5.リスタート 4

 麗が、いつもより少し遅れて体育館に入ると、おしゃべりに花を咲かせている女子たちの輪から外れて、一人立っている真琴を見つけた。


「マコト!」


 声をかけると、こちらに気がついた真琴が、軽く手を振りながらこちらへ駆け寄ってきた。

「ウララちゃん、ちは〜」

「……何であなた、長袖なの?」

 挨拶に返事もせずに、麗は変態でも見るような目で真琴を見つめた。


「あ、これ?いやー、体操服忘れちゃってさ。これ、置きジャージ」

「おきジャージ……」


 同じ日本語を話しているはずなのに、真琴が言っている言葉の意味がわからず、繰り返した。繰り返したところで、意味はわからなかったのだけれど。


「あなた、今日、気温何度か知っている?」

「30度は超えないでしょ?」

「体感温度は、余裕で超えてるわよ」


 まだ7月だというのに、熱帯から気圧が張り出してきて、全く真夏のような天気だった。しかも、風がなく、ジメジメしている。テレビでは熱中症に気をつけろと繰り返し言われているような状況なのに、なぜ長袖長ズボンなのだろう。見ているこっちの方が暑くなる。


「おい、そこのジャージ!何で長袖なんだ!」


 チャイムと同時にやってきた体育教師もびっくりして、真琴に問いかける。

「いや〜、忘れちゃいまして」

 一応、申し訳なさそうな声色を出していたが、その表情からは反省の色が見えなかった。

「忘れたぁ?たるんでるぞ!」

「はぁい、すみません」


 二人のやりとりを見て、くすくす笑う女子達。その笑いには、単にやりとりがおもしろくて笑っているのもあれば、悪意が含まれたものもあった。

 そういう笑いが生まれているところからは、バカじゃね?なんて声も聞こえてくる。いや、わざと聞かせたいのかもしれない。


 全く、程度が低い。麗はそう思う。


 彼女達にとって、いじめは娯楽なのだろう。楽しいから、やめられない。ターゲットは誰でもいい。自分たちよりおとる者、それがいなければ難癖をつけてでも、誰かをバカにして優位に立っていると思いたいのだろう。

 そういう人間を見ると、うんざりする。


 だが、真琴はそんな嘲笑や言葉が一切耳に入っていないかのように堂々としていた。

 麗のほうを見て、怒られちゃった、といたずらを叱られた子供のような表情で笑う。

 真琴は、麗と言葉を交わすようになる前から、たった一人でも、常に堂々としている少女だった。合同体育や食堂で、いつも何者にも囚われず、飄々ひょうひょうとしているのを見て、感心していたものだ。

 まあ、実態はちょっと抜けているところもあるけれど。そこを、チャームポイントだと好意的に解釈してあげる優しさくらい麗は持ち合わせていた。



 体育の授業は、バレーだった。

 だが、この暑さで真面目に取り組むと死人が出ると思ったのだろう。準備体操が終わると、ゼッケンが配られ、試合形式が始まった。試合に出ない人たちは、コートの隅で見学だ。


「あ〜、よかった。も〜、これ、生きてるだけで汗出るわ」


 そういう真琴は、確かに汗だくだった。少しでも涼を取ろうというつもりなのか、腕まくり足まくりはしていたが、ほとんど露出していないので意味はなかった。

「あ〜、男子はプールか〜。羨ましい〜」

「学校のプールなんて、羨ましがるような施設とこじゃないでしょ」

「水に入れるというだけで、今の私には羨ましいことなの」

「まぁ、それはわかるわ。これだけ暑いと、嫌になるわね」

 半袖にハーフパンツの麗でも、じっとしているだけで汗が出てくるのだ。確かに、こんな気温の中、水に入れるのは、羨ましいことかもしれなかった。


「でしょ?まぁ、バレーだからまだいいけど」

「私は嫌だわ。腕が痛くなるもの」

「それは打ち方が悪いんだよ。骨じゃなくて、面で返すの」

「詳しいのね」

「うん。私、中学の時、バレー部だったんだ」

 真琴はいつも一人でいるから、集団競技は苦手かと思っていただけに、意外だった。

「ウララちゃんは?」

「私?私は美術部。でも、お稽古が忙しかったからほとんど行ってなかったわ」

「そうなんだ。何やってたの?」

「いろいろよ。好きだったのは、ピアノかしら」

 ピアノが好きと言うより、ピアノの先生といる空間が好きだったのだけれど、それは言わないでおいた。


 そんな話に花を咲かせていたら、一試合終わり、真琴の番になった。

「私の勇姿に、惚れな!」

 変な決めポーズとともに、真琴がコートへと入っていく。

 あのセリフは、男どもの悪影響かしら、なんて思ってしまう。今日の真琴は、いつもに増して、テンションが高いように思えた。



 真琴は、経験者が集まるチームに入れられたので、麗は大人しく応援に回った。

 彼女は、中学でやっていただけあって、上手かった。ブランクはあるだろうが、走り、跳ね、打つ。その暑さをものともしない生き生きとした様子に、バレーが好きだったんだな、と感じる。

 何より、意外だったのは、初めて組むチームなのに、みんなが積極的に声を掛け合っていたことだ。それは真琴も例外ではなかった。

 試合が始まる前に、軽くポジションの確認をして、それぞれが位置につく。試合が始まれば、声を掛け合い、お互いをフォローする。体育会系の呼吸というのだろうか。麗には逆立ちしてもできないコミュニケーションの取り方だった。


 なんとなく、真琴は、人見知りというか、交流に消極的というか、言葉を飾らずにいうなら、コミュ障だと思っていただけに、自分以外の人と仲良くしている姿がひどく眩しく感じられた。


 さっきまで隣にいた真琴が、遠くに行ってしまったようで寂しく感じる。

 そんな子供っぽい独占欲に、自分で自分に呆れてしまう。こんな独占欲、今までのクラスメイトに持ったことはなかった。


 そう思って見ているうちに、真琴がサーブをする順番になったらしい。

 ボールの感触を確かめると、それを高く垂直に投げ上げる。そして、そのボールを追いかけて、真琴が大きく反りながらジャンプをしたかと思うと、一気に身を縮めて思い切りボールを打つ。

 ボールは一直線に相手コートに入って行った。素人から見ても、力強い、いいサーブだった。


 だが、麗はそのボールの行く末を見ていなかった。

 真琴がジャンプをしながら反り返った時に、ジャージのすそがめくれて、お腹が見えたのだ。そして、そこが青黒く変色しているように見えた。遠目だったから、影を見間違った可能性もあるが……。

 もう一度見えないものか、と思って真琴を注視していたが、その後は大きな動きもなく試合が終わってしまった。


「いえ〜!勝ったよ〜!」

 真琴が、こちらの気も知らずに、のんきにピースをしながら帰ってくる。

 その顔は、汗だくだったが、運動してスッキリしたようだった。

 だが、スッキリできないのは麗だ。


「惚れた?惚れた?」


 なんて、冗談にもならないことを言いながら戻ってくるので、もう、何も言う気になれず、無言でそのジャージをめくりあげたら、うひゃぁ!なんて変な声を出した。


 果たして、そのお腹には、青黒いアザがあった。昨日今日できたものではないようだが、そんなに古いものでもない。ここ一週間くらいのものに思われた。


「っ!ウララちゃん!」


 真琴が秒速で麗の手から逃れ、お腹を隠す。さっきまでのヘラヘラした顔は一瞬で消えた。

「……あなた、なによ、それ」

「……え〜っと、転んじゃって?」

「そんなわかりやすい嘘をついて、どうにかなると思っているの?」

 あまりの浅はかな答えに、ため息が出る。

「……だよねぇ。……実は喧嘩?しちゃって」

「喧嘩?誰と?こんなになるなんて、女とじゃないわよね」

「うっ、鋭い……」

 ここまで動かぬ証拠を麗に握られながら、真琴はなかなか口を割ろうとしなかった。


 それをなだすかし、脅し、話させた喧嘩の顛末てんまつは、麗にため息をつかせるに十分な内容だった。


 男どもと一緒に帰ってる時に、変な奴らに襲われ、とっさに人を庇ってできたアザですって?


 真琴らしい理由に、がっくりくる。

「……あなた、あのは何をしていたのよ」

「係は係で忙しかったんだって」

 そう言って庇うが、どこまで本当かわからない。喧嘩の話をしている時、真琴はずっと何かを隠しているようだったからだ。

 誰かを庇っているのか、私に言えない何かがあるのか。

 その推測に、ちょっとムッとしている自分がいるのを感じた。

 心配をかけまいと思っているのだろうが、隠された方が心配になる。

「マコト、あなたね、何を隠しているのか知らないけれど、隠されたほうが心配になるのよ」

 そういうと、真琴がびっくりした目で麗を見つめた。

「別に、隠してなんて……」

「ないとは言わせないわよ。あなたはわかりやすいのよ」

「……ごめん。心配かけたくなくて」

「こんなになってる時点で、心配をかけないなんて不可能なの。素直に吐いた方が楽になるわよ」

 「こんな」で、脇腹を突いてやると、ウヒッと変な声を出してもだえた。


 麗は、真琴の次の言葉を待ったが、真琴は黙って地面を見つめるだけで、口を開こうとしなかった。その顔が、だんだん泣きそうになってくる。

「……本当に、何があったのよ」

「……言いたくない。てゆーか、今は考えがまとまってないから、うまく言えそうにない……」

 そう言って、三角座りをして、膝に顔をうずめてしまった。そのない行動に、麗はよっぽどのことがあったのだろうと思った。


「……ウララちゃん。ちゃんと話せるようになったら、言うから、もうちょっと待っててくれる?」


 膝に顔を埋めたまま、そんな弱気な声で言われたら、否とは言えなかった。それで、麗は話題を変えようと、もう一つ気になっていたことを質問した。


「――ところで、ちゃんと落とし前はつけたんでしょうね」

「お、落とし前?」


 思ってもいない単語を聞いたのか、真琴が驚いて顔を上げた。

「――襲って来た男達なら、ユーゴ達がやっつけたよ?」

「違うわよ。あなたが庇った男よ。あなたに怪我をさせたんだもの。ちゃんとその落とし前はつけたわよね」

「それ、ヤクザかなんかの発想だよ、ウララちゃん!」

 心底怖いことを聞いた、と言うように、真琴が距離を取ろうとしたが、逃す麗ではない。

「あなた、誰を庇ったの?」

「『落とし前』なんて単語聞いて、言うと思う!?」

「大丈夫よ。ちょ〜っとお話するだけだから」

「それ、絶対お話だけで済まないよね!?」

「安心して。バレないようにやるわ」

「どこに安心する要素があったの!?私が庇った人を、再起不能にしようとしないで!」

 半ば悲鳴のような声で言われて、それもそうね、と思った。


「じゃ、再起できるぎりぎりくらいの落とし前希望っていうことね?」

「そんなこと言ってない!」

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