5.リスタート 5

 ちょっと脅しすぎたのか、真琴は庇った人物の名前を言おうとしなかった。

 そんなことを話しているうちに、麗の出番が回って来た。

 麗は、真琴との話にショックを受けたというわけではないが、全く試合に集中できずに負けてしまった。

 全員が最低でも一回、試合に出たところで体育は終わった。


 汗だくになった体操服をさっさと着替えたいと更衣室へ向かったが、真琴は一向に着替えようとしなかった。

 話を聞くと、アザを見られたくないらしい。それで、トイレで着替えるというので、麗も付いて行った。

 本当は、麗は更衣室でさっさと着替えてしまったので、連れ立って行く必要はなかったのだが、なんとなく付いて行った。


 そう言えば、始まる前に着替えた時、真琴がいなかったのは、トイレで着替えていたからかしら、なんてことをぼうっと考えていると、着替えを終えた男子がプールの方から歩いてくるのが見えた。


 ばらばらと普通科の男子が歩いてくる後ろを、集団で悠々ゆうゆうとツナギ姿の一団が歩いてくる。

 こいつら、いつも一緒じゃないと行動できないなんて、レミングスかしら。あれって、集団自殺するのは迷信なのよね、なんてことをとりとめもなく考えていたら、自然に足が前に出てしまった。


 まるで、ツナギ集団の進路を妨害するように。


 いや、まるで、ではない。完全に、彼らの進路を妨害するために、渡り廊下に立ちはだかっていた。


 無意識の行動ではあったが、彼らと対峙すると、自分の行動に非常にしっくり来た。

 麗は、この集団の前に立ちはだかった時に、怒っているのだと気がついた。真琴にあんな怪我をさせて、なのに平和そうに、呑気に日常を送っている男達に。


 ――先ほど、結局、真琴の口から庇った者の名前は出なかった。だが、誰かが責任を取らなければならない。それは誰か。


 それこそ、組織の頭の役割ではないだろうか。

 ツナギの集団は、女生徒が急に進路を妨害したことに驚いたようで、困惑しながら、その歩みを止めた。

 麗は、その集団の中に勇吾の姿を見つけ、にっこりと微笑んだ。

 この男が、この集団のリーダーのはずだ。いつか聞いたような気もするが、はっきり覚えていなかったので、確認する。


「あなた、確か、リーダーだったわよね?」

「……何の用だ」


 その返事を、肯定と受け取る。

 麗は、微笑んだまま勇吾に近づくと、


 ――ぱぁん!


「!?っ、ユーゴ!」

 その頬を、思い切りビンタした。

 一気に気色けしきばむ男達。それを勇吾は手で制した。

 運悪くこの場に居合わせた生徒は、揉め事の気配を察知して、一目散に逃げて行った。


 そんな周囲に構わず、麗は眉一つ動かさないで勇吾を見つめていた。

 こんな状況になっても、なお、微笑みをやさない麗の迫力に、男達は逆に怖気おじけ付く。


「どうして、たれたか……、わかるわよね?」

「あぁ」


 二人は言葉が足りなかった。麗が言っているのは、真琴のアザのことだったが、勇吾は真琴を怒らせたことでたれたと思っている。しかし、話は通じていた。


「じゃ、反対側の頬も出しなさい。あなたはそれだけの責任があるはずよ」


 その命令に、躊躇なく従ったので、全く見所がないわけではないと、麗は感心した。だが、一切躊躇せずに、反対側の頬もビンタしてやった。

 ぱぁん!と非常に良い音がする。

 この男は、金属か何かでできているのかしら。麗の全力のビンタでも、ビクともしなかった。逆に、麗が手にダメージを受けてしまったので、手首の調子を確かめるようにブラブラさせた。

 こうやって、頬をったところで、真琴の怪我が癒えるわけではない。けれど、彼女の怪我を知ったからには、何かしなければと思ってしまう程度には、真琴に好感を抱いているらしい。


 完全な自己満足である。勇吾にとっては、理不尽な仕打ちだっただろうが、麗は自分の行動に後悔していなかった。


「起きてしまったことをとやかく言う気はないわ。でも、リーダーたるもの、きちんと後始末しケリをつけなきゃ。ねぇ?」


 麗がそう言うと、勇吾は痛いところを突かれた、とでも言いたげな表情になった。

「……後始末ケリか。そうだな」

「――ウララちゃん!?何してんの!?」

 そこで、ようやく真琴がトイレから顔を出した。男達に囲まれている麗に驚いて、駆け寄ってくる。

「あら、マコト。何でもないわ。もう終わったから」

 しゅっと、ビンタの素振りをして、おのれのしたことを誇示する麗。

 真琴はそれを見て、真っ青になった。ばっと勇吾を振り仰ぎ、その頬が赤くなっているのを見て、思わず勇吾の方に手を伸ばした。

 しかし、それは途中で何かに気がついたように引き止められる。そんな真琴を見て、勇吾の瞳が一瞬陰った。


 二人の様子に訝しさを感じたが、真琴が小声で、「もしかして、私?」と聞いて来たので、「違うわよ。ただむしゃくしゃしていただけよ」と返した。

 それでも、真琴には誰のために動いたのか伝わったのだろう。喜んでいいのか、怒らなければいけないのか、たしなめるべきなのか、決めかねた複雑な表情をした。


 麗と勇吾がすることを、呆然と見守っていた男達も、二発目は勇吾自ら殴られに行ったため、どうしていいかわからず狼狽うろたえていた。

 中には、麗と勇吾の関係を邪推するような視線もあったため、本当に真琴のアザは知られていないのだと勘付いた。


 知らなければ、反省も次の対策も打てないのに。


 それは、優しさでも何でもない、と麗は思った。真琴が、優しさ以外の理由で、怪我のことを秘密にしているとまでは思い至らずに。

 結局、真琴は勇吾に声をかけることはなく、麗を促してその場から去ることを選んだ。麗を男達から庇うように、校舎へと向かう。


 真琴を見送る男達の、てんでばらばらな表情を読み取って、麗は何かややこしいことになっていると感づいた。それは、真琴が麗に話せなかったことと関係があるのだろうか。

 真琴のあの表情は男達が原因なのかと思うと、やっぱりもう一発殴ってやったらよかった、と後悔した。

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