4.アタック 5

「服を脱げ」


「……は?」

「ユーゴ、どうしたんだよ」

 言われた言葉への理解が追いつかず、真琴が気の抜けた声を吐き出した。追いついて来た和也も、思わず抗議の声を上げたが、勇吾は二人に構わず、真琴を壁に押し付けた。


「やっ、ユーゴ、やだ!」


 真琴が、危険を察知して、勇吾の腕の中で嫌がって身をよじった。

 その抵抗は、本気だったが、どこか真剣味に欠けていた。それが真琴の優しさで、甘さでもある。それを自分に都合よく、消極的な許可と受け取る。


 勇吾の邪魔をしようともがく真琴の両手を片手で頭上にまとめ上げる。そして、ツナギのジッパーを一気に下ろした。


 真琴の両目が、恐怖で見開かれる。


「カズヤ、そこで見ていろ」


 和也が妨害しようとしている気配を感じて、短く命令する。


「や、待って。お願い、ユーゴ……!」


 祈るような真琴の懇願こんがんむなしく、勇吾は開かれたツナギの前から、中のTシャツのすそへと手を伸ばした。

 それを一気に引き上げると、日焼けしていない、柔らかな白い腹が出てきた。が、


「げっ」


 思わず和也は声を上げた。


 あらわになった真琴の白い腹に、その白さとは対照的な青黒いアザが広がっていたからだ。


 勇吾は、そのアザを見た瞬間、血が沸騰するのを感じた。

 がぁん!と力任せに壁を殴る。


「――ひっ!」

「昨日の喧嘩のせいか……!」


 勇吾の剣幕に、真琴が身をすくめ小さな悲鳴を上げた。


 勇吾は、こうなっていることに、今まで思い至らなかった自分に腹を立てていた。

 いくら真琴が、自分たちと同じようなツナギを着て、自分たちと同じようなノリで遊んでいても、彼女はこちら側の世界の人間ではないのだ。暴力、荒事、殴り合いの喧嘩といったことと、今まで無縁に生きてきた人間だ。


 真琴は、勇吾たち一団に溶け込んでいた。いや、彼女自身が「女らしさ」や「怯え」を極力隠し、馴染んで見えるように振舞っていたのだろう。

 なぜなら、今、勇吾の腕の中で怯えている真琴は、勇吾たちと仲良くなる前の、どこにでもいる普通の少女にしか見えなかったからだ。

 そこには、昨日、勇吾を身を呈して守った「強い人間」は、いなかった。


 ――それは、彼女が作り上げた虚栄だったのだ。


 本当の真琴は、こんなに細く、弱く、勇吾の片手で拘束できてしまう存在だった。必死に抵抗しても、勇吾おとこ手枷わんりょくから逃れられず、ただ、勇吾のすることぼうりょくに翻弄されるしかない存在。


 彼女が、自分をどう演出しようと、勇吾はそれに惑わされず、本質を見ていてやるべきだったのに。


「くそ、背中もあるのか」

「ちょっ……!」


 自分の迂闊うかつさ、怠慢たいまんに、怒りの気持ちが湧いてきて、自然、勇吾の言葉も行動も乱暴になってしまった。

 真琴がどんな顔をして自分を見ているか、沸騰した頭には入って来なかった。


 拘束を解き、自由にした腕からツナギのそでを引き抜く。そして、真琴をくるりと裏返すと、背中のアザを確認した。背中にも、おなか側ほどではないが、アザが広がっていた。


「……どこまであるんだ」


 誓って言おう。勇吾は、自分の不始末を確認する意図しか、その時はなかった。


 真琴を後ろから抱え込むと、ベルトの位置にあるボタンを外す。


「まって、下は、ホントにやだって……!」


 真琴の言葉を無視して、彼女のズボンのチャックも下すと、そのままこうとした。だが、彼女は両手で腰のところを掴み、膝を閉じて抵抗しようとする。その彼女の行動にムッとし、自分の足を彼女の閉じた膝に割り入れ、片手で彼女の上体を反らす。それだけで、真琴はうまく力が入らなくなることを勇吾は本能的に知っていた。


「手、どけろ。邪魔だ」


 彼女の耳元で囁くと、腕の中の体がぶるりと震えた。


 真琴は、その声に、逃れられないものを感じ取ったのか、


「わかった!自分で脱ぐ!全部見せるからっ……!」

「……ユーゴ!流石にそれはヤバイ!待て!」


 真琴の涙ながらの悲鳴に、ようやく和也の呪縛が解除された。慌てて、勇吾の腕を捕まえて止める。

 二人からストップがかけられ、ようやく勇吾は動きを止めた。



 少し落ち着くと、勇吾は真琴の姿がかなり際どいことに気がついた。

 勇吾の拘束から解放された真琴は、トイレの床には座りたくないのか、壁に背中を預けていたものの、足にうまく力が入らないのか、勇吾にすがりついてきた。


「ちょ、……っはー、くそっ、勘弁してよ」


 悪態をつきながら、焦りで乱れた呼吸を落ち着けようと深呼吸を繰り返す。

 呼吸とともに、大きく上下する胸。上気した頬に、赤くなった目元。もしかしたら、泣くのをこらえているのかもしれない。


 真琴は、自分の乱れた姿にまだ気がついていないようだった。


 めくり上げられたTシャツから覗く、白いレースに縁取られた黒いブラジャーに包まれた胸。白い腹とそこに刻まれた青黒いアザ。小さく形のいいヘソに、ズボンに巻き込まれて、ギリギリまで下げられたショーツ。


 が、勇吾と和也の目の前に、隠すところなくさらされていた。


 さっきまでと違う緊張感が、男二人を襲う。

 あぁ、これでは、冷静にならないほうがマシだったかもしれない。


 だが、真琴はそれに頓着とんちゃくせず、トンっと勇吾を押して、距離を開けさせた。


「はー。……全部、見るの?」


 往生際悪く確認する真琴に、勇吾が肯定の視線を返すと、諦めたように一旦身なりを整えた。そして、再度自分で、Tシャツをまくり上げる。


「酷いのはね、お腹のこの辺と、多分、背中。自分じゃ、見えないんだけどね」


 するするとアザを指し示す指先に、勇吾と和也は別の意味を見出してしまいそうで困惑した。

 だが、本人は腹をくくったのか、諦めたのか、堂々とその肌をさらしていた。


「見た目は派手だけど、骨とかは折れてないから。肉が多くて助かったわ〜」


 真琴はそう言ったが、彼女の体は肉付きが薄く、あばらがかすかに浮いているのがわかった。いつもブカブカのツナギに隠されていた彼女の体は、思っていた以上に薄かった。


 真琴は気がついていないようだが、人気のない校舎の片隅の男子トイレで、少女が肌を晒していくというシチュエーションは、思った以上に背徳感に満ちている。しかも、勇吾に押されたとはいえ、今、彼女は自分の意思で男二人の前で、その肌を露わにしているのだ。


 その非日常感に、男二人の感覚はくらくらと揺さぶられた。


 一旦、ストップがかけられたせいで、最初の勢いのなくなった勇吾は、今更だが、「見る」と言ったことを後悔していた。そして、真琴の危機感のなさに、理不尽だとわかっていてもイライラしてしまう。


 だが、真琴はそんな勇吾の気も知らずに、くるりと回って、背中側のアザも良く見せた。なぜなら、勇吾が見せろと言ったから。


「……ぁあ〜、背中は、前ほど酷くなってないよ」

「そう?リュックがあったからかな」


 和也が、いつもと違ってやや緊張したように声を出した。それに気がつかず、冷静に分析する真琴。


「……下も、だよね……?」


 勇吾が何も言えずにいると、それを圧力と受け取ったのか、真琴がため息を一つついて、ズボンに手をかけた。

 ショーツがずれないように、慎重にズボンを膝まで下ろす。


「左が、結構、ひどくって、ね……?」


 流石にこの状態は恥ずかしいのか、片手でTシャツの裾を引っ張り下ろしながら、途切れ途切れに説明した。


 真琴が説明した通り、右よりも左の太ももの方がアザの範囲が広く、しかも色も濃かった。

 だが。


 ごくり、と唾を飲んだのは、自分か、和也か。


 ブラジャーとお揃いの、黒いショーツからすらりと伸びた足。その白い太ももに広がる青黒いアザは、確かに痛々しかった。

 痛々しかったのだが。

 

 それが真琴の身を飾る装飾のように見え、目が離せなくなった。


 沈黙が、トイレ内に充満する。


 先ほどとは違った熱が、体の中に広がっていくのを感じる。

 このアザが、自分を守るためにできたのか。それを考えると、申し訳ないと思わなければならないはずなのに、勇吾の胸の中は、別の感情で溢れていた。


 勇吾は、手を伸ばし、太もものアザを、つっ、と撫で上げた。


「ひゃう!」


 真琴が悲鳴をあげ、自分で慌てて口をふさいだ。


「……痛いか?」


 そんなわけないと知っていても、そう聞いた。


『逆に、向こうから近寄ってくるのは、襲われてもいいって思ってるんじゃない?』


 二人でジュースを買いに行った時の真琴のセリフを、よりにもよってこのタイミングで思い出してしまう。


 沈黙とはまた違った緊張感が広がる。


 ごくりと、また誰かの唾を飲み込む音がした。

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