2.バカンス 9

 山の清涼な空気が、真琴の火照った体を包み込む。

 お風呂に入った後の体に、気持ちよかった。


 肝試しが中途半端に終わった後。

 汗をかいたり、泥で汚れた一同は、順番にお風呂に入ることにした。

 メインの風呂は男子が、ゲスト用の小さな風呂に女子が分かれて入った。

 真琴は、麗の「私は後がいいわ」という言葉に甘えて、一番湯をもらい、その火照りを冷ますために、ウッドデッキで休憩していた。


 ウッドデッキには、晩御飯のBBQで使った机やら椅子やらがそのままに置かれていた。

 真琴はその中のベンチ型の椅子を森の方に向けて、一人、虫の音に耳を澄ましていた。

 と、そんな真琴に、声がかけられる。


「……情けないところを見せたな」

 そう言って、水を手渡したのは勇吾だった。

「……ありがと。意外な一面だったよね〜」

「昔から、苦手でな」

 そう言って、真琴の隣に腰を下ろす。


 そして、しばし二人で森から聞こえてくる音に包まれていた。


 風呂に入って、勇吾も落ち着いたらしい。それとも、別荘という安全地帯に戻ってきたからだろうか。

 静寂を壊さないようにそっと真琴が訊ねた。

「……ユーゴはさ。カズヤといつから?」

「保育園の時からだな」

「わ〜、じゃ、幼馴染なんだ。だから、ユーゴが怖いの苦手とかも知ってるんだね」

「あぁ。カズヤは俺のことならなんでも知ってるぞ。……俺も、そう言えたらいいんだが」

「そうじゃないの?」

「じゃない。最近カズヤは秘密が多い」

「そっか〜。……一足先に大人になったんだね」

「そうなんだろうな」


 そう言って、ぐびりとペットボトルから水を飲む。真琴にはない喉仏が水の嚥下に合わせて上下した。

 リビングからの灯りに照らされた横顔。分厚い胸板に、がっしりした腕。真琴と持っている熱の量が違うのか、空気越しでも勇吾の体温がほんのりと感じられた。


 そんな勇吾は、真琴にとって十分大人っぽく見えた。


 勇吾は不思議な男だ、と彼女は思った。

 さっきの子供みたいな面もあれば、今のように、とても大人びて見える時もある。

 だが、その二つの面、どちらも違和感なく「ユーゴ」だった。


 相反する二つの面を矛盾なく持つ勇吾。

 入学した当初は絶対友達になんかなれないと思っていたのに。

 今は、勇吾のことを知りたかった。そして、真琴は好奇心のまま、勇吾に訊ねた。


「あのさ、言いたくなかったらいいんだけど」

「何だ?」

「ユーゴとカズヤって、肩のところに同じような傷あるよね。どうしたの?」

 真琴が指摘したのは、今日の川遊びの時に気がついた勇吾と和也の肩の傷だ。

 二人とも左の肩のところに、ナイフで切られたような傷があった。

 近くで見ないとわからないそれは、古い傷のように思えた。

「――あぁ。これか」

 勇吾が、傷のあるところを服越しに撫でる。その手つきは、何か愛おしいものを撫でているようだった。


「――マコト、『血の掟』って、知ってるか」

「……いや。知らない」

「マフィアの誓約の方法なんだが、お互いの血をまじわらせることで、一族に加わったとする儀式だ」

「……はぁ」

 傷のことを聞いたのに、いきなりマフィアに話が飛んで、真琴はどう返事をしていいかわからなかった。だが、それは関係のない話ではなかった。


「中学の時、俺がヘマをして、肩を切られたんだ。それで、ショックを受けてたら、カズヤあいつ、どうしたと思う?」


 そこで、勇吾はその時のことを思い出したのか、楽しそうに笑った。

「いきなり、自分の肩を切って、流れ出た血を、俺の傷にかけたんだ」

「……え、何で?」

「『血の掟』」

「『血の掟』!?そこに繋がるの!?」

「そう。その時、漫画かなんかで知ってたんだろうな。それで、びっくりしている俺に言うんだ。お前は、切られたんじゃない。俺がお前と『血の掟』を結ぶために切ったんだって。それで、血を交わした俺たちは、今から義兄弟だって」

 何と言うか……。かなり無理のある詭弁にしか聞こえないが、和也らしいと言えば和也らしい。勇吾が関わると、無茶をするところが。


「だから、これは俺と和也の絆の証なんだ」

 そう言う勇吾は、誇らしげだった。


 勇吾も和也も交友関係が広いが、その誰もが知っていた。勇吾は和也の、和也は勇吾の「特別」だった。

 ただの「友達」の枠ではくくれない、信頼関係のようなものがそこにはあった。


 そのルーツがか、と真琴は納得すると同時に、羨ましく思った。


 さっき、勇吾は「和也に秘密が多い」と言ったが、そこに寂しさはあれど、疑いはなかった。和也は自分を裏切らない、と全幅の信頼を置いているのだろう。

 和也だってそうだ。誰に聞いても、和也の行動原理は「勇吾のため」であると答えるだろう。


 そこまで、自分以外の者を信用し、信頼し、尊重している。

 それができる相手に巡り会えたこと。

 相手にも同じような感情を返してもらえていること。

 そして、その現状に満足せず、相手に恥ずかしくない自分でいるために、常に上を目指してしていること。


 そのどれもが、尊く、愛しいことだった。


 きゅっと、真琴の胸が切なさでいっぱいになる。


 ――私も男だったら。

 そうしたら、カズヤみたいにユーゴを支えられるのに。

 ハセくんのように、ユーゴに背中を預けてもらえるのに。

 有沢くんのように、築島くんのように、クロウニーのメンバーのように――……。


 そんな真琴の心情を見透かしたように、勇吾が口を開いた。

「……なぁ、マコト。お前、クロウニーに入るか」

「……へ?なんで?」

 心を読まれたかのようなタイミングの質問に、真琴は思わず素っ頓狂な声を上げた。


「俺たちと一緒にいることが増えただろ。入ってた方が、何かと都合がいいと思ってな」

「……だって、私、喧嘩できないよ?」

「できなくて構わない。というか、今いる奴らの中に、喧嘩できないやつもいる」

「あ、そうなんだ。……う〜〜〜ん」


 勇吾の一言に、真琴は何でもないように返事をしたが、内心バクバクだった。

 先ほどまで、「男だったら」、「クロウニーのメンバーだったら」と考えていた。

 だが、それはあくまで仮定だ。勇吾に聞かれたことで、はっきり気づいた。


 私は男じゃないし、男になりたいわけでもないのだ、と。


 気がついた今でも、和也みたいになれたら、と思う。、私では和也にはなれないと言うこともわかった。


 真琴は考えをまとめ、勇吾の方に向き直ると、その目を見て話し始めた。

 自分がなりたいもの。それは――、


「ユーゴ。誘ってくれて、すごくうれしい」

「そうか」

「でも、私は、クロウニーには入らないよ」

「……そうか」

 半ばその答えは予想されていたのだろう。勇吾は少しの落胆を見せたが、真琴の言葉をすんなり受け入れた。


「あのね、私、ユーゴと友達になりたいんだ。普通の友達に。……ユーゴは、クロウニーのメンバー以外は友達じゃないと思う?」

「そんなことはない」

「よかった。……クロウニーのメンバーになっちゃうと、それは友達じゃなくて、仲間になっちゃうでしょ?」

「そうだな」

「それはそれで悪くないんだけど……」


 そこで真琴は、少し言い淀んだ。こんなこと、言ってしまって笑われないだろうか。

 勇吾は、そんな真琴に、大丈夫だ、言ってみろと続きを促した。


「ホント、深い意味はないし、なんとなくなんだけど……、皆と同じ……は、ちょっとヤ、かな、と思って……」


 そう言って、不安さから、私、変なこと言ってる?と確認した。

「変じゃない。……お前がそう望むなら、このままでいよう」

 勇吾の言葉に、ほっと胸をなでおろす。

「よかった。じゃ、私はクロウニーじゃない、普通の友達。どう?」

「あぁ。……そうか。そういう奴は珍しいな。中学からのダチは、大体クロウニーのメンバーになったから」

 伺うような真琴の声に、勇吾は今気がついた、と言うように返した。それに勇気付けられて、真琴は言葉を重ねた。

「でしょ?勇吾の友達、皆が皆、クロウニーってのも、変でしょ?」


「そうだな。じゃ、お前は俺の貴重な『普通』の友達、な。……これからもよろしく?」

「こちらこそ」


 ニヤリといたずらっぽく笑って、ペットボトルを差し出す勇吾に、真琴も同じ表情を返して水で乾杯する。

 これから、楽しい悪事ことを一緒にする共犯者のような微笑みを、二人、交わし、水を飲んだ。


 それは、まるで「盃を交わ」しているかのように見えた。

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