?」
コウキの言葉に、驚いて顔を上げた男は、
「誰ぇ!?」
「――人違いか」
全く知らない少年だった。イノさんが、がっくりと疲れた声を出す。
「――も、人違いなら、お前の好きにしろ」
「らじゃ〜」
「は!?人違い!?人違いでお前ら突っ込んで来やがったのかよ!」
ボコっていた集団の残りが、正当な文句を言ったが、コウキは気にしなかった。
怖気付いた男達を一方的にボコると、叫んだ。
「サイトー、何処いんだよ〜」
「……これで三件目だぞ。どんだけ治安が悪いんだ、ここは」
そろそろ当たりを引いてくれ、というイノさんに、あっちにいる気がする!と叫んで、コウキは駆け出して行った。
◇
結局、サイトーは、ファーストフード店のトイレに籠城しているところを発見した。
追いかけていた奴らは、いつの間にか消えたらしい。
それって、お前を諦めて、ユーゴ達のところに行ったんじゃね?というイノさんのもっともな指摘に、慌てて三人揃って勇吾の元へと駆けつけたのだった。
◇◇◇
津川がクロウニーの溜まり場に着いた時、店は静かだった。
――和也さんはもう行ってしまったのだろうか。
そう思いながら、店のドアを開ける。
予想に反して、和也は店内にいた。
誰もいない西日が差す店内。
その中に、呆然と和也は立っていた。
その足元には、倒れた梅田。
むわっと、血の匂いが漂って来て、その異常さに津川は思わずドアを閉めた。
「和也さん!」
「――お〜、津川か。遅かったな」
そうヘラリと笑う和也の微笑みは、どこか空虚なものが漂っていた。
「それ、梅田ですか」
「あぁ」
梅田は、腹をかばうように体を丸めて倒れていた。ピクリとも動かない彼の腹にはナイフが一振り、突き刺さっていた。
「――何があったんですか」
「何がって、こいつがナイフで切りかかって来て――」
◇
「お前ぇのその面、ズタズタに切り裂いてやる!」
梅田はそう叫ぶと、ナイフを振りかぶって、和也に向かって突進して来た。
ぶんっと和也めがけてナイフが振り下ろされる。
左手にはカウンターが伸びている。避けられるとしたら、右側だ。
それが読まれていたのだろう。
大ぶりな振りを躱した和也を、ナイフが下から突き上げるように追いかける。
それを上体を反らして躱すと、ガラ空きになった梅田の腹に蹴りをお見舞いした。
だが不安定な体制で繰り出された蹴りはほとんどダメージを与えられなかったらしい。
梅田は少しよろめいたものの、またナイフを構え直して、和也へと切りつけて来た。
それをテーブルの上を転がるように移動して避ける。
和也を切り損ねたナイフが、テーブルを穿つ。
――こりゃ、冷静になったら負けるな。
いつも冷静な和也が、らしくなくそんなことを思う。
多分、いろいろ考え始めたら、恐怖で動けなくなる。それよりも、目の前の梅田に集中することで、いつも通りの喧嘩だと思い込んだほうがいい。
手に持っているものは厄介だが、梅田に負けるつもりはない。
「てめぇ、ちょろちょろ逃げてんじゃねーよ!」
二人はテーブルを挟んで対峙した。じりじりと距離を測る。
「――よぉ、カズヤ。てめぇ、ユーゴが怪我した時、おんなじ場所に傷作ったんだって?お前ら、ホモかよ」
梅田は、和也に揺さぶりをかけ始めた。嘲るように、馬鹿にするように和也を見た。
「お前にはカンケーねー」
「ははぁ。マジか。――なら、てめぇの顔がズタズタになったら、ユーゴもおんなじように顔切り刻んでくれるかな」
「お前が俺とユーゴのことに口出しすんな!」
和也の大切なところに土足で入るようなセリフに、思わず怒鳴り返してしまった。
煽りが成功して嬉しいのか、梅田は「ははっ」と笑うと、和也が冷静さを取り戻さないうちに、とばかりに突進した。
和也は梅田の勢いを殺すべく、手近にあった椅子を蹴り倒した。
それがうまいこと梅田のスネに当たったらしく、勢いと気が削がれる。
梅田が足元に飛んで来た椅子に視線をやった瞬間に、和也が彼の顔を蹴り上げた。
「くわっ!」
悲鳴と鼻血を撒き散らしながら、後ろに倒れていく。が、完全に倒れる前に踏みとどまって、ナイフで威嚇した。
「てめぇぇ!」
前回の傷が治りきっていないのか、梅田は盛大に鼻血を垂らしながら叫んだ。
「ぜってぇ、その顔、刻んでやる」
「お前じゃ俺に勝てねーよ」
グラグラと煮えたぎるような目の梅田を、和也はバカにしたように見下した。
別に挑発しようと思ったわけではない。だが、和也の「いつも通り」は、敵を煽って煽って自滅に追い込むやり方だ。今回も、深く考えずにその癖が出た。
だが、今回はその癖が仇となった。
ナイフをチラつかせられても余裕の和也の態度に、梅田の理性が飛んだからだ。
「ぶっ殺す!」
そう叫ぶと、ナイフを腰だめに構えて、和也へと向かっていく。
――おいおい、マジかよ。
顔どころか、命をも狙うような攻撃に、流石の和也も焦った。
ひゅっと恐怖心が足から上へと駆け上って来るのを感じる。
あ、これ、足動かねーわ。
冷静な自分が、冷静にピンチを告げる。
だが、負ける気はない。ここで刺されでもしたら、また勇吾が泣いてしまう。だから。
うまく動かない足を叱咤して、腹を狙って突っ込んで来たナイフを、体をひねって躱すと、そのまま梅田に体当たりをした。
梅田は和也の体当たりにビクともしなかった。
だが、それは想定内だ。
和也は、まるで結婚式のケーキ入刀のように梅田に寄り添うと、ナイフに手を伸ばした。
これさえ奪えば、勝ちは確定だ。
梅田もそれがわかっているのだろう。和也に奪われないように持っている手に力を込め、和也の手を振りほどこうとブンブン振り回す。
「てめっ、離せよ!」
「はいそーですかって、離すと思ってんのか!」
和也も梅田も必死だった。
二人は立ち位置を変えながら、揉み合った。
「くっ!」
「このっ……!」
ぐるぐるとナイフを中心に二人が回る。
あまりにナイフに集中しすぎていたから、お互いがどこにいるのかさえわからなくなってしまった。
和也も、その前の記憶がはっきりしない。
だが、その時の手の感触だけは今でもしっかり残っていた。
「あ……?」
「え……?」
喧嘩の最中だというのに、お互い、ひどく間抜けな声を出すもんだ、とぼんやり思った。
気がついたら、ナイフは梅田の腹に深々と刺さっていた。
「カズヤ、て、めぇ……」
血を吐きながら、梅田が崩れ落ちる。
「……え?」
それが何を意味するのかわからなくて、和也はまた、間抜けな声をあげた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます