2.バカンス 10

「ふっ」

 麗が、たまらず、と言った感じで息を漏らした。


「ふ、ふふふっ」

 お〜ほっほ、とまでは声に出さなかったが、麗は腰に手を当てて、高らかに宣言した。


臆病者チキン臆病者チキンだわ!」

 その麗の言葉に、和也が、ばっか、チゲェーってと反論する。


 二人は、ウッドデッキに続くドアのところで、こそこそと外を伺っていた。

 平たく言えば、いい感じの真琴と勇吾の様子を出歯亀していた。

 いや、和也は何も覗こうと思って覗いていたわけではない。ただ、二人の邪魔をしに行こうとする麗を引き止めていたら、結果的に覗くことになってしまったのだ。


「告白するかと思いきや、クロウニーチームに入れ、ですって?話にならないわ!」

「バカ。俺らの世界では、告白より名誉なんだよ。ユーゴ直々に勧誘されるってのは」

「伝わらない。伝わらないわ〜。そんなローカルルール。しかも、思いっきり断られてるじゃないの!」

「ぐっ!」


「まぁ、これで?きっちり振られたんだし?しつこくマコトに付きまとわないことね!」

「振られたわけじゃねーし。むしろこれからだし」

「見苦しい。しつこい男は嫌われるわよ」

 そう言うと、さ、次は私の番ね、とドアの方へと歩き出した。

「あ?お前の番?何すんだよ」

「ちょっとマコトと『To LOVEるトラブる』だけよ」

「はぁ?させるかよ!?」

 麗の言葉に、和也は咄嗟に立ちふさがった。

「ちょっと、邪魔しないでくれる?あんたのリーダーには、十分な時間をやったじゃないの。次は私の番でしょ」

「マコトちゃんがお前の毒牙にかかると知って、見過ごせるかよ」

「毒牙?失礼ね。ちゃんと合意をもらうわよ」


 そんな漫才をしながら、わちゃわちゃしている二人に、氷点下の声がかかった。

「……ちょっとウララちゃん。今から何しようとしてるって……?」

「お!スグルちゃん!いいところに来た。ちょっとこの痴女、止めてくれ」

「痴女だなんて、失礼な!私のは、純あ……」


「ウララちゃん。それ以上言ったら、僕、マコトちゃんに何するかわからないよ?」


 夏だと言うのに、優の周りから冷気が漂ってくる。その迫力に、二人は思わず手を止めていた。


「で、ウララちゃん。今から、何するって?」

 優はにっこり微笑んだが、目は笑っていなかった。顔がいい男が怒ると、こんなに迫力が出るのか。


「……あなたには、関係ないことよ」

 流石の麗も、優の雰囲気に飲まれたのか、目線をそらしながら強がった。

「あるでしょ。これだけ僕が好きって言ってるのに」

 ひゅおっと、どこかから凍てつくような風が吹き込んで来た。


 修羅場の気配を察して、和也は無になった。俺は壁、俺は壁、と自分に言い聞かせる。


 だが、空気が読めない男が一人。

「お〜い、風呂上がりに、アイス食うか?色々あるぞ〜」

 固まっている三人に、能天気に佐伯が声をかけた。


「カズヤ、お前何味にする?抹茶とか好きか?イチゴもあるぞ」

 あまりの平和さに、一気に空気が解凍される。

「……タカちゃ〜ん」

 和也が情けない声をあげた。壁になるのはやめたらしい。

「ん?どうした?何かあったのか?」

「い〜や。なんも。なんもねーけど、助かったわ」


◇◇◇


 室内が、漫才を始めた頃。


 勇吾は、出歯亀どもの気配がこちらから逸れたのを確認すると、真琴に手を伸ばした。

「……髪、触っていいか?」


 いいよ、との返事と同時に、真琴の髪を梳く。

 お風呂で洗ったのだろう。少し湿り気を帯びた髪は、夜風に冷えて気持ちが良かった。


 なぜ、真琴の髪に触れたくなったのだろう。それも、他の奴らに内緒で。

 髪を梳くくらい、誰に見られていたってどうってことないはずだ。だが、できれば、真琴との秘密にしたかった。


 そんなことを考えながら、真琴の髪に触っていると、思い詰めた表情をしていたようだ。

「どうした?また怖くなった?」

 真琴が心配そうに覗き込むが、答えずに梳き続けると、彼女は、うひひ、くすぐったいと笑った。


 その無防備さに、勇吾は魔が差した。

 雰囲気に流されたとも言う。


 梳いていた手を止め、真琴の頭を引き寄せると、キスをした。

 唇に軽く触れるだけの、キス。


 唇に真琴の唇の柔らかい感触が伝わる。

 息を吸うと、今まで嗅いだことのない濃厚な彼女の匂いがした。

 風呂上がりの石鹸と微かな汗の匂い。そして、その奥に隠れた真琴自身の匂い。


 その匂いに、これ以上はと顔を離したら、真琴がぽかんとこちらを見ていた。


 少し固まったフリーズした後、目をパチパチと瞬かせ、ぎこちなく再起動した。

「……え?何?なんで今……したの?」

 一応質問したが、脳の処理速度が追いついていないのか、呆然としている。


 だが、勇吾もはっきりした理由がわからなかった。

 ただ、今しておかないと、と思ったのだ。

 だから、正直に答えた。


「いや、わからん。なんとなく?そんな雰囲気だっただろ」


 その答えに、真琴が爆発した。

「はぁ!?『なんとなく』!?『そんな雰囲気』!?」


 ぺちん、となぜか太ももが叩かれた。真琴にとっては精一杯叩いたのだろうが、全然痛くなかった。


「なんとなくで、私のファ!ファー……!うぅ……」

 その言葉の続きは出なかった。その代わり、罵り言葉が口を飛び出す。

「ユーゴのKY!コミュ障!……バカ!」

 ベンチから飛び降り、人のいる方へと逃げ出した。そして、

「しばらく入ってくんな。そこで頭冷やせ!」

 と叫ぶと、リビングへ入って行った。


 そのおもちゃのような動きに、勇吾は思わずニヤニヤしてしまった。

 やはり彼女はおもしろい。


 ほどなく、室内から真琴の「アイスずる〜い!」と言う声が聞こえて来た。

 そして、さっきの捨て台詞などなかったかのように、「ユーゴ、アイスあるって!」と呼びに来た。


 勇吾はその言葉に苦笑すると、真琴の呼ぶ方へと歩いて行ったのだった。

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