1.ドッキング 5

 真琴が和也と電話している時、勇吾は一人、路地裏を歩いていた。

 その進む先に、都合よく目的の人物が一服しているのを見つけて、頭を下げる。


 彼も、勇吾に気がついたらしく、タバコをもみ消すと立ち上がった。

「あー……、市ヶ谷、だっけ」

 そう確認してくるので、ユーゴでいいです、と返す。


 勇吾の目的の人物は、真琴の親戚とか言っていた「秋兄ぃ」だった。

 彼は、こんな時間にこんな所に現れた勇吾に、警戒した目で、何の用だと聞いてきた。

 勇吾はそれに答えず、番号の書かれた紙片を差し出した。

「電話番号?」

「俺の番号です」

 年上なので、一応、丁寧に話す。


「――何で俺に?」

 彼は片眉を上げて、わかりきったことを確認してくる。だが、確認は大切だ。


「昼間のサラリーマン」

 それだけで、誰のことを言っているかわかったのだろう。「秋兄ぃ」の顔が、苦々しく歪む。

 ということは、彼も真琴がサラリーマンにセクハラされていることに気がついているということだ。


 昼間。勇吾と和也が「梅小町」を訪れたのは、ただ真琴に会いに来たからではなかった。

 長谷川の報告にあった「悪い虫」を確認しに来たのだった。


 確認した結果、排除対象アウトと言う結論に至った。


「……部外者にしかできない助け方があると思って」

 そう思って、一応、筋を通すために、ここを訪れたのだった。



「過保護じゃねぇ?はお前らの仲間ってわけじゃないだろう?」

 「秋兄ぃ」こと、秋人あきとはわざと親しげに真琴の名前を呼んだ。ちょっとした意趣返しだったが、目の前の男には、効果がなかったようだ。


 ちっ、ガキのくせに場慣れしてやがる、と秋人は内心毒づいた。


 秋人だって、真琴がセクハラされているのを、よくは思っていない。

 真琴は、親戚といえど、秋人とは兄妹同然に育った妹のような存在だ。

 そんな真琴が、変な男に目をつけられて、平気なわけがなかった。

 だが、伊藤は巧妙で、何か決定的なことをするわけではなかった。ただ馴れ馴れしいだけなので、秋人達も手をこまねいているしかないのだ。


 できれば出禁にしたかったが、真琴はそこまでしなくていいと笑う。私は気にしていないから、と。

 それが強がりであることはわかっていたが、真琴が一旦言い始めた強がりを引っ込めるはずがない。変なところで強情な子であることを知っているので、余計に手出しできないのだ。


 そんな俺たちの心配も知らず、部外者がズケズケと……!


「仲間じゃないけど、あいつは俺のことを『友達』だと言った。『友達』が困っていたら、助けるのは、当たり前だろ?」

 何を当然のことを、と勇吾は言う。


「『友達』?『』ねぇ」

 秋人がわざと言外に含みを持たせて、神経を逆撫でするように言ったが、これも勇吾には通じなかったようだ。


「はっ。『友達』を助けるなら、今日、ぶっ飛ばしときゃ、話は終わってたじゃん」


 なんでそうしなかった?と秋人が問うと、そこでようやく勇吾の顔に困ったような表情が生まれた。

「あいつの前でぶっ飛ばすと、あいつは怒るだろう?」

「あー……、だろうな」

 確かに、真琴はそう言う負けん気の強いところがあった。

 子供の頃から、秋人の真似をして分不相応なことに手を出したがった。それでできないと、目に涙をいっぱい浮かべて、できるまで何度もチャレンジするのだった。


 秋人が同意すると、確信を得た勇吾がやはり、と言う顔をして続けた。

「マコトはあの男に負ける気は無い。でも、俺はマコトがあの男に勝てるとは思えない」

 確かに、勇吾の言う通り、真琴は伊藤に対して萎縮いしゅくしたり、逃げたりせず、うまくあしらっている。


 だが。勇吾は言う。

 今はうまく逃げていても、伊藤が本気になったら?

 その時、真琴は逃げられるのだろうか。捕まった時、抵抗できるのか?

 いや、それよりも先に、彼女の心がストレスで壊れてしまわないだろうか。


「マコトは俺を友達たいとうだと言うが、俺はやっぱりマコトを守りたい」


 そう言う勇吾の目には、真琴を本気で心配する色があった。


「今、俺が出て行ったら、マコトは怒る。本当にヤバくならないと、あいつは俺に助けを求めないだろう」


 でも、きっとそれでは遅いんだと、勇吾は主張する。だから。


「あんたが、しっかり見ててくれ。それで、もし、助けが必要なら、いつでも呼んでくれ。


 きっぱり言い切った勇吾は、なるほど、確かに、チームのトップに君臨するにふさわしい頼もしさがあった。

 初対面の秋人にさえ、こいつに任せれば大丈夫だ、と思わせるものがあった。


 しかし――、


「……こいつは、お前の思いに免じて、もらっといてやる。だがな、俺がいるから、マコは大丈夫だ」

 秋人にもプライドはあった。


 秋人にとっては、勇吾も伊藤も、かわいいマコに近づく悪い虫と言う点ではそう変わらない。

 悪い虫に、大手を振って真琴の周りをうろちょろする口実を与える気は無かった。


 そう言って、勇吾の介入を拒むと、勇吾は「マコトを頼みます」と言って、あっさり身を引いた。その、わきまえている感じが、さらに秋人をイラつかせる。



 かかって来た電話に出ながら、遠ざかっていく勇吾の後ろ姿に向かって、二度と来るなとばかりに秋人は塩を撒く。

 その時、彼は感情に任せて、少々塩を撒きすぎてしまったようだ。

 その夜、「梅小町」で出された料理は、少し味が足りなかった。


◇◇◇


 真琴が勇吾に電話をかけている時。


 長谷川は、一人、春樹の元を訪れていた。

 勝手知ったる他人の家で、二階へと上がり、春樹の部屋のドアをノックすると、返事も聞かずに扉を開けた。


「ハ〜ルキ」

「……なんか用?」

 春樹が、画面から目も離さずに、不機嫌な声で応じる。


 だが、返事が返って来ただけマシだった。本当に怒っていたら、返事すら返ってこない。


 春樹の目の前には、薄く発光する5つのディスプレイが置かれていた。

 そして、それらに繋がったマシンや、何かの部品。

 そんな物で春樹の部屋は溢れていた。


 春樹が見ているそれぞれのディスプレイには、全く違う画面が展開されている。

 一度、人間の目は二つなんだから、そんなにいらないだろうと言ったら、視野っていう概念知ってる?と可哀想な者を見る目をされたことがある。


 その左下の画面は、春樹の家の近くのコンビニの防犯カメラの映像だった。

 長谷川が春樹の家に来ようと思ったら、必ず通るコンビニだ。

 春樹は長谷川がいつ家に来るか知るために、、それが自分の家でも見られるようにしているのだった。

 だから、今、長谷川が来ることも知っていたはずだ。


「なんか用って、遊びに来たんだよ」

「ナンパした女の子と遊べばいいじゃん」

「ナンパしてない」

「ナンパされてたでしょ。


 どうしてそこまで知っているんだというようなことを、春樹はサラッという。

 だが、長谷川はそんな春樹の言葉に動じることなく、扉を閉めて、春樹の後ろへと回り込んだ。


んなら、わかるだろ。俺がしたわけじゃねーって」


 長谷川が後ろから春樹を抱きしめるように腕を伸ばした。長谷川の日焼けをした肌と対照的に、春樹は真っ白な肌をしていた。その白さはことが伺える白さだった。

 だが、長谷川は、春樹が自分がナンパされたところを見ているという確信があった。この左下のディスプレイは、角のコンビニ以外の防犯カメラの映像も映せるという確信だ。


「断らなかった」

「カズヤがな」


 そう言って、春樹の部屋着の裾から、するりと手を差し入れた。

 腹から胸へと撫で上げていくと、春樹が敏感に反応した。


「んっ。……どこで、こんな誤魔化し方、覚えて来るの?」

「……あいにく、こういうことばかり教えてくれるオトコがいるんで」

「それ、誰のこと?」

「本人は自覚がないらしい」

 もう、と言ううるさい唇をキスで塞いだ。

 んっ、んっとくぐもった声と、くちゅ、くちゅという湿り気を帯びた音が部屋に響いた。


 散々、お互いの唇を貪った後、春樹がそう言えば、と思い出したように言った。

「カズヤで思い出したんだけど、なんか、梅田の動きが怪しいみたいだよ?」

「……お前な。このタイミングで、別の男の名前出すか?」

「だって、先に名前を出したのはじゃん」


 「ダイチ」と呼ばれて、長谷川は春樹のスイッチが入ったのがわかった。

 それにつられて、長谷川の下半身も疼く。

 長谷川は、無意識のうちにペロリと唇を湿らせた。


 無駄に座り心地のいい椅子をくるりと回すと、春樹に覆いかぶさるようにまたキスをした。


「……おやは?」

「テレビ見てた。そのうち寝落ちするんじゃね?」

「準備は?」

「してきた」


 春樹の端的な問いに、待ちきれなさを滲ませて長谷川が答える。


「ふっ。ホントにダイチは悪いオトコに捕まったね」

「お前が言うなら世話はねぇな」

 そう言いながら、長谷川は春樹をベッドへといざなったのだった。

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