2.バカンス 4
「行こ、行こ〜」
優の肩を抱いて、強引に連れ去ろうとしている男は、もう、いいところへ行った後の展開で頭の中がいっぱいだった。
多少強引でも、連れ込んでしまえばこっちのものだ。
男を相手にしたことはないが、先輩からやり方を聞いて知っている。それを試してみるのも一興だろう。
そんな妄想だらけの男の肩がガシッと掴まれる。
首だけで振り返った男の後ろには、でかくて黒いのがぬぼっと立っていた。
「――俺のツレに何か用か」
「あぁん?」
「ユーゴ!」
当社比、三割り増しにガラの悪い勇吾である。
先程、麗に「人攫い」と評された勇吾である。
だが、その姿を見て、真琴は安堵した。麗の表情は変わらなかったが、優は顔を輝かせた。
男は、ナンパの邪魔をする奴を、いつも通り威嚇して蹴散らしてやろうと、ドスの効いた声を出して振り返ろうとした。
しかし、彼は振り返れなかった。後ろから伸びてきた手に、がっちり肩が固定され、ビクともしなかったからだ。
「てめっ、放せよ、ごらぁ!」
精一杯強がるが、その声は焦りでいっぱいだった。
「もう一度聞く。俺の、ツレに、何か用か?」
「あで、痛てててて!」
勇吾の声の一フレーズごとに、肩にかかる力が強くなり、その痛さに、ナンパ男は思わず悲鳴をあげた。男の肩の骨も、ミシミシと悲鳴をあげる。
もう一人が、てめぇ!といきり立ったが、勇吾に一睨みされて、それ以上動けなかった。
彼の本能が、この男には逆らうな、と告げている。
「や……、やだな〜、お兄さん。この子たち、お兄さんの友達だったんだ〜。ごめん、ごめん、知らなくて。……おい、行こうぜ」
残る一人がさっさと白旗を上げ、他の者を引っ張るようにして、逃げて行く。
女の子は、まだまだたくさんいる。こんな上玉を逃すのは惜しいが、危ない橋を渡ることもない。そう判断したのだろう。
勇吾は逃げていく彼らを油断なく見送った。
◇◇◇
男達が視界から完全に消えるまで、勇吾は警戒を解かなかった。
その喧嘩慣れした様子に、麗は、「さすが、係りの者ね」と感心した。
そうやって、
麗は、自分が震えているという自覚すらないほど、男達に怯えていた。
連れ去られそうになった優も、精神的にかなりダメージを受けたらしい。
わかりやすく落ち込みながら、
「何あれ。話通じなかったんですけど」
と言い、ベンチに無理やり座った。
「怖かったよね」
真琴が二人を安心させるように言う。
それを聞いた麗は、真琴の意識が自分だけに向いていないのを感じて、不満に思ってしまった。
「ちょっと、水瀬君。真琴にくっつかないでくれる?」
「じゃ、ウララちゃんの方に行ってもいい?」
「死んでもお断り」
結局、三人は、二人座れるくらいの幅の植え込みのブロックに、無理やり詰めて座った。誰からも狭いという文句が出なかったのは、この知り合いの体温が愛しかったからだろう。
優も麗もなんでもないような声を出していたが、この炎天下だと言うのに、恐怖で汗が引っ込んでいた。
麗は、自分の指を握りこんで、温めようとしたが、ちっとも温まりそうになかった。
その拳を、そっと真琴の手が包む。
「ウララちゃん、ごめんね。怖かったよね」
「――まさか。あれくらい平気よ」
麗は思わず強がってしまった。
だが、真琴には、麗の強がりが見透かされているのだろう。
麗の握りこんだ拳を解くと、指を絡ませるように握ってきた。いわゆる恋人繋ぎである。
「ちょっと。何よ、この手」
麗はわかりきっているのに、抗議の声を上げた。
かわいくない自覚はある。だが、それが悪いことだとは思っていないので、改善する気もない。
しかし、真琴は、
「怖かったからさ。ちょっとだけ、手、握っててもいい?」
と、まるで自分が怖かったかのように言った。
でも、麗は気がついている。真琴は男達をちっとも怖がっていなかった。
彼女は、私を守ろうと必死だったから、そんなこと、考えてもいないはずだ。
怖がっていたのは、自分だ。
何もできなかったのは、自分だけだ。
真琴は麗に負担をかけないようにそう言ったのだろう。
繋がれた所から、真琴の
――
中学時代の「御学友」は、よく躾けられていたので、用もないのに人に触れることはなかった。だから、高校で女同士がベタベタ触れ合っているのを見て、何をしているのかと不思議だった。
――
そう思っていたのに、つながれた手から流れてくる体温は、悪いものではなかった。
むしろ、恐怖で凝り固まっていた麗の心を溶かしてくる。
じわじわと温まっていく手に、今度は逆に手汗をかかないかと心配になってしまうほどだ。
麗の反対側では、優が真琴の肩に顔を埋めていた。
「は〜。まさか、僕がこんな目に遭うとは……」
だいぶ落ち込んでいるようだ。
真琴が、
「いや、助かったよ。ちゃんとかっこよかった」
とフォローしたが、
「……最初はね」
「そう。最初は」
フォローしきれなかった。
「あぁ〜」と、さらに落ち込む優。
「や、ユーゴ、助かったわ。私、何も考えないで走ってきたからさ」
ワザとらしいほどの明るい声で、真琴が勇吾にお礼を言った。
勇吾は勇吾で、お前、そういうところあるよな。もうちょっとよく考えろ、と真琴に説教をする。
それにあまり反省していない様子の真琴がごめんね、と素直に謝った。
そのいつも通りのやりとりに、本当に脅威は去ったのだと安心する。
「へ〜い。ジェラートお待ち〜」
そこに、真琴に輪をかけて能天気な和也の声が届く。
麗を助けるために、何もしなかった者達だ。
いや、自分が何もしなくても、大丈夫だとわかっていた者達だ。
彼らは、両手にジェラートを持っていた。
それが自分の役目だったから。
それぞれが何の打ち合わせもなく、自分の役目を全うして、日常へと戻っていく。
そんなことは麗にとって初めてのことだった。
絡められた指と指。そこから伝わって来る真琴の体温。
麗はそっと呟いた。
「――真琴、ありがとう」
ありがとう。私のところへ駆けつけてくれて。
ありがとう。私を守ってくれて。
ありがとう。手を、繋いでくれて。
言いたいことは色々あった。言わなければならないことも、色々あった。
でも、結局、麗の口から出たのは、その一言だった。
その一言しか出せなかった。
だが、真琴はその一言で十分と言うように、にっこり笑った。
「ね、ウララちゃん、やっぱりジェラート半分こしない?冷たいもの食べると、すっとするよ」
真琴から分けてもらったジェラートは、彼女のように優しい甘さだった。
真琴がこれを食べることができてよかった、と運んできた和也達に心の中で感謝した。
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