5.リスタート 9

 男達の興奮した雄叫びが、店内を埋め尽くした。

 長谷川も春樹も築島も、教室でいる時とは違った男の顔で勇吾を取り囲んでいた。

 さらにその外側、彼らを取り巻く男達も、勇吾のことを心酔した目で見ていた。


 その一連の様子を見ていた真琴も、男達の興奮に当てられていた。

 血液はどくどくと熱く、身体中を駆け巡っているというのに、背筋を駆け上がってくるゾクゾクとした感覚に戸惑っていた。

 思わず声が出そうになって、こらえるために自分を抱きしめた。

 相反する感覚で頭はぐちゃぐちゃだったが、それが意外と不快ではなかった。


 勇吾がなぜここに呼んだのかはわからない。けれど、何を見せたかったかはわかった。


 真琴は、が同い年か、と戦慄する。


 勇吾が店内に入って来た時から、この場は勇吾の一人舞台だった。

 見るものを惹きつける華、命令して当然と思わせるカリスマ性、全ての裏を取る手腕と、それを可能にした実行力。


 とても同い年の、高校生になったばかりの少年だとは思えなかった。


 ――対等だなんてイキってた自分が恥ずかしい。


 きっと勇吾に、友達たいとうなんて必要ないのだろう。彼は、上に立つ者だ。

 これが勇吾なりのけじめであり、決別であると感じた真琴は、それよりも先に突き放した自分を棚に上げて、しょんぼりした。


 あれだけ強固に怒っていたくせに、離れていかれると後悔が押し寄せて来る。

 心のどこかで、勇吾は離れていかないだろうという甘えがあったことも確かだ。


 だが、それは間違いだった。後悔も、もう遅いのだ。


 つんと、鼻の奥に痛みが走り、慌てて思考を散らした。泣かないくらいのプライドは真琴にもある。

 お別れだとしても、笑って手を振ってやる。


 真琴が、嫌なことに意識がいかないように、周囲を観察しているうちに、男達が移動を始めた。どうやら、場所を移してお祝いをするらしい。

 ……人がいるうちは動けないが、いなくなったらどうしたらいいのだろう。

 真琴をカウンターの下に隠した和也は、梅田を連れてどこかへ行ってしまった。


 あの和也の微笑みを見た今、梅田がどうなっているか、想像しないほうがいいということは、容易にわかる。だが、梅田とのが楽しすぎて、真琴のことを忘れているのでは、と不安になる。


 男達が出て行って、店内は静かになった。

 ここから自力で這い出そうか、それとも和也を待っていたほうがいいのか考えていると、勇吾の声がした。


◇◇◇


「……マコト。いるんだろう。出てきてもいいぞ」


 和也に、真琴を連れてくるように言っておいたので、この店内に彼女がいるのは間違いないのだが、どこにいるかまでは聞かなかった。それで、メンバーがいなくなってから、どこともなく問いかけた。


 勇吾の声に反応して、がたっ、がたたっと音がした。


「……マコト?」


 がたっ。……がたがた。

 …………。…………。


「……ユーゴ、ごめん。この荷物どけて〜。出らんない」


「……どこにいるんだ」

「カウンターの下〜」


 真琴の声を頼りに、カウンターの中に入ると、奥に荷物が積み上げられていた。

 荷物を適当にどかして、真琴を引っ張り出す。

 真琴は、よくこんな狭いところに入っていたな、と感心するくらいの狭いスペースに押し込まれていた。


「暑っ。こん中、チョー暑いわ。……ねー、ここの水道、水飲める?」

「……飲んでも構わないはずだが」

「じゃ、ちょっとコップ借りるね」

 そう言って、真琴は水道から水を汲むと、ごくごくと音を鳴らして飲んだ。よほど喉が渇いていたのか、水が垂れるのもかまわず、一息で飲み干してしまった。


「おっと。お口がゆるい」

 おどけたことを言いながら、口の端からこぼれた水を拭うが、どこか不自然だった。


 それもそのはず。引っ張り出されてからこっち、真琴は勇吾のほうを見ようとしていなかった。勇吾の視線に気がついているのに、いや、気がついているからこそ、こちらを見ようとしない。それにれて、


「……マコト」


 二杯目の水をコップに汲んでいる真琴の背中に声をかけると、真琴はビクッと肩を揺らした。


「そ!そぉいや、クロウニーって、思った以上に人がいるんだね。クラスの人だけかと思ってたら、知らない人もいて、びっくりしちゃったっ」

 真琴は、落ちてくる水を見ながら、早口で言った。

「ユーゴは、全員の顔と名前覚えてるの?って、当然か。リーダーだもんね。私には無理だな〜。似た名前の人はごっちゃになりそ……」


「マコト」


 どうでもいいことを無理矢理話し続ける真琴を、少し強めの口調で黙らせた。勇吾の苛立ちを感じたのか、真琴はピタリと口を噤んだ。そして、顔を背けたまま、「何?」と問う。


「……話がある」

「……うん」


 それでもこちらを見ようとしない真琴のかたくなな態度に、勇吾はまだ許されていないのか、と落胆した。


 いや、まだ、ではない。勇吾がしたことは、チーム内で落とし前をつけただけだ。真琴とは、これからが本番だった。


 勇吾は、今だに、何が真琴を怒らせたのか、わかっていなかった。やっぱり真琴は弱いと思うし、守らなければとも思っている。

 でも、少し学習した。それを言えば真琴は怒るので、言わないでおく。それに、なぜか真琴は叩かれたがっているようなので、叩けと言われれば、軽く叩くだけの覚悟も決めた。


 今日は、間違えない自信がある。


 うんと言ったまま動かない真琴の持っているコップからは、とうに水があふれていた。

 勇吾は、水道の蛇口を閉めると、「ソファで話そう」と真琴を促した。


 その言葉に、真琴は今日、初めて勇吾を見上げた。その眼鏡の奥の瞳は、なぜが不安で揺れていた。


 ――怒りではないのか?


 勇吾は訝しみながらも、真琴をソファまで連れて来ると、自分の隣に座らせた。それにおとなしく従う真琴。


 ――何かがおかしい。本当なら、こうやって話す態勢になるまで、一悶着あるだろうと思っていた。何なら、力ずくも辞さないと思っていたのに、それがこんなにすんなり行くとは。

 真琴の様子を伺うと、思い詰めた表情で手の中のコップを見つめていた。


「……マコト?」


 どうしたのかと問いかけるように名前を呼ぶと、真琴は勇吾の方を見ようともしないまま、首を振った。


「……いい。言わなくてもいい」


「何をだ?」

 勇吾の言葉を聞きたくもない、という態度に、勇吾も不安になって来る。やはり、どこかおかしい。何かがずれている。だが、何がおかしいのかはわからなかった。


「ユーゴの言いたいことはわかったから」

「……本当に?」


 勇吾の言いたいことがわかって、どうしてこの態度になる?許せないのなら、もっと怒るだろうし、許してくれるのなら、笑顔になるはずなのに。

 真琴の真意が掴めず、勇吾が黙っていると、真琴は覚悟を決めたように目線を上げた。そして、勇吾の方を見て、寂しそうな笑顔を浮かべる。


「……きっかけはきみちゃんに頼まれたからだったけど、ユーゴと話せて楽しかったよ。短い間だったけど、ありがとう。……リーダー、頑張ってね。」


「……おい?」


「委員会同じだから、事務連絡くらいは話してくれると嬉しいな」


「……ちょっと待て!何を言っている!?」


 思わず、勇吾は真琴の言葉にストップをかけた。その大声に呼応するように、真琴は半泣きの声で叫んだ。


「だって、ユーゴ、私と友達やめるんでしょ!?」

「どうしてそうなる!」


 思っていたことと全く反対のことを言われて、勇吾は思わず突っ込んだ。


「だって、だって!さっきのユーゴ凄かったもん。私なんかじゃ足元にも及ばないくらい、ちゃんと皆のリーダーしてた!」


 それが伝わったなら、なぜ、その結論になる!勇吾は頭を抱えた。


「だから、私とは住む世界が違うよって。そう決別するために、連れてきたんでしょ!?」


「ちがう!」


 思ってもいない考えに、思わず脱力してしまった。

 まさか、そう解釈するとは。つくづく真琴とは考え方が違う。こんなに合わないものだとは。


 そう思うと、おかしくなってきた。


 ソファの肘置きに突っ伏して、忍び笑いを漏らす勇吾に、真琴は不安げな声を上げた。勇吾は、笑いの発作を沈めると、はぁ、と一息こぼした。


「――マコト。俺はお前のことがわからん」


 そうはっきり言うと、真琴はひどく傷ついた顔をした。だが、勇吾はもう焦らなかった。


「お前が、何で怒ったのかも、何でさっきのを見てそういう思考になったのかも。――結局、俺たちは、全く違う人間なんだな」


 それは、当然のことだった。今まで生きてきた世界も、価値観も、信念も全く違う二人だ。同じところといえば、人間であると言う一点くらいしかない。


 勇吾は、ソファに片足を乗せ、体を真琴の方に向けると、手のひらを差し出した。真琴が、その行動の意味がわからず、戸惑った目で勇吾を見る。それでも、何も言わずに手のひらを出したままでいると、おずおずとその小さな手を重ねてきた。

 それは、喧嘩などしたことがない、柔らかく小さい手だった。水を触っていたせいか、その手はひんやりしていた。

 それを、ぎゅっと握る。話が終わるまで、逃げられてはかなわない。


「……俺はな、お前に許して欲しくて、ここに呼んだんだ」


 真琴は、勇吾の行動も言葉の意味もわからなかったのだろう。勇吾をきょとんと見つめている。


「いろいろ考えたんだがな。俺は結局、お前が何で怒ってるのか、わからなかったんだ。だから、今、俺ができることをしようと思って」


 うん、と真琴が相槌を打つ。繋いだ手に、だんだん暖かさが戻ってきた。それとも、自分の熱が伝わっていっているのだろうか。


「何ができるか考えたんだ。結局、俺ができることは、喧嘩の原因になった怪我のけじめをつけることしかなくてな」


 そこで一旦切って、いつも眼鏡の奥に隠れている瞳をじっと見つめた。真琴の黒目がちな瞳が、不安で揺れながら勇吾を映していた。それは、ひどく久しぶりに感じられた。


「これが俺なりのけじめだ。これで許してもらえないだろうか」


 その一言は、真琴の心にすとん、と届いたようだった。


 手の熱が、じんわり伝わるように、その言葉は、真琴の心にゆっくりと染み込んで行った。


 生気のなかった瞳に、徐々に光が戻ったかと思うと、ある一点で、バチッと勇吾に焦点があった。


 その瞬間、やっと真琴は勇吾の言った言葉の意味がわかったのだろう。目を見開いたかと思うと、一気に顔が赤くなった。


「……は?……え?何それ、何それ!」


 真っ赤になったまま、勇吾から逃れようと後退りするが、手を握られていたため、逃げられなかった。

 ぶんぶん腕を振って、繋いだ手から逃げようとしたが、逃す勇吾ではない。繋いだ指を絡めて、決して離れないように強く握った。

 真琴が手を振るのを笑って見ていたら、しばらくして観念した真琴は「信じらんない!」と叫んで、大人しくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る