1.ドッキング 2
「ふっざけるんじゃないわよ、あの男〜〜〜〜!」
誰もいない自室で、麗は一人吠えていた。
お気に入りのクッションがへたるのも構わず、ボスボス叩く。
それでも溜飲が下がらず、思いっきり壁に叩きつけたが、クッションはボスッと軽い音を立てて落ちていくだけだった。
麗がキレているのには訳がある。
話は数時間前に遡る。
◇◇◇
「きちんとした格好で応接間に来るように」と父に言われた麗が着替えていると、どこからか視線を感じて振り返った。
そこは自室で、麗以外、誰もいない。
はずなのに、視線を感じて、ノイローゼかしら、と自嘲の笑みを漏らす。
呼ばれて行った応接室には、父、雅比古だけでなく、なんと佐伯の姿もあった。
会いたくない人物に会ったとしても、麗はそれを顔に出すほど子供ではない。にっこり笑って、挨拶をした。
「あら、貴文さん。終業式以来ですね。次、お会いするのは始業式かと思っていましたわ」
「ええ。お宅まで押しかけるのは、ご迷惑かと思ったんですが……」
さらっと挟まれた嫌味を正面から受け止め、そう返す佐伯に、そうそう、迷惑だからさっさと帰れと内心毒づく。
だが、父は私が無理に誘ったんだから、と佐伯のフォローに入った。
佐伯は、麗が公立高校に通う際の「条件」の一人だった。
いつか佐伯自身が言った「婚約者候補」。
それを麗自身が認め、良好な関係を作ると言うのが、父親の出した条件だった。
佐伯の家でも、麗はキープしておきたいカードの一つなのだろう。彼も、自分がどう見られているかわかっているはずなのに、こうやって頻繁に麗の元を訪ねて来る。
「貴文君は、麗と同じクラスなんだよね。麗は学校ではどう?」
と、雅比古が麗の学校生活に探りを入れて来る。それに、佐伯は無難な答えを返した。
――まぁ、女生徒の中で孤立しています、なんて、本人やその家族を前にして言えるわけがない。しかも、その原因の一旦を自分が担っているのだから。
佐伯は、学校で自分が大企業の御曹司だと言うことを隠していない。そして、
最初は、麗から佐伯に取り入ろうとした者もいたが、麗自身が一筋縄でいかないのを感じて、だんだん敬遠されるようになってしまったのだ。
学校の話は得策ではないと思ったのだろう。佐伯が、話題を変えた。
「夏休みは御家族でどちらかにいらっしゃるんですか」
「毎年、家族で避暑地に行っているのだけれど……」
今年の予定はどうなっているのか、と伺うように父親を見た。
「あぁ。夏休み後半に時間を取ってある」
「あぁ、そうなんですね。いいですよね。家族旅行。僕も毎年行っていたんですが、今年は家族の都合が合わなくて……」
佐伯が、年相応にがっかりした表情をする。
「あら、それは残念だったわね」
麗も何も鬼ではない。優しい言葉をかける時だってある。だが、続いた佐伯の言葉を聞いて、優しい言葉なんてかけなければよかった、と後悔した。
「ええ。それで友人と旅行を計画しているんですが……」
「友人」の言葉に、パッと優の顔が浮かんだ。
いや、まさか。そんなこと……。
「……二階堂さんさえよろしければ、麗さんをその旅行にお誘いしてもいいでしょうか」
……あぁ、やっぱりか。わざわざ佐伯が来るなんて、おかしいと思ったのだ。
お互い、「
どうせ、優におねだりされて、二つ返事でやって来たに違いない。
麗は馬鹿なことを言わないで、さっさと撤回しなさいと、思いっきり睨んでやったが、佐伯はどこ吹く風だった。
さすがの父も、「麗を?」と戸惑っている。
だが、佐伯は落ち着いたもので、
「えぇ。別荘は広いですし、僕と友人だけと言うのはいささか寂しいものがありまして。麗さんだけでなく、ぜひ、麗さんの御学友も誘って一緒にどうか、と思いまして」
佐伯の誘い方は巧妙だった。麗一人なら考えるまでもなく却下だった招待を、麗が選んだ友人を招待することで安心感を与え、招待を受けやすくしている。
佐伯は、すでに麗ではなく、麗の父に、別荘はどんな建物で部屋がどうなっているかなどを説明し始めている。
話を聞いた父は、これなら大丈夫、と思ったのだろう。
「そう言うことなら、麗。誰か誘って行って来るといい」
そう鷹揚に許可を出した。
「いえ、でも……。私の友達の予定が合わないかもしれないし……」
絶対行きたくない、という思いをオブラートに包んだら、そう言うのが精一杯だった。
そこに、雅比古が助け舟を出した。
「そうですよ。麗はまだ高校生なんだから、保護者のいない旅行は早すぎます」
いつもは嫌なだけの兄も、この時ばかりはいい働きをした。
麗は内心、言ってやって!と兄を応援する。
だが、佐伯はそう反論されることは予想済みだったのだろう。慌てることなく、穏やかに言葉を紡いだ。
「あぁ。別荘には管理人夫婦がおりますし、完全に保護者がいないわけではありませんよ。それに、もし、麗さんのご友人の都合がつかないようでしたら、この話はなかったことにしていただいて構いません」
その余裕の態度に、麗はカチンと来たが、父はそうではなかったらしい。
「せっかくのご招待だ。行って来なさい」
――二階堂家では、父の決定は絶対だ。雅比古も反論しかけた言葉を飲み込んだ。
だが、一瞬、憎々しげに佐伯を睨むことは我慢できなかったようだ。
父は、ただし、と佐伯に釘を刺すことも忘れなかった。
「高校生らしいお付き合いを頼むよ」
手を出すなよ、と言うことだが、元よりそのつもりのない佐伯は動じなかった。
「えぇ、もちろん。大切なお嬢さんをお預かりするわけですから」
嫌味なくらい魅力的な微笑みで首肯する。
◇
こうして麗の旅行が急遽決まった。
麗は微笑みの下で、あ〜、行きたくないっ!と、叫ぶしかできなかった。
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