3つのプロローグ 3

プロローグ その3 【二階堂 麗】


 真琴が、高校一年生の貴重な夏休みを、バイトに費やしている頃。


 麗は真琴とは対照的に、「労働」とは一切無縁の環境にいた。


 エアコンの効いた室内。心地よく流れるクラシック音楽。

 アンティーク家具で統一されたそこでは、三人の少女がお茶を楽しんでいた。



「麗さん。高校はどうですか?」

「こちらの学校にはない教科なども勉強されているんでしょう?」


 二人の少女が好奇心いっぱいに麗に問いかける。


「麗さんが、高等部に進学されないと聞いた時は、驚きましたわ」

「えぇ、私も。ご一緒できるものだとばかり思っていましたもの」


 ふわふわと軽やかに笑う少女達は、麗の中学時代の級友だった。


 中高一貫のお嬢様学校。麗はそこをやめて、一人、公立の普通科へ進んだのだった。それは彼女らには衝撃的な『事件』だったのだろう。転校してからこっち、ずっと同じことを言われていた。


 彼女たちにとって、お嬢様学校以外の学校は未知の世界だ。偶に『』した者が転校して行くが、麗のように自ら進んで転校して行った者はいない。

 『都落ち』ならタブーだが、そうでないなら聞いても構わないと思っているのだろう。

 こうやって、顔を合わすたびに公立学校の様子を根掘り葉掘り、訊ねられる。


 他のところは知りませんが、と前置きして麗。


「私の選択したコースは、単位制なので、かなり自由が利きます。そのおかげで、得られたものがありますわ」


 そう答えると、勇気がおありになるわ〜、とさざめく二人。その顔に悪意がない分、タチが悪いと麗は思った。


 彼女らは、所謂いわゆる、「いいとこのお嬢さん」である。

 中学までそのクラスメイトだった麗も、例に漏れず「いいとこのお嬢さん」なのだが、麗はそれが気に入らずに、その世界から逃げ出したのだった。

 だが、逃げ出した後も、この二人は折を見て麗の元を訪ねてくる。


 ――それを二人からの友情と、単純に喜べるほど麗は子供ではなかった。なぜなら、彼女らの後ろには、親の意向が見え隠れしているからだ。


 彼女らは、常にだった。親に決められた学校へ行き、親に言われるがままに友達を作り、今日も、親に言われて二人して連れだって来た。きっと彼女らは、親の選んだ大学へ行き、親が連れてきた男と結婚するのだろう。そんな人生に、なんら疑問を持たないどころか、それで常に満たされている。


 二人はそれでいいかもしれないが、麗はそれが嫌だった。


 それこそ、一族郎党巻き込んで、父親と喧嘩するくらいに。

 結局、絶縁するかしないかと言うところまで話がこじれ、祖父が仲裁に入り、で麗は公立校への進学が認められたのだった。


「そう言えば、佐伯さんも同じ学校なんですよね。お元気にしていらっしゃる?」


 少女の一人が、そのの一人である佐伯の名前を挙げ、麗は内心で悪態をいた。

 せっかくの夏休みなのに、不愉快な男のことを思い出すことはない。


 だが、彼女らは、佐伯のことが気になるのか、彼の話をしたがった。特に、黒髪の少女は、佐伯に興味があるようだった。


 黒髪の彼女は、長女で、下に年の離れた弟はいるものの、できれば婿を取りたいと思っているのだろう。そんな彼女には、新興企業とはいえ、今、飛ぶ鳥を落とす勢いがある会社の創始者の直系三男坊と言うのは、非常に魅力的に違いない。


 まぁ、これも情報料の一つか、と思って、麗は佐伯に関する無難な情報を渡す。その代わり、彼女らが通っている高校の情報をそれとなく集めた。子供の様子は、意外と家の実情を表しているものである。


 麗一人、打算づくしなものの、お茶会は一見、和やかに進んだ。



 ポットの中のお茶が残り少なくなり、家人に持って来させるタイミングを図っていた時、狙ったかのように扉がノックされた。


「失礼。お邪魔するよ」


 そう言って、部屋に入って来たのは、麗の三つ年上の兄、雅比古まさひこだった。


 彼の姿を認めた途端、二人の目の色が変わった。恋する乙女の瞳の色になり、ぽうっと頬を上気させ、雅比古の一挙手一投足を見逃すまいと見つめる。


 その反応は、麗にとって見慣れた反応だった。


 それも仕方がないか、と麗は思う。雅比古の、品があり中性的な美貌は、どこから見てもおとぎ話に出でくる「王子様」だったからだ。


「こちらにお二人がいらっしゃっていると聞いてね」


 そう言って、気障ったらしくウインクすると、二人は顔を真っ赤にしてしまった。


 お茶のおかわりはいかがかな?と、ウエイターさながらの動作でかしずく雅比古のタチの悪いところは、全部自分の容姿をわかってやっているところだった。


 彼にとって、女とは、上手く転がす駒の一つでしかない。


 そのために、自分の容姿を磨き、それがどう人に見えているか、常に計算して動いている。そして、それを他の者に悟らせない賢さを彼は持っていた。


 お茶を注ぎ始めた雅比古に、慌てて二人が、「お手を煩わせるなんて!」と言って立ち上がろうとする。

 それをお客さんなんだから、と制して、慣れた手つきで三人分のお茶を入れると、はいどうぞ、と言いながら、手渡した。その時、目を見つめて微笑むものだから、ますます二人はうっとりとしてしまった。


 その一連を、麗は白けた目で見ていた。


 麗のそんな様子に気がついているだろうに、雅比古は微笑みを絶やさず、麗にも紅茶を手渡す。


「……ありがとうございます。雅比古

「かわいいのためだからね」


 そう言うと、雅比古は麗の頭をぽんぽんと軽く叩いた。そして、乱れた髪を直すように、するすると撫でる。


「っ……!もう!子供扱いはやめて」


 麗は、少し強い調子で髪を振ったが、それは家族への気安さから出た行動のようにしかとられなかっただろう。雅比古も、子供をあやすような表情になったから、尚更だ。


「あはは。ごめんね?麗は幾つになっても、だからさ」


 雅比古は、麗の後ろに回ると、肩にぽん、と手を置いた。それは、気が立っている麗を鎮めるための自然な動作にしか見えなかったはずだ。


 だから、肩に手が置かれた時、麗の体が強張ったのに、二人は気がつかなかった。そもそも、二人は雅比古の顔以外、見ていなかった。


「二人とも、学校が変わったのに、妹と仲良くしてくれてありがとう、ね」

「いえ、こちらこそ仲良くしていただいて……」


 雅比古とおしゃべりする二人の顔は、完全に恋する乙女の顔だった。

 なんだったら、おとぎ話のヒロインと言い換えてもいいかもしれない。

 完全に雅比古の作り出す雰囲気に酔いしれていた。


 雅比古は、二人と話しながら、すぅっと手を動かした。麗の肩から降りていき、むき出しの二の腕を撫で、キュッと掴むと、そこで手を離した。

 ぞっと、麗の肌が粟立つ。麗は嫌悪感を外に出さないようにするだけで、精一杯だった。


 許されるなら、大声で叫んで逃げ出したかった。


 だが、こんなを二人の前にさらして、何になる?


 二人は、『御学友』ではあったが、友達ではなかった。

 だから、彼女たちに弱みを見せるわけにはいかなかった。


 二階堂家は完璧に幸せな家でなければならない。

 末娘が少々はねっかえりではあるものの、厳格な父、美しい母、優秀な子供達。それらで構成された、由緒正しい家でなければならない。


 その重圧プレッシャーに、麗は時折、息ができなくなる。


 特に、雅比古がこうやって戯れる時は。


 だが、二人は、麗のそんな気持ちに気がつくことなく、雅比古と楽しそうにおしゃべりをしている。

 あぁ、なんて幸せな二人なのかしら、と麗は思う。


 窓から見えるそとは、夏の太陽の日差しを受けて、眩しく輝いている。外が明るければ明るいほど、この家なかは、そのコントラストで闇が強くなるように感じられる。


 二人は、この家の人間ではない。だから、この家の闇に気がつかないのだろうか。


 自分も二人のように鈍かそうであったらよかったのに。


 結局、雅比古は二人が帰るまでおしゃべりに付き合った。その間、雅比古は麗のそばを離れることはなかった。

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