1.ドッキング 1
昼休みには少し早い時間。もうすぐ忙しくなるのを予想して、真琴は店内を整えていた。
バイトを始めて早一週間。バイトは、忙しいわ疲れるわで、大変だったが、真琴の性には合っていたのか、
しかし、その楽しいバイトに一点だけ落ちる黒いシミがあった。
「
あ〜、今日も来るのかな、やだな〜と思いながらテーブルを拭いていると、ガラッと扉が音を立てて開かれた。
その意外な客に、真琴は驚く。
「いらっしゃ〜……って、ハセくん?」
「……マコト?何してんだ、こんなところで」
「何って、バイトだよ。……カウンターでいい?一名様、入りま〜す」
久しぶりに会った長谷川は、ゴツいのは相変わらずだったが、全体的にこんがりしていた。長谷川のトレードマークである無造作に伸ばされた髪は、暑さのせいか、ゆるいお団子に
「焼けたね〜。プール行ったの?いいなぁ」
と水を出しながら言えば、予想に反して苦々しそうな表情が返ってきた。
「『いいな』?ホントにそう思うか?」
「……何かあったの?」
「……聞くか?」
と長谷川は問うたが、聞いて欲しいのだろう。真琴の方に身を乗り出して、言いたそうにしている。
「あ〜……、注文通してから」
「じゃ、この唐揚げ定食」
「りょーかい。……から定一つ!」
真琴は大声で厨房に注文を通したが、真琴の友達が来たとおばちゃんから情報が回ったのか、おいちゃんと秋兄ぃが、わざわざ友達の顔を見に来た。
マコの友達か、とおいちゃんに問われて、長谷川は慌てて立ち上がって自己紹介をした。その外見に似合わないまともな自己紹介に、おいちゃん達は驚きつつも好感を持ったようだ。
真琴との関係や、普段の生活について、口々に質問し始める。
それを無理矢理追い払うと、真琴はため息をついた。
「ごめんね。好奇心が強い人たちで」
真琴が謝ると、いや、いい家族じゃないか、と言われ、慌てて親戚なんだ、と訂正する。
その親しげな様子に、おばちゃんが、忙しくなるまで話しててもいいわよ、と言ってくれたので、二人してその言葉に甘えたのだった。
◇
「……で?プールで何かあったの?」
真琴は、長谷川の隣に座りながら訊ねた。
夏休み前、和也がクロウニーのメンバーとプールへナンパしに行くって、息巻いてたっけ。
……今、落ち着いて考えてみれば、クロウニーのメンバーと、ナンパなんかしに行って、何事もなく終わるわけないよな、と気づく。
「プール……、そう、プール。あれは、地獄だった」
長谷川が思い出したのか、苦虫を噛み潰したような顔になる。
「プールな、皆で行ったんだけど、ナンパしたい奴とそうじゃない奴に別れたんだ」
「あ、そうなの?皆ナンパしに行くのかと思った」
「ユーゴはスライダー目当てだ」
あそこ、有名なやつがあるだろ?と言われ、そんなのもあったか、と思い出す。
毎年、シーズンになると、テレビで水着の女の子が楽しそうにスライダーを滑る広告が流れる。
それを見ると、あぁ、夏が来たな、と感じたものだ。
「ナンパしないチームもあったんだったら、私も行けばよかった」
CMで見たスライダーは、確かにおもしろそうだった。しかも、今年から日本一とか言う
そう思った真琴が軽い調子で言った。
「チーム……っていうほどでもないな。結局、俺とユーゴと、カズヤで回ったから」
「あれ?カズヤ?」
あれだけナンパナンパと息巻いてたのに?と疑問を口にすると、カズヤがユーゴをほっておくと思うか?と、当然の答えが返って来た。
「でも、カズヤみたいに、ツラもいい、チャラそう、話もうまい、みたいな奴がいたから、逆ナン?されたんだ」
「あ、そーなんだ」
意外……、ではないか。確かにカズヤのあの顔とノリなら、食いつく女の子はいるに違いない。
そうか、逆ナンされたのか、と思うと、ちょっともやっとする。
でも!これは嫉妬とか、そういうのではなく、遊んでいる奴が羨ましいだけだ、と自分で自分に言い訳をする。誰が聞いているわけでもないのに。
「でもな、ユーゴは、スライダーに命をかけてたんだ」
「命?」
ぽんっと勉強会の時のちょんまげ姿の勇吾が頭に思い浮かぶ。能天気で、遊ぶのが大好きな勇吾だ。
「ユーゴはな、プールといえばスライダーなんだよ。だから、
ちょんまげを生やした勇吾が楽しそうにスライダーを滑っている姿が、簡単に思い浮かぶ。それはきっと、楽しそうに滑っていたのだろう。
「でもな。ユーゴに付き合って、スライダー制覇しながらも、奇跡的に逆ナンされるだろ?で、男女がいたら、普通、男と女がペアになる。でも、ユーゴは重いほうがいいって、カズヤを持ってくだろ。それが一回二回なら笑っていた女の子達も、三回目になるとこのホモ!って、怒って逃げて行くんだ」
「あ、あぁ〜……」
なんとコメントをしたらいいのか。
真琴が曖昧な表情で、曖昧な相槌を打つ。
「で、楽しくスライダーを滑りたいのに邪魔されたユーゴはイライラする。他の奴らは、ナンパに失敗しまくって、イライラする。暑いわ、うまくいかないわで
それは、もう、水が上から下に流れるがの如く自明の
「もう、後半は喧嘩、喧嘩、喧嘩。何しに行ってんのか、わかんねぇ」
がっくりと
長谷川には悪いが、誘われなくてよかった、と心底思ったのだった。
◇
だが、長谷川の心労の原因は、それだけではなかったようだ。深いため息をつきつつ、ポロリと愚痴がこぼされた。
「何より、日に日にハルキの機嫌が悪くなってってるんだよなぁ」
「有沢くんが?」
意外な名前が出てきて驚く。春樹はナンパに失敗して不機嫌になるタイプじゃなさそうなのに。
そう言うと、違う違うと否定された。
「ハルキがプールに行くかよ。焼けるのが嫌だって、一回も行ったことねぇよ」
確かに、そっちのほうが「らしい」。じゃ、なんで春樹の機嫌が悪くなるんだろう、と思ったところに、おいちゃん自ら、唐揚げ定食を持ってやって来た。
「ほい、坊主。唐揚げ、サービスしといたぜ。あと、これな。マコが作った牛乳かんだ。味の保証はねーけどよ」
「あ!私のオヤツ!」
いつもの定食セットの脇に、涼しげなガラスの器が添えられていた。そこには白い牛乳かんが盛られ、その上にちょこんと缶詰のみかんが乗っていた。
「いっぱいあるから、いいじゃねーかよ」
「そうだけど……」
牛乳かんは、真琴の夏の定番オヤツだ。それを、バイト中、小腹が空いたときに食べるように持ち込んでいた。
もちろん、一人で食べるわけにはいかないので、結構な量を作って皆でシェアしていたのだが、身内以外の者に出すとなれば、話は別だ。
口に合わなかったら残していいから、と言うと、甘いものは好きだからありがたい、と返事が返って来た。
その様子をおいちゃん達三人はニヤニヤして見守っていた。
流石に文句を言ってやろうとしたところで、サラリーマンの一団が入ってくる。時計を確認すると、お昼休みは始まっていた。
忙しくなるぞ、と皆が慌てて持ち場に戻る。
真琴も、いらっしゃいませと元気な声を出して立ち上がり、サラリーマンの一団を席に案内するべく、彼らの元へと向かうのだった。
◇◇◇
いらっしゃいませ、と声を上げて去って行く真琴の後ろ姿を見て、春樹が今日、ここで飯を食べて来いと言ったのは、これか、と長谷川はひとり納得していた。
今日、彼がここに来たのは、もちろん、偶然などではない。
どうせ和也あたりが春樹に調べさせて、春樹が裏をとるために自分をここへやったのだろう。
――結局、和也にうまく使われてるんじゃねーか。
そう思うと、腹が立ったが、変なところで完璧主義の春樹の役に立ったのならいいか、とも思う。
それに、サービス分もあるのだろうが、ここの飯はうまいし、量も多い。真琴がいるいないにかかわらず、通ってもいいかもな、と思えるような店だった。
うまいうまいとご飯を食べていると、真琴のいらっしゃいませに被せるように、
「あ゛〜、暑ちぃ。マコォ、水!」
大声が聞こえて来て、思わず入り口を見てしまった。
入って来たサラリーマンは、真琴の肩を馴れ馴れしく叩くと、さっさとカウンターに座ってしまった。
その後も、「マコ、マコ」と繰り返し、しょうもないことで呼びつける。
その気持ちの悪い馴れ馴れしさに、一種、異様な雰囲気を感じた。
――これは、報告案件か。
一応、帰り際、真琴にアレも親戚か?と聞いたら、否との答えだった。
あんな奴、勇吾が出るまでもない。そう思って、俺がなんとかしてやろうか?と小声で訊ねると、いいと制止された。
「あんなんでも、お客さんだし」
と言われてしまえば、部外者の自分は出る幕がない。
さっき言われた「頑張れ」を返しておいた。
「――マコちゃん。お父さんがね、お友達のお代は結構ですって」
そんな話をしていると、おばちゃんが伝言を伝えにやって来た。それを聞いて、長谷川は恐縮する。
「いや、払います」
「いいのよ。若い子が遠慮しないで」
と言われても、半ばスパイしに来たようなものなのに、その上ご馳走になるわけにもいかず、
「いや、ここでサービスしてもらったら、次、来にくくなるんで。こんなうまい飯が食えなくなるのは、困ります」
と言うと、おばちゃんは非常に嬉しそうな顔をした。それでも、一度言い出した「おごる」という言葉は引っ込めにくいと察した長谷川は、さらに言葉を付け足した。
「次も、こいつが作ったのがあったら、それ、つけてください。俺にはそれがいちばんのサービスなんで」
「あらあら、まぁまぁ」
「……おばちゃん、違うから」
これがいちばん店に負担がかからないサービスだろうと思って、長谷川は言ったのだが、それはそのまま受け取られなかったようだ。
おばちゃんはニヤニヤとして、真琴の脇腹を突き、真琴はうんざりした表情になった。
――この辺の、女のボディーランゲージは、正直よくわからない。
長谷川は、きっちりお金を払うと、店を後にした。
バイト環境は良好。ただし、変な虫が一匹。
報告すべき
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