1.ドッキング 1

 昼休みには少し早い時間。もうすぐ忙しくなるのを予想して、真琴は店内を整えていた。

 バイトを始めて早一週間。バイトは、忙しいわ疲れるわで、大変だったが、真琴の性には合っていたのか、おおむね楽しかった。

 しかし、その楽しいバイトに一点だけ落ちる黒いシミがあった。

 「伊藤セクハラおやじ」である。


 あ〜、今日も来るのかな、やだな〜と思いながらテーブルを拭いていると、ガラッと扉が音を立てて開かれた。

 その意外な客に、真琴は驚く。


「いらっしゃ〜……って、ハセくん?」

「……マコト?何してんだ、こんなところで」

「何って、バイトだよ。……カウンターでいい?一名様、入りま〜す」


 久しぶりに会った長谷川は、ゴツいのは相変わらずだったが、全体的にしていた。長谷川のトレードマークである無造作に伸ばされた髪は、暑さのせいか、ゆるいお団子にまとめられていた。


「焼けたね〜。プール行ったの?いいなぁ」

 と水を出しながら言えば、予想に反して苦々しそうな表情が返ってきた。

「『いいな』?ホントにそう思うか?」

「……何かあったの?」

「……聞くか?」

 と長谷川は問うたが、聞いて欲しいのだろう。真琴の方に身を乗り出して、言いたそうにしている。


「あ〜……、注文通してから」

「じゃ、この唐揚げ定食」

「りょーかい。……から定一つ!」


 真琴は大声で厨房に注文を通したが、真琴の友達が来たとおばちゃんから情報が回ったのか、おいちゃんと秋兄ぃが、わざわざ友達の顔を見に来た。

 マコの友達か、とおいちゃんに問われて、長谷川は慌てて立ち上がって自己紹介をした。その外見に似合わないまともな自己紹介に、おいちゃん達は驚きつつも好感を持ったようだ。

 真琴との関係や、普段の生活について、口々に質問し始める。


 それを無理矢理追い払うと、真琴はため息をついた。

「ごめんね。好奇心が強い人たちで」

 真琴が謝ると、いや、いい家族じゃないか、と言われ、慌てて親戚なんだ、と訂正する。

 その親しげな様子に、おばちゃんが、忙しくなるまで話しててもいいわよ、と言ってくれたので、二人してその言葉に甘えたのだった。



「……で?プールで何かあったの?」

 真琴は、長谷川の隣に座りながら訊ねた。


 夏休み前、和也がクロウニーのメンバーとプールへナンパしに行くって、息巻いてたっけ。

 ……今、落ち着いて考えてみれば、クロウニーのメンバーと、ナンパなんかしに行って、何事もなく終わるわけないよな、と気づく。


「プール……、そう、プール。あれは、地獄だった」

 長谷川が思い出したのか、苦虫を噛み潰したような顔になる。


「プールな、皆で行ったんだけど、ナンパしたい奴とそうじゃない奴に別れたんだ」

「あ、そうなの?皆ナンパしに行くのかと思った」

「ユーゴはスライダー目当てだ」

 あそこ、有名なやつがあるだろ?と言われ、そんなのもあったか、と思い出す。

 毎年、シーズンになると、テレビで水着の女の子が楽しそうにスライダーを滑る広告が流れる。

 それを見ると、あぁ、夏が来たな、と感じたものだ。


「ナンパしないチームもあったんだったら、私も行けばよかった」

 CMで見たスライダーは、確かにおもしろそうだった。しかも、今年から日本一とか言ううたい文句のスライダーも新設されたはずだ。あれは、ちょっと乗ってみたいと思っていたのだった。

 そう思った真琴が軽い調子で言った。


「チーム……っていうほどでもないな。結局、俺とユーゴと、カズヤで回ったから」

「あれ?カズヤ?」

 あれだけナンパナンパと息巻いてたのに?と疑問を口にすると、カズヤがユーゴをほっておくと思うか?と、当然の答えが返って来た。


「でも、カズヤみたいに、ツラもいい、チャラそう、話もうまい、みたいな奴がいたから、逆ナン?されたんだ」

「あ、そーなんだ」


 意外……、ではないか。確かにカズヤのあの顔とノリなら、食いつく女の子はいるに違いない。


 そうか、逆ナンされたのか、と思うと、ちょっともやっとする。

 でも!これは嫉妬とか、そういうのではなく、遊んでいる奴が羨ましいだけだ、と自分で自分に言い訳をする。誰が聞いているわけでもないのに。


「でもな、ユーゴは、スライダーに命をかけてたんだ」

「命?」


 ぽんっと勉強会の時のちょんまげ姿の勇吾が頭に思い浮かぶ。能天気で、遊ぶのが大好きな勇吾だ。


「ユーゴはな、プールといえばスライダーなんだよ。だから、しょぱなからスライダー、スライダー、スライダー。休む間も無く順番に回って行って。まぁ、それは結構楽しかったんだ」

 ちょんまげを生やした勇吾が楽しそうにスライダーを滑っている姿が、簡単に思い浮かぶ。それはきっと、楽しそうに滑っていたのだろう。


「でもな。ユーゴに付き合って、スライダー制覇しながらも、奇跡的に逆ナンされるだろ?で、男女がいたら、普通、男と女がペアになる。でも、ユーゴは重いほうがいいって、カズヤを持ってくだろ。それが一回二回なら笑っていた女の子達も、三回目になるとこのホモ!って、怒って逃げて行くんだ」

「あ、あぁ〜……」

 なんとコメントをしたらいいのか。

 真琴が曖昧な表情で、曖昧な相槌を打つ。


「で、楽しくスライダーを滑りたいのに邪魔されたユーゴはイライラする。他の奴らは、ナンパに失敗しまくって、イライラする。暑いわ、うまくいかないわで鬱憤うっぷんが溜まるだろ?夏でイキった雑魚ザコからんでくるだろ?当然ユーゴが首を突っ込む。俺が駆り出される」

 それは、もう、水が上から下に流れるがの如く自明の理論ことだった。その光景が、眼に浮かぶようである。


「もう、後半は喧嘩、喧嘩、喧嘩。何しに行ってんのか、わかんねぇ」

 がっくりと項垂うなだれた長谷川の肩をぽんぽんと叩き、頑張れと無責任に応援する。というか、頑張れ以外にかける言葉が見つからない。

 長谷川には悪いが、誘われなくてよかった、と心底思ったのだった。



 だが、長谷川の心労の原因は、それだけではなかったようだ。深いため息をつきつつ、ポロリと愚痴がこぼされた。


「何より、日に日にハルキの機嫌が悪くなってってるんだよなぁ」

「有沢くんが?」


 意外な名前が出てきて驚く。春樹はナンパに失敗して不機嫌になるタイプじゃなさそうなのに。

 そう言うと、違う違うと否定された。


「ハルキがプールに行くかよ。焼けるのが嫌だって、一回も行ったことねぇよ」


 確かに、そっちのほうが「らしい」。じゃ、なんで春樹の機嫌が悪くなるんだろう、と思ったところに、おいちゃん自ら、唐揚げ定食を持ってやって来た。


「ほい、坊主。唐揚げ、サービスしといたぜ。あと、これな。マコが作った牛乳かんだ。味の保証はねーけどよ」

「あ!私のオヤツ!」


 いつもの定食セットの脇に、涼しげなガラスの器が添えられていた。そこには白い牛乳かんが盛られ、その上にちょこんと缶詰のみかんが乗っていた。


「いっぱいあるから、いいじゃねーかよ」

「そうだけど……」


 牛乳かんは、真琴の夏の定番オヤツだ。それを、バイト中、小腹が空いたときに食べるように持ち込んでいた。

 もちろん、一人で食べるわけにはいかないので、結構な量を作って皆でシェアしていたのだが、身内以外の者に出すとなれば、話は別だ。


 口に合わなかったら残していいから、と言うと、甘いものは好きだからありがたい、と返事が返って来た。


 その様子をおいちゃん達三人はニヤニヤして見守っていた。

 流石に文句を言ってやろうとしたところで、サラリーマンの一団が入ってくる。時計を確認すると、お昼休みは始まっていた。


 忙しくなるぞ、と皆が慌てて持ち場に戻る。

 真琴も、いらっしゃいませと元気な声を出して立ち上がり、サラリーマンの一団を席に案内するべく、彼らの元へと向かうのだった。


◇◇◇


 いらっしゃいませ、と声を上げて去って行く真琴の後ろ姿を見て、春樹が今日、ここで飯を食べて来いと言ったのは、か、と長谷川はひとり納得していた。


 今日、彼がここに来たのは、、偶然などでは


 どうせ和也あたりが春樹に調べさせて、春樹が裏をとるために自分をここへやったのだろう。


 ――結局、和也にうまく使われてるんじゃねーか。


 そう思うと、腹が立ったが、変なところで完璧主義の春樹の役に立ったのならいいか、とも思う。

 それに、サービス分もあるのだろうが、ここの飯はうまいし、量も多い。真琴がいるいないにかかわらず、通ってもいいかもな、と思えるような店だった。


 うまいうまいとご飯を食べていると、真琴のいらっしゃいませに被せるように、

「あ゛〜、暑ちぃ。マコォ、水!」

 大声が聞こえて来て、思わず入り口を見てしまった。


 入って来たサラリーマンは、真琴の肩を馴れ馴れしく叩くと、さっさとカウンターに座ってしまった。

 その後も、「マコ、マコ」と繰り返し、しょうもないことで呼びつける。

 その気持ちの悪い馴れ馴れしさに、一種、異様な雰囲気を感じた。


 ――これは、報告案件か。


 一応、帰り際、真琴にも親戚か?と聞いたら、否との答えだった。

 あんな奴、勇吾が出るまでもない。そう思って、俺がなんとかしてやろうか?と小声で訊ねると、いいと制止された。

「あんなんでも、お客さんだし」

 と言われてしまえば、部外者の自分は出る幕がない。

 さっき言われた「頑張れ」を返しておいた。


「――マコちゃん。お父さんがね、お友達のお代は結構ですって」

 そんな話をしていると、おばちゃんが伝言を伝えにやって来た。それを聞いて、長谷川は恐縮する。


「いや、払います」

「いいのよ。若い子が遠慮しないで」


 と言われても、半ばスパイしに来たようなものなのに、その上ご馳走になるわけにもいかず、

「いや、ここでサービスしてもらったら、次、来にくくなるんで。こんなうまい飯が食えなくなるのは、困ります」

 と言うと、おばちゃんは非常に嬉しそうな顔をした。それでも、一度言い出した「おごる」という言葉は引っ込めにくいと察した長谷川は、さらに言葉を付け足した。


「次も、こいつが作ったのがあったら、それ、つけてください。俺にはそれがいちばんのサービスなんで」

「あらあら、まぁまぁ」

「……おばちゃん、違うから」


 これがいちばん店に負担がかからないサービスだろうと思って、長谷川は言ったのだが、それはそのまま受け取られなかったようだ。


 おばちゃんはニヤニヤとして、真琴の脇腹を突き、真琴はうんざりした表情になった。


 ――この辺の、女のボディーランゲージは、正直よくわからない。

 長谷川は、きっちりお金を払うと、店を後にした。




 バイト環境は良好。ただし、変な虫が一匹。

 報告すべき情報ネタは、そんなところだろう。

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