4.アタック 4

「あ〜、口の中に口内炎できちゃった」

「塩を塗るといいらしいぞ」

「それ、ホント!?絶対うそでしょ」


 教室の中で自分の席に座った春樹が、長谷川とふざけていた。

 全く違うタイプの二人なのに、中学からの付き合いだと言う彼らは仲が良かった。


 一夜明けて。昨日の興奮冷めやらぬクロウニーのメンバーは、教室に入ると、昨日の喧嘩の話ばかりしていた。誰が凄かったとか、俺はこんだけ倒したとか、自慢とも反省ともつかない会話をしながら、彼らは待っていた。


「おはよう」

「はよ〜」


 勇吾がきちんと、和也が気の抜けた声で挨拶をしながら教室に入ってくると、メンバーは一斉に二人の元へ集まった。彼らが待っていたのは、勇吾だった。


「ユーゴ、頭はどーよ?」

「大丈夫か?」


 次々と心配する声が上がる。荒事けんかに慣れている男達でも、あの血の量は不安だったらしい。


「大丈夫だ。頭だったから、派手に血が出ただけで、検査はなんともなかった」


 勇吾の言葉に、安堵のため息が漏れる。


「昨日、テスト終わった後で良かった。あの衝撃で、勉強した内容が全部消えたぞ」

「ははは。元々ろくに入ってなかったじゃねーか」


 かなり失礼なツッコミを返される勇吾。それでも、勝者の余裕からか、和やかな雰囲気だった。もし、昨日、あのまま負けていたら、こんな雰囲気ではいられなかっただろう。


「おはよー」


後ろの扉から、いつも通りツナギに着替えた真琴が姿を現わす。


「あ、ユーゴ。怪我、大丈夫?」


 教室の中で団子になっている男達の中に勇吾の姿を見つけ、近寄って行く。


 大丈夫だ、と答える勇吾を押しのけるように、クロウニーのメンバーが真琴を取り囲んだ。


「お〜、昨日はよく頑張ったな!」

「昨日のMVPじゃね?」

「見直したぜ!」


 そう言いながら、肩を気安くバシバシ叩く。頭を遠慮なくグリグリ撫でる。男の力で容赦なくやられ、真琴は吹っ飛びそうになるのを辛うじてこらえた。


「痛、痛、……痛い⁉え〜い、叩くな!撫でるな!」


 男達の無遠慮な態度に、最初は何事かと固まった真琴だったが、すぐ我に返って、彼らを追い払う。だが、男達は真琴がプンスカ怒っても、意に介さず、楽しそうだった。


 彼らの中で、真琴の株は爆上げされていた。まぁ、あれだけの働きを見て、心を動かされないものはいないだろう。

 だから、真琴の株があがるのは当然と言えたが、なぜか勇吾の株も同時に上がっていた。

 さすが勇吾。こんなことができる奴だから声をかけていたのか、とかなり強引な理論で勇吾の株もストップ高を更新していた。


 実は、彼らの中には、真琴のことを良く思っていない者達もいた。男だけで楽しくやっているのに、なんで女が混ざるんだと。

 勉強の面で世話になっていたが、それはそれ。それ以外の時は、勇吾に声をかけられても、遠慮すべきだというのがその一派の主張だった。


 だが、昨日の彼女の献身を見て、表立って真琴をうとましく言う者は、いなくなった。

 むしろ、あれだけのことができる奴だから、勇吾は声をかけていたのではないか、という意見が趨勢すうせいだった。

 それだけ、昨日が危なかったと言うのもある。


 そんなピンチを救った真琴だったが、本人にその自覚はないようで、至っていつも通りだった。


「ああ、もう。髪の毛ぐちゃぐちゃになったじゃん」


 そうブツブツ文句をこぼしながら、真琴は男達の乱暴な称賛の輪から抜け出して、さっさと自分の席に避難した。


 だが、口では不満そうにしていても、その顔は満更でもなさそうだった。手荒な称賛とは言え、褒められて嬉しかったのだろう。

 眼鏡の奥の瞳が、満足そうに細められたのを、勇吾は見ていた。



 真琴が男達の輪から抜け、一人カバンから荷物を出しているところに、春樹がちょこちょこと近づいて来た。


「笹原さん、おはよう」

「おはよー」

「……逃げちゃえって、言ってたのに」

「……昨日のアレは、無理でしょ」


 いつぞや、食堂の前で話していたことを春樹も覚えていたらしい。

 二人にだけわかるようにささやかれた言葉に、真琴は苦笑した。


「友達見捨てて、逃げらんないわ」


 そう言った真琴に対して、春樹は呆れた表情を浮かべた。


「それでも、それが正解の時もあるよ?」

「わかってる。昨日は、男だと思われてたから。ラッキーだっただけでしょ」


 そう言って、真琴は、角材男の下卑げびた目線を思い出して、身震みぶるいした。


「それがわかってるなら、いーけど」

「……次は、判断、間違えないよ〜」


 半信半疑、と言外に滲ませた春樹に、勘弁して、と真琴は謝った。だが、そう言った本人も、自分の言葉を信じ切っているわけではなかった。


 今、どうこう言っても、真琴は同じような場面になれば、また身を投げ出すだろう。友達を見捨てて、自分を優先できるような要領のいい人間だったら、この高校こんなところに来るハメにはなっていない。

 だが、自分が「女」というだけで、どういう目で見られるかというのも昨日で理解できた。そして、それが周りの足を引っ張るということも。


 というよりか、


「て言っても、私、正直、何もできなかったからさ。みんな過大評価しすぎ」


 と言うのが、真琴の素直な感想だ。


「そんなことないよ。あそこで勇吾がやられてたら、本当にヤバかったし。……結構、蹴られてたけど、大丈夫?」


 ついっと伸ばされた手から、すいっと身を引いて逃れる真琴。それに関して春樹が思考を形にするより早く、真琴は「大丈夫。結構丈夫なんよ、私」と力こぶを作るようなポーズをして、丈夫さをアピールした。


「……そう?ならいいけど」


 何かを察したのか、春樹はそれ以上、追求しなかった。と、教室のドアがガラリと音を立てて開いた。


「あ。きみちゃん来た」


 春樹は、真琴から急に興味がそれ、そそくさと自分の席へ戻って行った。


 真琴は、緊張で浅くなっていた呼吸を、周りにバレないようにふうっと吐き出した。そして、自分の体を抱きしめるように右手を左腰に添えながら、ゆっくりと椅子に座った。



――――――。

 勇吾は、真琴の一連の行動を見ていた。そして、微かな違和感を抱く。だが、その違和感の正体がなんなのか、形にはならなかった。なぜなら、その前に、当番によって号令がかけられ、思考を強引に日常に引き戻されてしまったからだ。そのせいで彼が抱いた違和感は、霧散して行ってしまった。



「ユーゴ、私、今日学食行かないから」


 四時間目が終わって、さあ、これからご飯だという時に、真琴が勇吾の席までわざわざやって来て、そう申告した。


「どうしたんだ」

「今日、パンなんだ」

「……珍しいな」

「たまにはね〜」


 と言うわけで、いってら〜、と気楽に手を振りながら、自分の席へと戻っていく真琴。その彼女の様子に、何か引っかかるものを感じながらも、そう言うこともあるか、と学食へ行こうと勇吾はきびすを返した。


 と、その視界の隅で、真琴が自分の腰に手を伸ばすのが見えた。


 勇吾の足が、ピタリと止まる。

 真琴の動きは、朝も見た、自分を抱きしめるような動作だった。腰をで上げる指先の細さに目を奪われるとともに、朝の違和感が再度、膨れ上がっていく。


「ユーゴ、どうした?」


 和也のいぶかしげな声に気づいた真琴が、こちらを振り返る。キョトン、と見返してくる真琴を、勇吾は無遠慮にまじまじと観察した。


「マコト……、お前……」


 真琴がこうやって、左の腰に手をやるのを、今日、何度見た?左の腰だけじゃない。腕も何度もさすっていた。本人は気がついていなさそうなことを考えると、多分、無意識だろう。


 こんな癖が、真琴にあったか?いや、ない。それは断言できる。

 なら、なぜ、さする?昨日、何があった?


 そこまで考えて、勇吾は一つの結論に思い至る。

 違和感が確信へと変わり、己の鈍さに死にたくなった。


「マコト、ちょっと来い」

「え?ユーゴ?どうしたの?」


 勇吾は、真琴の腕をがしっと掴むと、彼女を引きずるように強引に歩き出した。展開に付いて行けず、呆然と二人を見つめるクロウニーのメンバーを置き去りに、教室の外へと出ていく。


「ユーゴ!どうしたんだよ!……ちょ、お前ら、先、飯、行っとけ」


 そう指示を出すと、和也は二人を追いかけた。


 周りに構わず、ぐんぐん歩く勇吾。その勇吾に、半ば引きずられるように付いていく真琴は、昼休みで学生のあふれた廊下の中で目立っていた。

 だが、勇吾は、「ちょっと来い」と言ったまま、前を睨みつけるように見据みすえるばかりで、何を考えているのかその表情からは伺えなかった。


「ユーゴ、何?なんか、怒ってる?」


 そうじゃないとわかっていても、その可能性しか思いつかず、真琴がそう訊ねた。だが、勇吾は真琴の機嫌を伺うような声も無視して、人の流れに逆らって、実習棟の方へと歩いて行った。



 実習棟は、午前、実習がなかっただけあって、人気がなかった。その棟の中でも奥にある、誰も利用しないトイレへと真琴を強引に連れ込む。


「ユーゴ!ここ、男子トイレ!」

「入れ」


 流石に、男子トイレに入るのには抵抗があったのだろう。真琴が足を踏ん張って叫んだが、握っていた腕を軽く振っただけで、ドアの中へと押しこめてしまった。その軽さに、目眩めまいがする。


 たたらを踏んで、男子トイレへと入った真琴が、怒りと怯えを滲ませながら睨みつけて来た。

 だが、そんな目線で止められる男ではない。勇吾は真琴に対峙すると、単刀直入に言った。


「服を脱げ」

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