2.バカンス 8

 また少し時間は遡る。


 真琴と優は、それぞれのスマホ片手に、森の中へと入って行った。


 森の中は、思った以上に静かで、そして賑やかだった。

 静かなのは、人の気配が全くないことだ。それは、都会で生まれ育った真琴達には新鮮だった。

 そして、賑やかなのは、人以外のものが作り出す音で満たされていたことだった。

 低く、同じ調子で繰り返される鳥の声、バラエティ豊かな虫の音、時折、木立を揺らすのは、タヌキか何かの小動物だろうか。

 都会の夜道とはまた違った雰囲気に、真琴は嫌が応にも緊張してしまう。

 もちろん、幽霊やお化けがいるわけない、と知っている。知っているのだが、この雰囲気だと、何が出てきてもおかしくないと思ってしまうのだ。


 夜の森にビクビクしながら歩く真琴とは対照的に、優は上機嫌だった。

「いや〜。結構雰囲気あるよね?これだったら、なんか出てくるかな〜」

 と、まるで何かが出てきてほしいかのような口調で、真琴に語りかける。

「いや、出てきたら大変でしょ」

「なんで?」

「なんでって、川に連れて行かれるんでしょ?」

「そこはほら……、なんとかなるよ」

「『なんとか』の仕方、知ってるの?」

「知らない」

「じゃ、ダメじゃん!」

 そんなことを話しながら、懐中電灯の光を頼りに歩いていると、急に脇の木立からガサガサッと、音がした。

「きゃ!」

 思わず、真琴が小さな悲鳴をあげて、優に手を伸ばす。優も、真琴の悲鳴にびっくりしたのか、身構えた。


 木立から出てきたのはタヌキだった。

 二人が持つ灯りに惹かれてやってきたらしい。

 だが、人の存在を認めると、そそくさと逃げて行った。


「……あれ、猫?タヌキ?」

「……さぁ。僕、動物詳しくない」

 身構えたまま、二人がボソボソと話す。

 優も、ちょっと怖かったらしい。


「……タヌキであれだったら、ユーゴとか佐伯が驚かしにかかってきたら、大きい悲鳴あげちゃうんじゃない?」

 タヌキが去って、少し安心したのか、優がからかうようなことを言う。それに真琴も少し強気に返す。

「水瀬くんだって、そうでしょ。さっき、ビビってたじゃん」

「はぁ?ビビってないし」

「本当に〜?」

 そんなことを話しながら、歩みを再開しようとした時だった。


『きゃぁぁぁぁ!』

「!?」


 夜の静寂を切り裂いて、二人の耳に悲鳴が届いた。


◇◇◇


 その悲鳴は、真琴達の進む道の先の方から聞こえた。


 麗がいるのは、後方だ。なら、誰の悲鳴だ?


 二人は一瞬顔を見合わせたが、その切羽詰まった悲鳴に促されるように先へと駆け出した。


 スマホの懐中電灯機能という、頼りない光では、なかなか全力で走れない。それでも、できるだけ急いで悲鳴のしたところへ向かっていると、『ぐえぇえ!』と、カエルが潰されるような悲鳴が聞こえてきた。


「……あれ、佐伯の声じゃない?」

「うん。確かにかった」

 そう言葉を交わして、現場へと急ぐ。


 まさか、本当に生贄の少女の霊が出てきたとでも言うのか?


 二人が焦りながら先へと進むと、道の先にポツンとスマホが落ちているのが見えた。

 道標みちしるべのように、ぼうっと光っている。


 その光の輪の外に、人の気配がした。


「ユーゴ!」

「佐伯!」

 二人が人の気配のするところに、灯りを向けると、果たしてそこに、勇吾と佐伯がいた。


 そして、勇吾はなぜか佐伯を鯖折りにしていた。


◇◇◇


 和也は、絹を切り裂くような悲鳴を聞いた瞬間、駆け出していた。

 そして、間をおかずにカエルが潰されるような悲鳴が聞こえ、悲鳴の主に対して黙祷する。


 一人目の犠牲者か……。


 和也は、結構な速度で走っていたのに、真琴達の姿が見えなかった。

 そこから、二人も悲鳴の上がったところに向かったのだと推測された。


 くそっ。間に合ってくれ……!


 そう思いながら進んで行くと、前方に灯りが見え、人の気配がした。

 間に合ったか、と思った瞬間、真琴と優の声が耳に飛び込んできた。


「ユーゴ!」

「佐伯!」

「っ!ダメだ、マコトちゃん!行くな!」


 だが、その和也の制止は間に合わなかった。

 夜の山に、再びカエルの潰されるような悲鳴が響き渡った。



「で?何がどうなってるのよ」

 麗が特に急ぐでもなく現場に着いた時、そこは混乱していた。


 佐伯は地面に倒れて、背中を押さえているし、真琴は勇吾に後ろから抱きかかえられ、ぐったりしていた。そして、それを遠巻きに見守る優と、諦めた表情の和也。

 勇吾は真琴を抱きしめたまま、「出たっ、出たっ」と繰り返していた。


「はぁ〜。やっぱり、怖いの苦手なの、治ってなかったんだな」

 和也が諦めたようにため息をついた。

「ユーゴって、怖いの苦手なの?」

 和也の隣で、優が驚いた声を出す。そこには、あの図体で?という非難が含まれていた。

「ユーゴはな、物理攻撃にスペック全振りしてるだろ?だから、それが通じなさそうな幽霊とか、お化けとか、そういうのが嫌いなんだよ」

「……どういう理屈???」

「もう、その辺は理屈じゃねーって。で、怖いテレビとか見るときは、いっつもクマのぬいぐるみくまごろう抱いてたからさ。怖い時、その辺のものに抱きつく癖があるんだ」

「あの図体で?『くまごろう』??抱きつく???」

 そして、ちらりと犠牲者達を見る。

「うわ〜。迷惑ー」

 優が、ズバッと切り捨てた。

 それに反論できない和也は、勇吾を宥めにかかる。

「ユーゴ。もうみんな来たから。怖いのどっか行ったぞ」

「……ホントか?」

「ホント、ホント」

 その言葉に、勇吾の警戒が解かれた。だが、まだ真琴を手放そうとしなかった。


「タカちゃ〜ん。何があったのよ」

 和也は、勇吾の警戒が解かれたのを確認すると、佐伯へと近づいて行った。

「いや。俺も何が何だか……」

 佐伯は、腰をかばいながら、のろのろと立ち上がった。

「急に茂みから、何かが飛び出して来てな。悲鳴が聞こえたと思ったら、締められていた」

「そりゃ、ご愁〜傷〜様」


 そんな二人の横を、麗がスルーする。そして、勇吾に抱えられている真琴の頬を軽く叩いた。

「マコト、マコト。大丈夫?」

「はっ、ウララちゃん……?」

「あぁ、よかった。気がついたのね?」

「私、どうして……」

「あなた、クマみたいなのに締められて、少し意識が飛んでいたのよ」

 そう言われて、真琴は自分のウエストに勇吾の手が巻きついているのを自覚したようだ。

「おわっ、ユーゴ!?どうしたの?手、放して」

「無理だ。怖い」


「怖いぃ?」


 真琴は麗に説明されて、そーか、そーかと笑った。

「なんだ。ユーゴにも怖いのがあったんだね」

「こんなでかい図体してね」

 と、麗が言わなくてもいいことを付け足す。

「……でも、大丈夫だよ。もう、皆いるし。だから、手……」

「マコト。家に帰るまで、このままじゃ、ダメか?俺を見捨てるのか?」

「ゔっ……!!」

 自分より強い勇吾おとこが、自分を頼っている。それは真琴の母性本能をくすぐった。

 しょうがねーなー、と言いながらも、顔は嬉しそうだった。


 もう、こうなっては、肝試しという雰囲気でもなくなった。

 と言うか、勇吾が肝試しどころではなくなった。

 それで、しかたなく一同は祠にお参りすると、別荘へと戻って行った。

 その間、真琴はずっと勇吾にだっこされて運ばれていた。


 自分で歩かなくていいから楽ちん〜、と余裕だったのは、少しの間だけだった。

 ――なぜなら。


「あ!あそこに……!」

びくっ!

「ぐえぇぇ!」

「……杉の木が」

ほー(安心のため息)


「あ!こっちに……!」

びくっ!

「ぎえぇぇ!」

「……木の枝が」

はー(放心の吐息)


 麗はなんでもないことを見つけては、急に大きい声を出し、それに驚いた勇吾が真琴を締め上げ、真琴は悲鳴をあげていた。


「ウ、ウララちゃん……。ユーゴで遊ぶの、やめて」

「……ごめんなさい。つい、楽しくて。――あ!そっちに!」

びくっ!

「ギブギブギブ!!!だれか、タオル!タオル!」


 何度目かわからない鯖折りに、真琴はギブアップタオルを要求したが、誰も真琴の身代わりにはなってくれなかった。


 それはそうである。こんなデカイ男に抱きつかれて喜ぶ趣味は、誰にもないからだ。

 真琴はそれに思い至らず、ただ「薄情者〜!」と泣くのであった。

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