エピローグ

「はよー」

 真琴はいつも通り、教室の後ろの扉から入ると、誰ともなく挨拶をした。


 だが、それに返すものはいなかった。

 実は、真琴が勇吾と喧嘩していると知れ渡ってから、勇吾の不興ふきょうを買うのを恐れたメンバーは、真琴と言葉を交わさなくなっていた。

 無視をするなんて男らしくないというスタンスの長谷川や築島、空気を読む気がない春樹、事情を知っている和也以外の者は、真琴を避けていた。


 だが、今日、返事が返ってこなかったのは、無視が原因ではなかった。そもそも、登校している者が極端に少なかったのだ。


 今日って、なんかあったっけ、と、いつも通り登校しているモブ男その1に聞いてみたが、何もないとのことだった。

 あ、そういや、昨日、チーム結成のお祝いするって言ってたっけ。それで徹夜でもして、今日みんな休むつもりじゃないだろうな、と思ったところで、どやどやとにぎやかな集団が入ってきた。

 マジねみぃ、お前体力ないなー、授業中ゼッテー寝るわ、等と騒がしく話しながら教室に入ってくるクロウニーのメンバーたち。彼らは、真琴の嗅いだことがない変な臭いをさせている上に、無精ヒゲが伸びていたりと、ちょっとくたびれていた。

 真琴の予想通り、昨夜は家に帰っていないらしい。だが、それでも律儀に学校に来る勇吾に、真琴は笑った。


「はよー。何?昨日、家帰ってないん?」


 真琴が集団に声をかけた瞬間、騒がしかった男たちの動きがピタリと止まる。

 隠すことなく勇吾と喧嘩していた真琴が、よりにもよって勇吾がいる集団に声をかけてきたのだ。誰が返事するんだ、それともこのまま無視をするのか、と、男たちの無言の駆け引きが展開されかけた。だが。


「あぁ。わかるか」

「わかる。くっさいよ、皆。これ、なんの臭い?」


 勇吾が、何事もなかったかのように返事をして、男達は目を剥いた。昨日まで、あんなに険悪だったじゃないか!


 だが、昨日仲直りしたことを知っている和也は動じることなく、真琴の言葉に自分自身の臭いを嗅ぎながら、訊ねた。


「え〜、マジで?汗?汗臭い?」

「汗じゃなくて……なんだろ?ちょっと嗅いだことないからわかんない」

 勇吾がくんくんと和也の臭いを嗅いで、わからん。和也の臭いしかしない、と呟いた。


「俺からも、その臭いするか?」


 そう言って、真琴に近寄ると、真琴はくんくんと鼻を鳴らし、そっと勇吾から距離をとった。


「あ、ごめん。近寄るとやっぱ汗臭いわ。……今日は、近寄んないで」


 その瞬間、勇吾はニコッと笑ったが、効果音はイラっだった。


「お前、そういうこと言うとどうなるかわかってないな」


 そう勇吾は言うと、真琴をガシッと小脇に抱え、臭い男達の中にいる和也の元へと運んで行った。


「や〜だ〜!ユーゴ、臭い!和也も臭い!あ、加齢臭!これ、加齢臭だわ」

「やめろ。それはマジで傷つく」


 真琴は勇吾の小脇に抱えられ、臭い臭いと言いながらも、平気そうに笑っていた。



 そこには、昨日までの険悪さはどこにもなく、元通りに見えた。いや、むしろ、喧嘩なんかしていませんでしたよ、と言わんばかりの仲の良さだった。

 この変わり身についていけない男達はぽかんとその喧騒を見つめるばかりだった。昨日までの、あの険悪さはなんだったんだ。それに怯えて戦々恐々としていた俺たちはなんだったんだ!と声に出さないが、悲鳴をあげていた。


 男達が筋違いな怒りに燃える中、真琴を無視しなかった一部の者達、長谷川や築島は、どうせこんなことだろうと思っていた、とでも言うようにさっさと席に着くと、寝る態勢に入ってしまった。勇吾が、一度懐に入れた人間を手放すことなどないのだ。ちなみに春樹は、いつの間にか姿を消していて、学校にすら来ていなかった。


 そうやって騒いでいるうちに、チャイムが鳴って、きみちゃんが入って来た。

 真琴が勇吾と一緒にいるのを見て、一瞬目を眇めたが、それ以上顔に出すことなく、お前ら、席につけ〜と着席を促した。


「……なんだ。今日はやけに欠席が多いな。……なんかあったのか?」


 そう言って教室を見渡すが、答えるものはいなかった。

 きみちゃんもそれを期待していなかったのか、返事がないことをスルーして、お前らに知らせておくことがある、と厳しい表情を浮かべた。


「……期末テストの採点が終わった」


 その声に、寝ていた築島も思わず顔を上げた。


「今日から順番に返って来ると思うが……」

 そこで言葉を切って、ぐるりと教室を見渡す。そしてたっぷり10秒は溜めた後、


「このクラスに、赤点は無しだ!」


 一拍遅れて、おっ、おおおおぉ!と歓声が上がる。

「いや〜。これで奥さん孝行できるわ」

 とデレるきみちゃんの言葉は、誰も聞いていなかった。

 真琴も、隣の席の築島と固い握手をして、「やったね」「やったな」と喜び合った。

 勇吾の方を見ると、近くの席の男達と喜び合っていたが、ふと真琴の方を見た。

 真琴がニカっと笑ってピースすると、笑顔が返って来た。


「……と言うわけで!皆、夏休みがあってよかったな!でもあんまり、ハメ外すんじゃないぞ」

 と、きみちゃんが教師らしいことを言って、朝のHRは終了した。

 そのとたん、教室は一瞬にしてざわめいた。皆、夏休みへの期待で、疲れも忘れてキラキラしていた。

 真琴も、高校初めての夏休み、何をしようかと期待感でいっぱいだった。

 今年の夏休みはきっと、楽しいものになるだろう、と言う予感で真琴の顔は自然とほころんでいった。



 ――この日。欠席が多かったせいで、梅田が来ていないことに、真琴は気がつかなかった。

 そして、梅田はその日以降、学校から姿を消した。

 勇吾は、俺の関与するところではないと言い、和也はニヤニヤ笑うばかりで、肝心なことは何も言わなかった。


 数日後、夏休み直前の中途半端な時期だと言うのに、梅田は転校すると、きみちゃんから聞かされた。

 その時、真琴は、クロウニーの闇の部分に触れた気がした。

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