3.カーム 2
その日。クロウニーの溜まり場は、いつになく賑やかだった。
「そこだ、打て!」
「ダメダメ、もっと引き付けろ」
「あ、危ない!足動かせ!逃げろ!」
そんな声が、店に入る前から聞こえてきた。
何やってんだ?と不審に思いながら、ドアを開けると、喫茶店の中は机が隅に寄せられ、中央に簡易的なリングが出来上がっていた。
そして、そのリングの中には、勇吾と優。
――優!?
本当に何やってんだ、とわからなくなった和也が、手近にいたメンバーに訊ねた。
「お〜っす。これ、何事?」
「お、カズヤ。なんか、あのイケメン、強くなりたいらしいぜ。女のために」
「――はぁ???」
事の始まりは数十分前に遡る。
クロウニーの溜まり場を、彼が訪れたところから始まった。
彼は、その綺麗な顔を緊張でこわばらせながらも、クロウニーのメンバーの見ている前で堂々と、勇吾にお願いをしたのだった。
「僕に喧嘩のやり方を教えてくれ!」と。
どうやら優は、ナンパされていた麗を助けに行って、自分が持ち帰られそうになったのがトラウマになったらしい。
いや、そもそも好きな女の子一人助けられなくて、何が男だ、と。
どれだけ顔がよくても、大切な人を守れないなら、それは男として、いや人として失格だろうと、それはそれは熱く主張した。
その主張は、何事か、と聞いていたクロウニーのメンバーの心に刺さった。
彼らは感動して、こいつを強くしてやろう、と一致団結した。
なぜなら、彼らは
そして、あれよあれよと特訓が始まり、今に至っているのだ。
◇
勇吾がわかりやすいように、大きなモーションで右ストレートを繰り出す。それはいつもの半分以下のスピードだった。
勇吾が攻撃動作に移った瞬間、周りから野次、もとい指示が飛ぶ。
「ギリギリまで引きつけろ!」
「バックステップ!」
「真っ直ぐ来るぞ」
「軌道をよく見て避けるんだ」
「前へ出てカウンター!」
それぞれが思ったことを、口々に声に出す。
優は、中途半端なタイミングで右手の方へ避けた。それがかなり大ぶりの動作だったので、勇吾は途中でパンチの軌道を変えて、優を難なく追撃すると、その顔に当たる寸前でパンチを止めた。
「「「あぁ〜」」」
一斉にため息が漏れた後、周りの男たちが口々にアドバイスをする。
「今のはストレートだから、絶対もらわないように後ろへ逃げた方が……」
「いや、もっと引きつけて、ヘッドスリップを……」
「ばっか、シロートができるかよ。確実にいなすために手で捌いて……」
「それこそ無理だろ。基本の動きで逃げるんだよ」
それを静かに聞いていた優が、とうとう音を上げた。
「あのっ、アドバイスくれるのは嬉しいし、教えて欲しいって言ったのは僕なんだけど……、せめて意見を統一してくれないかな!?」
その言葉を聞いた男たちが、一斉に顔を見合わせた。そして、手っ取り早く強くなるには何がいいか口々に言いだした。
「あー、もー、待って待って!空手も柔道もボクシングもって、そんな一気にマスターできるわけじゃないじゃん!」
その情報の多さに嫌になった優が、原点へと帰る一言を呟いた。
「……そうだよ!僕、ユーゴに習いに来たんだから!ユーゴが一番得意なやつ、教えてよ!」
「俺か?」
優の正面で待機していた勇吾が、嬉しそうな顔になった。
そして、周りの者が微妙な表情になった。
だが、優はそれに気がつかず、勇吾の説明を聞き漏らすまいと集中した。
「俺は喧嘩が得意だぞ」
勇吾は、特に何かを専門的に習ったわけではない。今まで我流でやってきたから、得意な事と言われれば、喧嘩と答えるしかなかった。そして、我流ゆえ――、
「喧嘩はな、勢いだ。さっきみたいにビュってきたら、スって避けるか、グワって行くかどっちかになる」
「……うん」
「スって避けたら、相手の横にサッて移動して殴るチャンスが生まれるし、グワって行ったらそのまま腹をどかって殴れる」
「……うんうん」
「他にも、ぐるって避ける方法があって……」
「……ちょーっと待って。ちょっと待って、ユーゴ。もう少し、あの、その……日本語になんないかな!?」
「何言ってんだ。ずっと日本語喋ってるだろ?」
「ぐるっとか、ぐわっとか言われても、わかんないよ!?」
「わかるだろ!?」
勇吾は、感覚として全てを身につけていた。それを言語化すると、勇吾にはこれが精一杯だった。
勇吾は、今の説明を実戦で示すべく、近くにいた一人を呼んで対峙した。
「見ておけ。これがまず、スって避けてサッて移動するやつな」
そう言うと、相手に手加減なしの右ストレートを出すように指示した。
相手は勇吾の指示通り、手加減なしの右ストレートを出した。勇吾はそれを体を少し沈めて外側に躱し、キュキュッと移動すると、無防備な右側にパンチをお見舞い……する寸前で止めた。
「次がグワって行くやつ」
また、相手が右ストレートを出す。今度は勇吾も前に出て、相手の懐に入り込むと、そのまま
「で、最後がぐるって避ける方法」
三度目。勇吾は足の位置は動かさず、上半身だけ円を描くように動かしてパンチを躱し、そのまま無防備な相手の顎に向かって拳を突き上げ……ようとしたが、やめた。
それは、一見すると相手が勇吾にパンチをもらいに移動したように見えた。
「「「おぉ〜」」」
見ていた周りからも、感嘆の声が上がる。
それくらい綺麗なフットワークだったからだ。
「わかった。ユーゴが喧嘩が上手なのはわかったからさ。そのスッとかサッとか、それをどうやったらいいか説明してくんない!?」
「見たらわかるだろ」
「見てわかったら、ユーゴのとこ来てないよ!……どなたかっ、お客様の中でどなたか、ユーゴの言葉を翻訳できる方、いらっしゃいませんか〜?」
いよいよ困った優が、周りに助けを求めたが、誰もその声に答えようとしなかった。
「ユーゴは感覚派だからなぁ」
「あんま考えて動いてないだろ」
「それで強ぇって言うのがすげぇんだけど……」
「「「……で。ユーゴに習うか?」」」
皆が息ぴったりに優に問いかける。
「無理です……」
優が膝を折ってがっくりとうなだれた。
それを囲みながら、周りがボソボソと相談する。
「教えるのがうまいって言ったら、誰だ?」
「ハセとかじゃね?実際、喧嘩も強ぇし」
「いや、あいつも感覚派だ。ユーゴと同じことするぞ」
「じゃ、誰だ?」
「カズヤか?」
「築島か?」
「築島は、今合宿中でいねぇだろ」
「じゃ……」
自然に皆の注目が、この特訓を遠くから人ごとのように楽しんでいた和也に集まる。
「……俺?」
和也がジュースを飲むのをやめて、目を丸くした。この茶番に自分が関わる気は全くなかったからだ。
「カズヤっ!日本語喋れる!?喧嘩強くできる!?」
優が涙目で和也に訊ねた。
「や、まぁ、日本語喋れるし、喧嘩の仕方くらいは教えられるけど……」
でも、正直、今そんな暇ないんだよな、とは皆の前では言えなかった。
言ったら、また何を企んでいるんだと突っ込まれるからである。
梅田がこそこそ動いているうえに、情報蒐集の要の春樹がいない今、余計なことに時間を取られたくない。取られたくないのだが……。
「俺じゃ、ダメなのか……」
勇吾が落胆のため息を漏らす。
それに、優や周りが口々にフォローする。
「や、ユーゴが悪いんじゃなくて、僕が悪いんだよ。ユーゴの言ってることがうまくわかんなくって!」
「そうそう。ユーゴの教え方は、もっとレベルが上がってからじゃなきゃ」
「最初はカズヤに任せてだな、もちっと上手くなってからが、お前の出番だ」
「……そうか。それは残念だ」
勇吾がそれはそれは残念そうな声を出した。そして、和也に、
「俺の代わりに、優に教えてやれるか?」
「――あ〜、も〜、わかったよ。俺が教えるよ。で、スグルちゃんをユーゴと戦えるくらい強くしてやるよ!」
勇吾に頼まれたら嫌とは言えない和也が折れた。
◇◇◇
優は、優秀な生徒だった。
喧嘩慣れしてはいないものの、体には動くだけの筋肉がしっかりついていたし、何より運動神経が良かった。だから、和也がいうことをスルスルと飲み込んでいく。
和也の教え方も良かったのだろう。「日本語が喋れる」と言った通り、優にわかる言葉で体の動かし方が説明できたからだ。
「スグルちゃんは、タッパあっけど、細ぇーから、フィジカルで勝てねーと思うんだよな。だから、そのリーチ生かして、相手の攻撃範囲外から殴ったり蹴ったりしたほうがいいと思う」
という和也の分析から、主に打撃技や足技を中心に鍛えることにした。
特訓は、夕方、日が落ち始めた公園ですることになった。連日、ニュースで熱中症の危険が訴えられている日中の暑さの中、外で何かをするのは、自殺行為に他ならなかったからだ。
人っ子一人来ない寂れた公園に、和也の声はよく通った。
「はいはい、構えてる時に変に力まない〜。リラックスリラックス〜」
練習用のグローブをつけた優が、目の前に敵がいると仮定してパンチを繰り出す。その度に、横で見ている和也から、声が飛んできた。
「打つ、打つ、打つ。リズムよくいこうぜ〜」
「足を止めない、脇を締める。疲れ始めた時こそ、意識して」
暑さのせいもあるのだろうが、始めて五分と経たないうちに、全身が汗だくになる。
和也の指導は的確で、そして意外とスパルタだった。
慣れない構えに、腕が疲れて崩れて来ると、すぐに「手、上げて!」と注意される。
足が止まれば、「はい、今捕まった〜、1キル〜」と殺される。
そして、和也の指導通りに動かされて、もう限界!となったところで、
「はい、じゃ、ラスト三十秒、ミットにラッシュして」
そう言って、和也が構えたミットにひたすらジャブを打たされるのだった。
「はいはい、あと10、9、8、7、……ラスト一発、全力で!」
自棄になった優が、これで最後と全力のストレートを繰り出すと、ばぁん!とミットがいい音を立てた。
「お疲れ〜」
はぁはぁと、汗を拭く力も残っていない優に、和也がスポーツドリンクを手渡す。
「休むなら、あっちの木陰で休もうぜ。夕方っつっても、マジ暑いし」
「ん……」
受け取ったドリンクを飲みながら、二人、木陰のベンチへ移動する。
優はゴクゴクとドリンクを一気に飲むと、ぷはぁと息を吐いた。
「あ〜、生き返る〜」
「オヤジくせ〜」
「しょうがないじゃん。も、この暑さの中動くなんて、バカのすることだよ」
「自分で言ってりゃ、世話ねーな」
そう言いながら、和也もドリンクを飲む。
ほとんど動いていない和也でさえ、外にいるだけで伝わるほど汗をかくのだ。きちんと水分を取らなければ本当に倒れてしまう。
お互いに水分補給をしっかりして、手持ち無沙汰になった和也が、優に聞いた。
「なー、なんであんな女のために頑張んの?」
「あんな女って、ひどくない?仮にも僕の好きな人だよ?」
ちょっとムッとした優に、和也が謝った。確かに、他人の好きな人を「あんな」呼ばわりするのは失礼だ。たとえ、自分が大嫌いだったとしても。
優がはにかみながら、大切な思い出がそこにあるかのように空を見上げて言った。
「――あのね、ウララちゃんに初めて会った時に、『お前は顔だけだ』ってはっきり言われたんだよね」
「はぁ!?
「あ、違う、そうじゃなくて……」
慌てて否定したが、確かにその台詞だけを聞いたら、かなり高飛車な女になってしまう。でも、きっと彼女はそんなつもりで言ったのではないのだ。
これは簡単に説明するのは難しいと思った優は、麗と初めて言葉を交わした時、――初日の授業の自己紹介の時のことを説明し始めた。
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