5.リスタート 10

「信じらんない!」


 と叫んだ真琴の頭の中は、その言葉で埋め尽くされていた。


 何?仲直りするためだけに、こんな大掛かりなこと、したの?


 その発想が信じられなかったし、実際してしまう行動力も信じられなかった。

 だが、口ではどれだけ信じられないと叫んでも、真琴の心はわかっていた。勇吾の言葉に、嘘偽りがないことを。彼は、誠心誠意、ただ、自分と仲直りがしたいがために、こんなことをしたのだ。


「じゃ、なんで、私はお別れの覚悟決めたのよ!」


「お前の早とちりだろ」

「恥ずかしいぃぃ〜!」

 勇吾に冷静に突っ込まれて、真琴は穴があったら入りたかった。だが、手を繋がれている今、穴すら掘れない。


 一人、もだえている真琴を、楽しそうに見つめる勇吾。今や形勢は完全に逆転していた。


「手、離して!帰る!」

「まだ返事をもらっていない」

「言わなくてもわかるでしょ!」

「言わなきゃわからない」

「この鬼畜〜〜〜!」

「お前に言われるなら、褒め言葉だ」

「鬼!悪魔!ユーゴ!」

「最後のは、悪口じゃないな」


 真っ赤になって、恥ずかしがる真琴に、勇吾が笑みを含んだ声で言った。


「お前は、おもしろいな。俺の予想と違った方向へ行くから、一緒にいて飽きない。……俺のこと、怒ってたんじゃないのか。何でさっき、泣きそうだったんだ」


「そ、う、いうデリケートなこと、直で聞くの!?」


 これ以上のはずかしめはない、と真琴は思ったが、勇吾の視線は許してくれそうになかったので、しぶしぶ口を開いた。半ば、自棄やけになっていたのもある。


「う……、あ、怒ってたんだけどっ、これで終わりと思うと……寂しくなっちゃってっ」

「わがままだな」

「うっ。……ごめん」


 そう言うが、勇吾の声は楽しそうだった。

 今の勇吾に、先ほどまでのカリスマはなかった。そうではなく、ただの勇吾として、年相応のいたずらっぽさが見え隠れしていた。

 繋いだ手を、感触を確かめるようにムニムニと握られる。


「謝ることじゃない。わがまま言うってことは、わがまま言ってもいい相手だって、甘えてるってことだろ」

「甘えてる!?」


 およそ今までの真琴の生活と縁のない単語が出て来て、驚いてしまった。甘えるなんて、それこそ両親相手に小学生くらいまでしかしたことがなかった。

 だが、だろ?と勇吾に問われて、否定するだけの根拠がなかった。


「――もっとわがままはないのか」


「は?え?……えっと、わかんない」

 正直にそう言うと、

「じゃ、思いついたら言え。我慢するな」

 と、言われた。真琴は思わず、うえぇぇ?と変な声を出してしまった。

「なんだ、その声は。お前のわがままくらい、受け止めてやるぞ」

「……えー、私、そう言うの苦手かも。きみちゃんにも言われたんだよね、もっと頼れって」

 その真琴の言葉に、意外にも勇吾は食いついて来た。いつ言われたんだ、どこで言われたんだと問われ、きみちゃんがクラスの様子が変だと心配していたことを吐かされた。


 だが、勇吾はきみちゃんが心配していたことはどうでも良かったらしい。顔を背け、真琴には聞こえない声でチッ、あのタラシめと悪態をついた。


「でもさ。ずっと一人だったから、正直どう頼っていいのか、わかんないんだよね」

 そう締めくくった真琴に、勇吾は一言。


「慣れろ」

「命令かよ」


 と真琴は突っ込んだが、勇吾は気にした様子はなかった。


「差し当たって、一つ、わがまま言ってみろ」


「は、え?今?」

「そうだ」

「えー?わがまま?今?」

 勇吾の突然の無茶振りに、思わず考え込んでしまう。

 言った方は、何を言われるか楽しみなのか、余裕で真琴の言葉を待っていた。

「ほら、早く」

「ちょっと待って。考えてるって」

「こんなの、すっと出てくるだろ」

「だから今考えてるって。邪魔しないで」

 うんうん唸りながら考えている真琴を見ながら、ニヤニヤ笑う勇吾に、カチンと来た。こいつはただ、楽しんでいるだけだ!


「……ユーゴ、やっぱり怒ってるでしょ」

「はぁ?」

「私困らせて、楽しんでる!」

「別に、困らせたいわけじゃない。わがままの一つも言えないお前が悪いんだろ」


「私、苦手って言ったじゃん!意地悪!やっぱ、私と友達、やめ……っ」


 強く手を握られて、真琴はハッとした。それは今や、冗談でも言ってはいけない言葉だった。きっと、次にその言葉を口にすると、もう二度と戻れなくなる。


 勇吾の強い視線に射抜かれて、真琴の動きが止まる。


 それで、ようやく、真琴は無茶振りをした勇吾の意図がわかった。いつも通り、じゃれていたが、今、二人の関係はたった一言で壊れるところにある。そうではないと確かめるために、勇吾も無茶振りをして、「いつも通り」を確認していたのだろう。


「……ごめん。ひどいこと言った」


 勘違いでも、自分が言われると思っただけであれだけ悲しかったのだ。実際に言われた勇吾をどれほど傷つけただろう。


「俺が最初に、お前を傷つけたんだろ。悪かった」

「……何が悪いかわかってないのに、謝るのはズルイ」


 真琴の言葉に反射的に謝ろうとした勇吾を制して言った。


「そうやって謝られると、私がただ拗ねてるだけになるじゃん」

 そう言ってしまうと、すとんとに落ちた。結局、私が自分のことを弱いと認められないのが今回の怒りの根底にあったのだろう。


「……ユーゴは、強いもんね」


 イジケたような声が出てしまって、真琴は焦ったが、勇吾の答えは予想外のものだった。


「何を言ってるんだ?俺はまだ弱いぞ」

「……は?」


 真琴の思考が一瞬フリーズする。あれ?聞き違いかな?


「……何で?ユーゴは『強い』から、『弱い』私を守るとか言ってるんでしょ?」

「いや。違う。俺はまだ弱いから、守れないものがたくさんある。でも、失くしたくないから、大切にしたいから、弱いなりに精一杯守ろうと思ってるんだ。クロウニーも、そのために作った」


 勇吾の言葉の意味がわかった瞬間、ぶわゎっと真琴の全身に鳥肌がたった。


 こんな、こんな、こんなこと!


 嘘だろ!と混乱する頭で、それでもわかっていることは、負けたことだけだ。完敗だった。自分の器の小ささに、びっくりする。いや、逆か。


「……ユーゴは、自分のこと、強いって思ったことないの?」

「俺はまだ弱いだろ。負けそうになることも、助けられることもたくさんある。現にお前にも助けられただろ」

「そうだよね……。そっかぁ。ユーゴ、そっかぁ……」

 もう、真琴はそれしか呟けなかった。


 目の前の男を、なんて強いんだろうと眩しく思った。


 以前は、ただの体力馬鹿だと思っていた。でも、彼のすごいところは、肉体ではなかった。きっと、クロウニーのメンバーおとこたちはそれがわかっているから、こんなに勇吾を慕っているのだろう。


 自分だけ気がついていなかったのかと思うと、その鈍さにがっくりくる。


 ショックを受けている真琴に、訝しげに勇吾が訊ねた。

「どうした、マコト」

「いや、大丈夫。ちょっと反省していただけ」


 イキって、拗ねて、駄々こねて。こんなの全然、対等じゃない。

 どの口が対等なんて言えたのだろう。昔の自分を殴ってやりたい。


 だが、これから、これからだ、と真琴は自分に言い聞かせた。

 じっと見つめると、何だ?と目線で問い返してくるこの男。この男の隣に立つには、まだ自分の経験値が足りない。覚悟が足りない。強さが足りない。


 でも、いつか、きっと――。


 真琴は、一人誓って、目の前の男に微笑み返した。


「ユーゴ、リーダー就任、おめでとう」


 心から言えたお祝いの言葉に、ユーゴはありがとうと笑った。

 その笑顔は、年相応の少年の笑顔だった。

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